いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今度読みたい親米派@敗戦で「奴隷状態から解放された」 常盤新平@武相境

2020年07月12日 10時47分37秒 | 武相境

愚ブログの「親米派」シリーズ;①黒塗りの家に住む親米派②赤レンガの家で中国整体を営む親米派、③蔦に覆われちまった親米派④犬を連れた親米派⑤絵にかいたような「親米派」⑥ネット広告でみた親米派@真打=米軍ハウスに住みたい!に続く第7弾。

直木賞作家、常盤新平。『遠いアメリカ』が、第96回直木賞、1986年。その『遠いアメリカ』の内容というのが、"アメリカにあこがれペーパーバックを読みあさり、翻訳の勉強にいそしむ大学院時代の自身を描いた自伝的小説" とwikipediaに書いてある。

おいらは、常盤新平を読んだことがない。でも、なんとなく知っていた。翻訳家だし、『遠いアメリカ』という対米憧憬意識のある人なんだろうと。今、たまたま手元にある雑誌『文藝春秋』2018.8月号の坪内祐三、人声人語 連載182にある;

(1980年に)書店に内容見本が差してあるラックで素晴らしい刊行物を見つけた。『ハッピーエンド通信』だ。同人をつとめていたのは常盤新平、川本三郎、青山南の三人で作家デビューしたばかりの村上春樹もよく登場した。

今度読んでみたい、常盤新平、『遠いアメリカ』。

さて、最近、その常盤新平にネット検索であたった(hitした)。仙台の進駐軍(当該ブログ記事)について調べるためネットで検索すると;

中学2年の時に終戦を迎え、焼け跡のバラックで雑誌『ライフ』を購入。アメリカへの憧れを抱くようになる。アーウィン・ショーの短編小説『夏服を着た女たち』に出会い、翻訳家への道を歩み出す。町田市民文学館 「常盤新平の業績」企画 

東京都町田市と仙台は関係ないはずのだか、なぜかしらhitした。調べるとわかった。常盤新平は仙台で育ったのだ。(仙台戦災地域

小学校時代に仙台市に落ち着き、高校卒業までを同地で過ごした。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文科卒。同大学院修了。(同上wiki)

常盤新平は敗戦時14歳。米陸軍第八軍の第11空挺師団が占領する仙台で18歳まで過ごし、東京に出たらしい。仙台の焼け跡のバラックで雑誌『ライフ』を購入。アメリカへの憧れを抱くことになる。

もっとも、常盤新平は仙台第二高等学校(この時代ならまだ旧制かもしれない;旧制仙台二中)に通学していたのだから、進駐軍の基地の横である(関連愚記事;仙台川内大工町段丘崖;あるいは、子供ながらに魅せられた陥落街)。ゆえに、『遠いアメリカ』、って...(???)

■ 常盤新平@2003

 Amazon

2003年のイラク戦争を受けて、識者の対米観を集めた本;

アメリカよ、どこへ行く? イラク戦争で浮き彫りにされたアメリカの姿をどう読むのか。マスコミにはない核心に迫る見解を提言、アメリカという国の本質がみえてくる。各界28人のアメリカ通による緊急提言。(上Amazon)

この本内容に関する情報は、 書評;『アメリカよ!』、澤喜司郎  にある。

のち大量破壊兵器が発見されなかったイラク戦争の正統性が問題となっていた。開戦前から米国はイラクの民主化をイラク戦争の目的に挙げ、あまつさえ、日本を占領モデルとして、戦争の正当化を図った。

つまりは、戦争の結果、イラクの被占領民は「自由」と「民主化」で喜ぶだろう、と米国(子ブッシュ政権&支持国民)は信じていたということだ。そういう米国人は、日本の常盤新平の2003年の1945年についての発言を見て、ほら、そうだろう!と、自分たちの信念を確実なものにするだろう。

常盤新平は、猿谷要 編『アメリカよ!』に寄稿した文章に書いている;

