いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第296週

2020年07月11日 19時31分31秒 | 草花野菜

▲ 今週の看猫
▼ 新しい街でもぶどう記録;第296週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花

■ 今週の撥水

■ 今週のJR横浜線

ひとりおきで座っている。空いてる席にすわろうとする人がいなかった。

■ 今週も米国文革

Columbus statue toppled by protesters in Baltimore

ボルチモアでコロンブス像を引き倒し

1992年のアメリカ「発見」500年の時は、アメリカ「発見」に批判。でお、当時、コロンブス像引き倒し運動はなかったのではないか?

なお、コロンブスの植民地主義者としての批判は、少なくとも、1981年から認められる。ただし、少数者。

今日の米国では、ほとんどの白人市民がいまだに「コロンブスがアメリカを発見した」といい、「コロンブスがアメリカを侵略した」とはいわないし、西部をめざす人口移動を、別の文明の征服とみるより「自然の征服」として概念化する。C. ダグラス・ラミス、『内なる外国』

■ 6/13に追記

6/13 今週の感染爆発:「白人世界で文革コロナ爆発」 に英国文革;港町ブリストルのエドワード・コルンストン像の引き倒しがあった。

Who was slave trader Edward Colston and why was his statue pulled down?

この「事件」をみて、あのブリストルのエドワード・コルンストンかと思った。『興亡の世界史16 大英帝国という経験』、井野瀬久美恵を読んだことがあるからだ。冒頭口絵にエドワード・コルンストンの写真があり、「奴隷貿易の帝国」という過去、と見出しがついている。6/13にはこの本がすぐに見つからなかった。でも、今週出て来た。

この像への疑義が出たのは、1998年1月に Slave Trader (奴隷商人) とスプレー缶による落書きがあったとのこと。街に衝撃が走ったと井野瀬久美恵は書いている。でも、逆にいうと、1998年まではブリストルの街が奴隷貿易で栄えたことを特に意識していなかったことにもなる。

そして、今年2020年にエドワード・コルンストン像の引き倒し。この時間の経緯は何なのだろう?

ひとつは、もう20年以上になるmulticulturalism(多文化主義)の影響、あるいは、ポストコロニアル理論の一般への普及というのもあるのだろうか?

それにしても、明治維新の頃も敗戦の時も米英は奴隷貿易で資本蓄積して社会を建設したという認識は日本人に広く・深く共有されていなかったのではないか? 奴隷貿易、奴隷制(ペリーが来航したとき米国はまだ奴隷制が残っていた)をもっていた英米を「文明」と認識していた日本人が悲しい。敗戦時も米国には黒人への人種差別があったのに、公民権さえなかったのに、米国の民主制をありがっっていた日本人が悲しい。 無知は悲しい。

 

 



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