14時間の賃労働から帰ったら、小谷野敦博士の『江藤淳と大江健三郎』が届いていた。Amazonで事前予約していたのだ。
ぱらぱらめくってみたら、ゲロ吐き江藤を介抱する大江の話が出ていた(P138)[関連愚記事]。
なお、パラ見で、小谷野敦博士が海城学園に感謝していた。そして、冒頭に地図がある。その地図には江藤の市川の借家は出ていない[関連愚記事]。
概して言うと、既に敗戦後長い年月がたっているのに、江藤は自分の周囲だけを「戦前」にしておこうとしているからである。しかも海城学園の理事だったのだから、あの野蛮な学校にいた私としては怨恨すら感じる。
岸田秀と江藤淳の『正論』での対談(これは単行本に入っていないのではないか?)がフォローされていた。
今夜は酒っこ飲まないといけない。
さて、通販で買ったこのお品、電池は別売りなのか?最初から入っているのか?分からないので、とりあえず、充電して寝る。
■ 団塊の残飯
おいらが中二病だった1980年代初頭、古本屋のゾッキ本ワゴンで拾った本。当時、上画像のような本が 捨てられていた 売られていた。
そして、そういう古本屋のゾッキ本ワゴンには三島由紀夫の写真集『薔薇刑』も二束三文で売られていたのを、おいらは見た。買っとけばよかったよ。といっても万が一お金を持っていたとしても『薔薇刑』は買わなかっただろう。なぜなら、いたいけな当時のおいらは本当にショックを受けるくらいdisgusted!(関連愚記事)
これらの古本は元々団塊の世代の人たちが売りはらったものと推定される。団塊の世代の人たちが捨てた本で、おいらは育ったのだ。
■ 今週の 守 破 離
小谷野敦博士の『江藤淳と大江健三郎』の2/3を読んだ。
もちろんこの書は、「他人の伝記作成とは己の自分語りを臆面もなく織り込むことではないのか!」、という書である。
しかも、二輪車プレーである!
江藤淳や大江健三郎など露も知らないが、小谷野敦博士を大好きな当世「十八君」、あるいは「十八さん」にも読める。
江藤がdisられていることはともかく、小谷野敦博士は大江からも「離れた」と書いている。その理由が、かなりポリティカル・コレクトネス系、あるいは、常識人的感性による理由である。
と、もってまわった表現だとわかりずらい。
小谷野敦博士は、大江健三郎がおまんこにコカ・コーラの瓶をぶちこむ/挿入することを想像したことを、許せなかったらしい。
小谷野敦博士、『江藤淳と大江健三郎』には、小谷野敦博士がいつ・どのように江藤や江藤を読んだのか、そして、離れていったのか、書いてある。
なお、江藤淳と大江健三郎を「破」る、すなわち、すばらしい文学作品、すばらしい文芸評論を世に出すことを、全国125万3千325人の小谷野敦博士ファンは待っているだけである。
ところで、愚記事で小谷野敦博士の『江藤淳と大江健三郎』には両者が「支那皇帝」に会う話はでないだろう(愚記事)と予測しました。
(愚記事;小谷野敦博士、『江藤淳と大江健三郎:戦後日本の政治と文学』には書いてないだろうこと。いつものように、愚ブログでは奇を衒ってみる)
予想が外れました。 出てました。
▼ 3/1
全部読んだ。 誤字脱字はひとつ見つけた;
1984年に大江が中国に行ったこと。上海で巴金にあったと書かれている。
p284の巴金のフリガナ。巴金は、ば き ん。 native pronounciation主義を採っても、Bā Jīn であり、hの音は絶対関係ない。
▼ 大江健三郎が核戦争などによる「全的滅亡」に性的興奮を覚えているのではないだろうか?という指摘を小谷野敦博士はしている。
この指摘の先例は;
わたしには、大江健三郎が、ソ連の金縛りにあって、ソ連の限定核戦争用ミサイル「SS20」に攻撃され、日本人として滅亡することに、無意識のうちで<法悦>を感じているのではないかと思われてくる。
というものがある。
吉本隆明だ。『反核異論』、「反核」運動の思想批判、(1982)に書いてある。
なお、「全的滅亡」という語は晩年近くに江藤が西郷論で使った言葉で(もちろんこの辺のことは『江藤淳と大江健三郎』に書いてある)、小谷野敦博士 が大江を論じるときに「全的滅亡」という鍵言葉を用いたのであるから、江藤と大江は「全的滅亡」という点で交わることとなる。この江藤と大江と「全的滅 亡」を考えることは重要だと思う。