 対イラク戦争にもアメリカは正義を振りかざした。多くのアメリカ人はそれを支援している。私もサダム・フセインの追放に賛成した。民を飢えさせ、反対する者を平気で拷問にかけ殺害するという残虐な独裁者は早くいなくなってもらいたい。北朝鮮についてアメリカが妥協しないのも納得できる。
 ダグラス・マッカーサーはミズーリ艦上で日本国民を奴隷の状態から解放したと宣言した。私は燈火管制から解放された八月十五日の夜を忘れることができない。戦争が終わるまで私たちはまるで自由がなかった。イラクや北朝鮮と同じ状態にあったのだ。そのかわり戦争でたくさんの人が命をなくしていった。そのこともまた忘れることがでけいない。 (常盤新平、「謙虚な国」、猿谷要 編『アメリカよ!』)

なお、常盤新平、「謙虚な国」は上記のことを書いて、”いま、私がアメリカに望むことが、謙虚であるということだ。”と締めくくる。正直、論旨がわからない。米国が謙虚などいうことが想像できない。特に、常盤新平の文章のわからなさは、戦時下に自分が奴隷状態であったのか明言、断言していないことにある。それは端的に下記部分にある。奴隷状態であったと認識しているのか?していないのか?;

ダグラス・マッカーサーはミズーリ艦上で日本国民を奴隷の状態から解放したと宣言した。私は燈火管制から解放された八月十五日の夜を忘れることができない。戦争が終わるまで私たちはまるで自由がなかった。

さて、史実として、ダグラス・マッカーサーはミズーリ艦上で日本国民を奴隷の状態から解放したと宣言したのか? おいらは、そのようなマッカーサーの発言は確認できていない。ミズーリ号上でのマッカーサーの演説とされるものの情報がネット上にある。

ミズーリ号上でのマッカーサーの演説 (引用元)

上記演説の日本語約(津島一夫訳)

    われわれ主要交戦国の代表は平和を回復する厳粛な協定を締結するため、ここに集った。色々な理想と思想にからむ問題は既に世界の戦場で決定されており、もはやわれわれが討議すべきものではない。また地球上の大多数の人々を代表するわれわれは、不信と悪意と憎悪の精神でここに集ったわけではない。
     勝者も敗者も含めてわれわれに課せられていることは、われわれがこれから追求しようとしている神聖な目的にふさわしい,より高い尊厳を目指して立上がりわれわれ全ての国の国民がここに正式に引き受けようとしている責務を忠実に課すことを誓うことである。
     この厳粛な式を転機として,流血と虐殺の過去からよりよい世界、信頼と理解の上に立つ世界、人間の尊厳と人間の最も渇望している自由、寛容、正義の完成をめざす世界が生れてくることを私は心から希望している。それはまさに全人類の希望でもある。日本帝国軍隊の降伏条件は諸君の前にある降伏文書の中におさめられている。
     私は連合国最高司令官として、私の代表する諸国の伝統にもとづき、降伏条項が速やかにかつ忠実に実行されるようあらゆる必要な措置をとる一方、私に課せられた責務を正義と寛容の心で果す決意であることをここに宣言する。

奴隷あるいは奴隷状態とはいっていない。

■ 常盤新平@武相境;谷戸を潰す親米派

常盤さんは、1994年から2013年に81歳で亡くなるまで町田市で過ごした(町田市民文学館 「常盤新平の業績」企画 )。 上記wikipediaには、東京都町田市つくし野在住、とある。


GoogleMap [つくし野]


印は、東急田園都市線つくし野駅。画像左:1960年代の航空写真、右:現在

別に、「親米派」であることが谷戸を潰す本質のわけではない。ただし、東京「郊外」(郊外と呼ぶには遠すぎる)の丘陵地帯を切り開いて振興住宅を建てたところに住む人たちの多くは、戦後の"日本人の「生活のアメリカ化」[1]"の流れで出現した人たちであろう。生活親米派だ。

[1] 駅は芦屋川の上にあった。川の両岸は閑静な、見知らぬ高級住宅街である。(中略)このままでは「中流の生活。」に落ち着いてしまうという恐怖ー。併し会社の同僚たちはみな「中流の生活。」を目指していた。あんな生活のどこがよくて。ピアノの上にシクラメンの花が飾ってあって、毛のふさふさした犬がいる贋物西洋生活。ゴルフ。テニス。洋食。音楽。自家用車。虫酸が走る。あんな最低の生活。私の中の「中流の生活。」への嫌悪感。
車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』

 



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