いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

1960年の占領米軍兵士@インテリ、あるいは、Ah, So、"外人べ兵連だがバカにできない"、呉智英

2020年08月12日 16時11分53秒 | 日本事情

昨日の記事;昭和天皇に謁見した米兵(対敵諜報部隊)の話、あるいは、アレン少尉、この夏新盆で;

アレン少尉の日本占領への従事の回顧録 "A very intimate occupation" の第11章が鹿児島での昭和天皇への謁見のことが書かれている。その第11章の表題が Ah So! である。もちろんこれは昭和天皇の口癖の「あ、そう」によるものだろう。でも、アレン少尉の回顧録ではこのAh So!については説明していない。

と書いた。昭和天皇と直接会って、「あ、そう」と聞いたに違いないアレン少尉は、「あ、そう」=Ah, Soと聞いたに違いないので、表題にAh, So!と書いた。でも、「あ、そう」=Ah, Soは昭和天皇の口癖であるとの説明は書いてない。そもそも、「あ、そう」=Ah, Soの意味が説明されていない。アレン少尉のこの回顧を読むアメリカ人、あるいは英語人は、理解できるのだろうか? おいらは、そう思った。

■ 英語辞書に載っている Ah, So

結論を言うと、Ah, Soは英語の辞書に載っているのだ。知らなかった。


https://www.lexico.com/definition/ah_so

Ah So は英語になっているのだ。日本人が肯定的確認を表明するとき使う言葉として。Oxford English dictionaryにも登録されているらしい (ソース)。したがって、昨日のアレン少尉の本の Ah Soに特に説明がなくとも、アレン少尉の本を読む日本通の人はわかるということらしい。

■ なぜ、わかったか?

「Ah, So」、「米兵」、「昭和天皇」という3点で思い出した。呉智英の『読書家の新技術』、1982年刊という本にC.ダグラス、ラミスの『内なる外国』が出てくる。呉智英の読書カードの作り方の事例となっているのだ。なお、下記に見れるように、呉智英はC.ダグラス、ラミスを「外人ベ平連ということだが、バカにできない」とメモっている。ベ平連#1は呉智英さんからはバカにされる対象であったとわかる。ここで、「外人」がどういう効果を持っているかは不明。理論的には、ベ平連にバカにされる要素はなく、「外人」だからバカにされるという可能性も排除できない。ただし、歴史はハードコア左翼はベ平連をバカにしていたと伝えている。

#1 ベ平連:ベトナムに平和を!市民連合 wikipedia。 今となっては、KGBから資金を受けていたと明らかにされている。

上の呉の読書カードには昭和天皇はでてこないが、本文に出てくる。文脈は無視して抜き書きする;

今上天皇の口癖とされる「アー・ソウ」が、どの本に記載されていたか、わからなくなってしまう。しかし、項目カードがあれば、逆に検索できるのである。しかも、欧米人のアジア観(日本も支那も朝鮮も、一国の州か県のように思っている)という項目からも検索が可能なのである。(呉智英の『読書家の新技術』[1]、1982)

今から見れば、Ah So をググればわかった話だ。でも、ググるまで、Ah Soが検索語になるとは想像がついていなかった。おいらのアタマが硬いのだ。ただ、問題があると知る。Ah So は日本人しか使わないのだが、アジア人がAh So を使うというステレオタイプがあったらしい。転じて、アジア人といえば、Ah So といういう人たちというステレオタイプがあったらしい。

■ 1960年の占領米軍兵

呉智英にといわれた「外人ベ平連ということだが、バカにできない」は、元は、占領米兵だった。1960年の占領米軍兵。昨日のアレン少尉は1945年の占領米軍兵であったが、C.ダグラス、ラミスは1960年だ。1960年で占領米軍兵士とはおかしいではないか?1952年の講和条約で占領は終わったはずだ。それとも、あれか?日本永久占領論にたって、「1960年の占領米軍兵」といっているのか?と思われるかもしれない。いや、確かに、C.ダグラス、ラミスは1960年の占領米軍兵であった。まだ米軍支配の沖縄にやって来たからだ。

C.ダグラス、ラミスは1960年の状況を語っている;

 沖縄について私は、そこへ行くまで文字通り何ひとつ知らなかった。いったいどこにあるのか、どこの国の領土なのか(もっとも当時確信をもっていえる人は少なかったが)、いったいどんな種類の人びとが住んでいるのかさっぱりわからなかったのだ。その反面、米国で海兵隊に入って二年たった経験から、沖縄についておぼろげながらエキゾチックなイメージをつくり上げていた。海兵隊という組織の文化では、アジアのイメージは非常に強力なものとして存在している。これは別に驚くにあたらない。海兵隊は日本を相手に戦い、ついで朝鮮で戦争をし、三つの艦隊のひとつを沖縄に駐留させていた。そしていうまでもなく、当時のわれわれの仮想敵国は中国だった。しかし平均的海兵隊員にとって、これら三国の区別ははっきりしないまま理解され、しかも第二次世界大戦から朝鮮戦争(後にはベトナム戦争)にいたるまで米国がとった政策は、あまりに複雑で意味が通らなかった。海兵隊文化は、はるかに単純なやり方でこうした戦争政策に連続性をもたせた。つまりすべては単一の原型である敵、「グーク」(アジア人)を相手にした戦争であるとみなしたのである。アメリカ人の人種主義的俗語では「グーク」ということばはあらゆるアジア人を意味する。
 今でも忘れられないのは、一九五八年、士官訓練学校の教官のひとりで、授業中にユーモアをとばすので人気があった大尉が話したことだ。彼は私たちに向かい、自分のいる位置を隠すとき木の枝をさかさまにしたら、葉っぱの裏が丸出しになって「丘から見下す『ジョウ・グーク』がアー、ソウというだろうよ」と語ったのである。若き中尉たちは大喜びで笑ったが誰ひとり「敵」が米国の同盟国の言葉をしゃべるのは変だとは思わなかった。実際、それが何語かを知っている者はいなかっただろう-海兵隊文化では、「アー、ソウ」というのはあらゆるアジア人が使う表現に他ならなかったのである。(C.ダグラス、ラミス、『内なる外国』)

■ Gook;グーク

 さて、C.ダグラス、ラミス、『内なる外国』を、最近、読むまで、Gook;グークを知らなかった。アジアア人を十把一絡げにした蔑称らしい。端的にはリキシャ(人力車)を引く辮髪で下駄を履いた黄色人というイメージとのこと。ただし、今、googleの画像でgookを検索しても上記のようなイメージ画像は出てこない。

● まとめ

ah so、gookという米軍兵士の言葉とステレオタイプについて知った。

1949年に「あー、そう」を連発していたに違いない昭和天皇に会ったアレン少尉の時代から10年、米兵はよほど日本人から「あー、そう」と聞いたのだろう。だから、「丘から見下す『ジョウ・グーク』がアー、ソウというだろうよ」という神話ができたのだ。

[1]

 

 

 



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