■ 長津田駅 ⇒ 皇太子裕仁統監御野立所史跡
長津田駅から近くの丘にある御野立所史跡へ向かう。
大正10年(1921)11月17日から20日にかけて、東京および横浜の二都市を含んだ武相地域(現在の埼玉、東京、神奈川の大部分)を中心に行われた。演習の中でも、「陸軍特別大演習」といわれ、大元帥(天皇)が統監として通常は毎年1回実施。日数は4日前後となっている。大正10年の大演習は、大正天皇の名代として皇太子裕仁(後の昭和天皇)が初めて統監を行った。
御野立所から見える風景。
■ 皇太子裕仁統監御野立所史跡 ⇒ 引き返して、南下 ⇒ 岡部谷戸
旧大山街道を行く。
旧大山街道を左折、南へ。
国道246を跨いで渡る。
246と直角に接する谷筋を走る道を南下。
多摩丘陵の中で谷となっている筋を道と川が走っている。江戸時代と(整備された道以外)変わらない風景。
御屋敷。下記、家に帰ってgoogle mapの航空画像で上から見た↓
岡部谷戸
■ 岡部谷戸 ⇒ 峠を越えて ⇒ 高尾山
岡部谷戸の先は登り坂だった。振り返ってみた画像。
峠にはラブホ。ヘアピンカーブ。
家に帰って航空画像で見た↓
高尾山。
山頂には、1882年(明治15年)に参謀本部測量課(国土地理院の前身の一つ)によって定められた相模野基線を用いた、日本全土の三角測量に利用するための三角点が設けられた。現在も一等三角点(長津田村)が設置されている。(wiki)
A:高尾山、B:峠のヘアピンカーブ。
この図は相模原台地(左側)と多摩丘陵(右側)の境界を示している。左側は平坦。
ただし、よくわからないのだが、多摩丘陵(右側)の方が開析された部分が低地。
高尾山から下る。
高尾山を降りたところ。
東名高速道路の横浜町田インターを越えなければならなかった。くぐる道があった。迷う。
東京都町田市鶴間に入ってしまう。
やっと、抜けれた;神奈川県横浜市瀬谷区北町
平坦地。
八王子街道。
海軍道路入口
■ 海軍道路入口 ⇒ 旧上瀬谷通信施設 ⇒ 瀬谷駅
元 上瀬谷通信施設 (wiki)
上瀬谷通信施設(かみせやつうしんしせつ)は神奈川県横浜市旭区上川井町と瀬谷区北町・瀬谷町に所在していた在日アメリカ海軍基地(面積: 2,422,396m2)。旧日本海軍の基地を第二次世界大戦後に接収し、運用していたもので、2015年6月30日に施設を含めた土地全体が日本へ返還された.
黄枠は、旧上瀬谷通信施設の範囲です
横浜市のweb site より
旧基地内を覗いた画像。
海軍道路はひたすら真っすぐ。
南北に走る海軍道路から西を見た風景。低くなっている。南北に流れる川で開析。
瀬谷駅
● まとめ
丘陵地域から台地平坦地域へ歩いた。