▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第467週
■ 今週の武相境斜面
公園の地面
■ 今週の草木花実
■ 今週の国旗掲揚
■ 今週の半額道産品
「栗やサツマイモのような風味」とある。確かに色は濃い、黄色の度合いが強い。そう甘味は強くなかったと感じた。そう栗やサツマイモのような風味は感じなかった。食感・歯ごたえで栗感、サツマイモ感はあった。
・良食味で栗のような風味がある。
・活性酸素の消去能を有するカロチノイド系色素ゼアキサンチン色素を含有し、濃黄肉色を呈する。
・「男爵薯」、「キタアカリ」に比べ、でん粉価が高く、調理加工性に優れる。
(農林水産研究に関する国内の論文・情報が探せるデータベース(アグリナレッジ) インカのめざめ [ばれいしょ農林44号] )
■ 今週の初もの
ラ・フランス、山形産。
■ 今週のスカジャン
<やつら>だ。なんだ!?AC&W SQDNって。
AC&W SQDNなる言葉を初めて知る。調べた。AC&W SQDN=Air Control and Warning Squadron。
トーヨーエンタープライズ(株)のサテンスカジャン TEXAS KATE
848th Air Control and Warning Squadron(Google)
■ 今週の海
葉山の海岸
■ 今週の展示会
葉山館20周年記念 100年前の未来:移動するモダニズム 1920-1930(google、公式web site )
神奈川県立近代美術館 葉山
肝心なのは、神奈川県立近代美術館 葉山。日本での近代は実際には1920年代以降に興隆。特に、関東大震災後の復興での近代化・モダニズムの興隆についての展示。ただし、御存じ、1931年に満州事変、1945年に大日本帝国瓦解。1920年代にモダニズムは1945年の破局への一里塚ともいえる。
企画概要
葉山館の開館20周年を記念して、当館が館名に掲げる「近代(モダン)」の文化が多様に展開した20世紀の20年代を再考します。
1917年のロシア革命と1918年終結の第1次世界大戦により国際的な移動と伝播の時代が到来し、スペイン風邪によるパンデミック後の世界で、芸術家たちは国境を越えて活動しました。中村彝と鶴田吾郎が描いたエスペランティストの詩人ヴァシリー・エロシェンコの肖像を筆頭に、夭折画家・久米民十郎、土田麦僊や前田寛治、藤田嗣治などの滞欧・滞米作品、石本喜久治らが招来したドイツ新興美術、MAVOや三科など1923年の関東大震災とその復興を挟んで都会に展開した前衛諸派、シュルレアリスムの端緒から魯迅の木版画運動まで、大正から昭和へと移る100年前の世界が夢みた新しさの諸相を紹介します。
▼ 支那2作品
支那の踊り(久米民十郎 [google])1920年、 支那の賭博室(重松岩吉)1921年(画像ソース)
この時代、ヨーロッパは遠く、日本に一番近い「ヨーロッパ」は上海であったとされる。上海には疎開地があり、ヨーロッパ人・アメリカ人と文化が興隆していたからだ。モダン:近代といえば、事実上、ヨーロッパ化:欧米化であるので、日本に一番近い「ヨーロッパ」である上海:支那は、モダンを求める日本人には特別であった。
▼ 上海、版画、魯迅
この時代(1930年頃)の上海での版画についの展示ブースがあった。以前読んだ本に書いてあった;
また 魯迅は木版芸術の 複数性と民衆性にも注目していた。廉価な費用により 一枚の版木から100枚以上の絵を刷り出すことができる版画は、民衆の現実をテーマとして優れた技術で表現すれば革命の武器たりうると考えたのである。一九三一年八月成城学園の美術教師で夏休みに 兄・内山完造を訪ねて上海に来ていた 内山嘉吉に講師を依頼して、その後は内山完造の協力を得て外国版画展を開いた。またドイツのケーテ・ コルビッツやソ連の芸術家たちなど、多数の外国プロレタリア版画集を刊行しており、中国現代版画復興の父とも称されている。(藤井省三、『魯迅 ー東アジアを生きる文学』)
「木版画講習会記念撮影」 魯迅は前列右から3番目。 内山嘉吉と木版画
展示版画に作家・陳普之(google)の一連の作品があったのだが、題名が印象的だった:「疲れた」、「こんな生活倦きた」、「十字路で迷う」、「金は使い果たし、家にでもいるか」など。作品の画像はネット上にはなかった。
■ 神奈川県立近代美術館 葉山に来たのは3度目。
第1回目
第2回目
神奈川県立近代美術館・葉山の「木魂を彫る 砂澤ビッキ展」は6/18まで
紹介ブログ記事は6月だったが、行ったのは4月だった:新しい街でもぶどう記録;第129週 2017年04月22日
■ 今週の3度目はあるのか? 3度目の天安門事件
Google [李克強 首相死去]
10月27日、中国の李克強・前首相が68歳の若さで死去した。2013年に首相に就任後、今年3月に退任するまで10年にわたり中国の経済政策を牽引してきた“功労者”に対し、中国の国営メディアは当初、その訃報を淡白に伝えるのみだった。その裏には「ライバルの死」によって独裁体制の完成を目指す、習近平・国家主席の企みがあるという。 (ソース、 google)
今の日本人にとって「天安門事件」といえは、1989年の六四天安門事件だろう。これは胡耀邦の死去に伴い、弔いの集会をすることで始まった。一方、その前に1978年の天安門事件というのがあり、これは周恩来が死去した際に、追悼集会が天安門広場で行われたことから始まり、反文革運動が起きた。四五天安門事件。
李克強の追悼のための集会(=習近平体制批判)が起きるのか?
■ 今週、先週の購書
角川文庫、『【討論】三島由紀夫 東大全共闘』実売り価格300円。「全共闘C」さんが、誰であるかわかった。の「全共闘C」の発言を文字で読みます。
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