▲ 今週のみけちゃん
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『アメリカの世紀と日本』と『基地の消長』
▼ 『基地の消長』(川名晋史)は「1968年革命」[#1]の時代の関東平野からの米軍の撤兵・基地整理についての政策史。米国政府の政策の成立と実行の詳細を書いている。特に、米国政府の内部(軍部、国務省、大統領府、在日米軍の現場など)の詳細を説明している。このあたりはノートを取って、いちいち語句を検索して調べて理解した上で読まないといけない。まさに専門書。一方、おいらにとって役立ったのは米軍基地の詳細が記載されていること。例えば、山王ホテルは1980年まで米軍に接収されたままであったと初めてしる。その他、立川基地のことは最近多少知ったが、返還前のこの頃(1960年代)日本人の基地従業員で1万人近くいたと知る。
ということで、この本は、レコンキスタ史跡巡りにはとても有益だ。
さて、この本にはこの時代の本土の米軍基地リストがある。でも、先日探した「Kajikawa naval base, Japan (かじかわ [梶川?] 海軍基地)」は、みあたらなかった。沖縄の基地なのだろうか?
#1 『基地の消長』には、絓 秀実の本が参照にある。
さらに、この本の表紙は、東松照明(wiki)の「チューインガムとチョコレート」。東松照明を、おいらは、初めて知った。
モノクロでとらえる写真展。東松照明 「チューインガムとチョコレート」
基地の消長 1968-1973 日本本土の米軍基地「撤退」政策 の時代はこういう時代だ;
でも、こういう事件が生じていた東京には、米軍が何万人も屯(たむろ)[1]していたのだ。さらに、横須賀、座間、厚木など東京周辺にも屯していた(今でも屯している)。いうまでもなく、これら米軍は1945年9月2日に東京に占領軍として進駐して以来、ずっといるのだ。すなわち、こういう左右の「決起」/「暴発」なども本当に問題となれば、在日米軍が出動して終わりなのだ。
[1] 蛇足だが、「屯」という漢字は戦後、常用漢字ではなかった。したがって、日本政府は「屯」の字を使用できなかった。「屯」の字が常用漢字に登録されるまで、駐屯地は「駐とん地」と記されていた。日本全国の自衛隊の基地の正門には「駐とん地」の看板が掲げられていた。これは敗戦時の占領軍になされた文化的ジェノサイドによるひどい罰であった。
実は、本当の問題は、左右の当事者たち(三島や新左翼)はそれを知っているのか、米軍天国という現実を見ないようにしていたのかということだ。
まさに、「ごっこ」の世界だ。 これは、これらを「革命ごっこ」、「自主防衛ごっこ」と論じた江藤淳の『「ごっこ」の世界が終わったとき』(1970年)に書かれた状況だ。
そして、1967年末、ベトナム戦争ではテト攻勢が起こり、負傷兵が東京、横浜に運び込まれていた時代、少なからずの米兵が日本に担ぎ込まれ日本で死んだ。米国中枢では日本の関東平野の基地整理、撤兵を検討し、実行した。その詳細を書いたのがこの本、『基地の消長 1968-1973 日本本土の米軍基地「撤退」政策』。
なお、著者、川名晋史は、1979年、北海道出身とある。『日米地位協定』を著した山本章子(1979年、北海道出身)と同じだ。彼らは別のある本の共著者であると知った。彼らは、子供の頃、在日米軍を見たことはなかったのであろう。おいらもなかった。この時代米ソ冷戦時代でソ連軍が北海道に上陸してくるという想定を自衛隊は持ち、北海道には大戦車部隊など自衛隊がたくさんいた。米軍は千歳の通信部隊だけで、1980年代初頭には撤兵した。
すなわち、『基地の消長 1968-1973 日本本土の米軍基地「撤退」政策』にはこの時代(1968-1973)の米国政府は在日米軍は日本防衛のために駐屯しているわけではないことを言明していることが繰り返し紹介されている。つまり、本当に脅威があった北海道は自衛隊が防衛していたのだ。
さて、1979年、北海道出身のふたりが日米関係、基地問題の研究者。 ただの偶然か? 何か意味があるのか?
そして現在;『基地の消長』の消は東京の米軍基地の整理、長は沖縄のことだ。米軍基地の移転先だ。今の首都圏の人は米軍基地の存在をそんなに気にしているようには見えない。占領の継続であると屈辱感に囚われているは、おいらなど少数派に違いない。この背景は米軍の整理・統合というより不可視化なのだと『基地の消長』はいう。なるほど、そうだ。米軍は占領開始の時以来、70年にもなるのに、ずっといる。横田、座間、横須賀、相模原などなど。自衛隊とも基地共有となり、不可視化を促進しているのだという。
何より、1968-1973 と一番変わったことは、ドルの暴落=円が強くなったことだろう。
▼ 『アメリカの世紀と日本』
ケネス・パイルという歴史家を知らなかった(wiki)。1936年生まれで、存命。85歳。安倍政権の集団的自衛権の解釈改憲をも書いているので、最近までの日米関係をもフォローしている。でも、その安倍政権認識は凡庸な「リベラル」で、おいらは、反感しかもてなかった。特に、安倍政権が内閣法制局を制御して解釈改憲をしたことを、官僚から権限を奪ったという表現を用いている。しかし、官僚を制御することが民主的なのではないのか?そのくせ、ケネス・パイルは民主主義、民主主義という。ケネス・パイルの言い分は、内閣法制局を制御した安倍政権は憲法違反なので、民主的ではないという主張なのであろうか?
そうであるなら、これまで内閣法制局をして集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法は、占領下の軍事独裁制で制定された、ハーグ条約違反のしろものである。
ケネス・パイルはそのことを知っているのだ。というか、この『アメリカの世紀と日本』とは、米国がが軍事占領下で専制的に民主主義を日本で実現させた事情を描いている。その背景と実現させた根拠は無条件降伏だ。
無条件降伏して恣に改造され、主権=交戦権を奪われた日本が講和で選べた選択肢は旧安保条約だ。これをケネス・パイルは「覇権同盟」と呼称する。「覇権同盟」とはケネス・パイルしか使っていないようだ。何のことはない、属国、軍事的植民地ということだ。
おいらが、中二病の頃から「平和と民主主義」に反感をもってきたのは、それは占領米軍の支配の方便であると無意識にわかっていたからだろう。のち、江藤淳を読んで、確信した。なお、ケネス・パイル、『アメリカの世紀と日本』には占領軍の検閲について書いてるが、無条件降伏問題も含めて、参照には江藤淳の名はない。五百旗頭眞は頻出するが。
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