老人
大きな声で中国語を話しながら自転車で行く家族
板橋区立 熱帯環境植物館に行った帰りに、高島平団地を見物した。
昭和の成仏のために、だ。
さて、高島平団地ができたのは1970年代初期。今からみれば、まだ、オイルショックは来ず、高度成長経済期の最末期であった。
今では、老人や外国人が目立つ高島平団地。
できたばかりの当時はどんな人たちが入居したのだろうか? 経済的側面だけを見る。
その前に高島平団地を賃貸ししていたのは当時の住宅供給公団、いまではURとなっている。
そして、高島平団地の賃貸し住宅の仕様は下記のごとし;つまり今の家賃価格で5-10万円という「家賃帯」の賃貸し住宅。
図1
そして、上記URの資料には、年代別、家賃帯別、世帯総年収が示したあった;
図2 年代別、家賃帯別、世帯総年収 (最下段のサラリーマン平均年収はいか@が追記)
1972年にできたらしい、高島平団地は家賃水準5-10万円である。なお、この5-10万円は現在の貨幣価値に変換していると思われる。
そして、その高島平団地の家賃水準5-10万円に賃貸入居していた人たちの総収入は412-529万円なのである。
ここで、1970年代の総収入は412-529の万円の意味を考える。 図2の下においらが追記した通り、総収入は412-529万円の人たちが高島平団地に入居した時代、日本のサラリーマンの平均年収は115万円なのだ。 根拠↓
年次統計;サラリーマン年収
■ まとめ
高島平団地は昔は、当時の社会で相対的に年収が多い人たちが住んでいた。
今は、高齢者が40%だそうだ (wiki)。