いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

パレンバン 「空の神兵」の稽古場

2005年09月19日 18時48分13秒 | 仙台・竹雀・政宗

筑波山の西、つくば市(旧大穂町)西高野。

ここ西高野と両隣の吉沼と大砂、そして小貝川を挟んだ大園木、は江戸時代において仙台伊達家飛び地、常陸領1万石のうちの通称吉沼3千石。





池と農地。何の痕跡もなかったが、ここは大日本帝国陸軍航空士官学校西筑波分教場、西筑波飛行場があったはずの場所です。今日は雲って筑波山もかすんでいた。

夏草や つわものどもが 夢のあと

空の神兵 作詞 梅木三郎・作曲 高木東六

シンガポール陥落前の2月14日、空挺部隊がパレンバン油田付近に降下作戦を敢行した。
油田と精油所を敵の破壊前に確保するためには、シンガポール陥落以前に実行する必要があった。
この攻撃の為の航空兵力は陸軍機140機、海軍機180機で、主力はボルネオ、一部はマレーにあった。

2月14日 1126 主力はパレンバン飛行場南部に、一部は飛行場西側に降下した。
第1挺身団(団長久米精一大佐)第2連隊からなる降下人員430名である。
投下した武器・弾薬が入手できるまでは、各自携行した拳銃と手榴弾のみで攻撃、飛行場に進撃した。
英・蘭・濠連合の守備隊(約500名)は装甲車で応戦、市街の兵舎より増援部隊が疾走してきたが、
降下した我が部隊はこれを攻撃ののち、2100頃飛行場を占領した。
放火により製油所工場の一部に火災が発生したが、大規模破壊は避けられ作戦は成功した。

2月15日 第2悌団の降下と併せてパレンバン市街に突入、同市を占領した。
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-ranin2.html


この絵の要点は、落下傘で着地したあと兵士が拳銃で攻撃しているところです。

その「空の神兵」となった第1挺身団はこの筑波山麓の西筑波飛行場で猛訓練を受けたのでした。(『大穂町史』)

昭和17年、蘭領インドネシアに、海軍、陸軍それぞれが落下傘部隊を投入した。海軍はセレベス島メナド。一方、陸軍はスマトラ島パレンバン。陸軍の方が時期が遅いのであるが、新聞が「空の神兵」と誉めそやし、歌「空の神兵」がヒットしたので、パレンバンの方が有名となっている。これは、陸軍の宣伝勝ちだ。

その後、西筑波飛行場では、滑空飛行部隊(グライダー)が駐屯、訓練していたが、フィリピンに出撃。ほとんど全滅したとのこと。

パレンバン作戦ののち、戦時中に西筑波飛行場で訓練したひとの回顧サイト

亡くなったひとについてのサイト

戦後、西筑波飛行場は農地となり、昭和40年ころまで残っていたらしい施設跡など、今はない。


中産階級の没落 ニューエコノミー

2005年09月17日 21時19分36秒 | その他
■今回の選挙結果を見ても、日本社会はやはり激しく変わりつつあることがわかる。それ以上にどう変わっていくのを見通すと暗澹たるイメージしか浮かばない。

::以下、メモ/ノート ::

■日本社会と対比して米国社会を調べてみようと思い、既読・積読の本から、佐々木毅『現代アメリカの自画像-行きづまる中産階級社会-』、エイミー・チュア『富の独裁者』、山室義正『米国の再生-そのグランドストラテジー-』をbrowsingした。『現代アメリカの自画像-行きづまる中産階級社会-』は1995年の出版であり、1997年の日本の拓銀破綻、山一證券破綻などの破綻明確化の直前であり、今では信じられないことではあるが、1980年代後半の日本バブルと米国の衰退という状況を受けて,1990年代前半の米国の自己再生、特に1992年の大統領選、クリントン政権誕生の前後を、政治思想、政策を軸に米国の現状分析を佐々木が行ったものである。この時、1980年代後半の米国の危機が端的に中産階級の没落という社会現象であらわれていた。つまりは、がんばっても親以上には豊かになれない米国中産階級という現象である。おいらは1995年頃この本を読んだとき、米国ってやっぱ斜陽だよなと思い、まさか日本が中産階級没落の渦中に飲み込まれるとはつゆも思わなかった。

■この、佐々木毅『現代アメリカの自画像』は1995年の出版で、その後の話は書かれていない。今回おいらが、米国事情をちょっとしらべようと思ったキーパーソンが、ライシュである。ライシュはクリントン政権で労働長官をした。その前に『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージ 』を著し、政策提言をした。提言したのは’積極的経済ナショナリズム’である。その後、R.ライシュはクリントン政権終了後(?)『勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来』を著し、90年代の米国経済を総括している(らしい)。ので、今日、『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージ 』、『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージ 』をアマゾン・中古で注文した。

■山室義正『米国の再生-そのグランドストラテジー-』では、第3章、クリントン政権の財政経済戦略と米国経済の再生、においてライシュの政策が解説してある。すなわち、政府が高付加価値産業の創出を促進し、他国との競争に打ち勝つことが米国に繁栄をもたらす、との主張・政策。そもそも、この本『米国の再生-そのグランドストラテジー-』は、「クリントン政権下の経済繁栄は、カーター政権での「強いアメリカ」再生を目指す政策構想が、グローバル経済という環境下で空前の経済繁栄として結果した。そのメカニズムを分析したもの」と著者、山室は書いている。

■米国の空前の経済繁栄として結果の一面として、米国内の富の偏在、中産階級の没落、貧困層の増大、さらにその貧困層のキリスト教原理主義化などがある。『勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来』の内容は;

消費者市場主義時代の幕開けで、労働者にとって過酷な社会になりつつある。米国社会を分析し、勝者であり続けるために何を犠牲にすべきかという問題を解き明かす。

だそうだ。

●さて、その没落した米国中産階級がなぜ、まがりなりにも、安定しているか?というメカニズムについて、エイミー・チュア『富の独裁者』では、アメリカン・ドリームという特異なもののメカニズムを指摘して;

 アメリカでは、「中の下」以下の階級に資本主義の熱心な支持者が目立つ。こうした階級のなかには、億万長者に好意的で、福祉への依存を嫌う人が驚くほど多い。このような人々は共和党を支持し、税率の引き上げに反対する。政府の干渉や所得再分配制度には大反対だ。
 なぜこのような傾向がみられるのだろうか。その理由のひとつが、アメリカン・ドリームである。アメリカではかなり多くの人が、「有能で、勤勉で、起業家精神に富み、それほど不運でない人なら、どんな階級の出身者でも豊かになれる」と考えている。



今日から秋

2005年09月16日 19時42分07秒 | その他




■昨晩から涼しくなり、今日は昼間でも真夏の暑さは過ぎた。やっと秋だ。

▼今回の小泉・自民の勝利の推進勢力が(首都圏)20代の若者群だそうだ。ここで、(首都圏)と書いたのは首都圏で自民ひとり勝ちだったので、特に首都圏の若者が自民支持だったのでは、というおいらの推定に基づく。

▼では、なぜ20代の若者群は自民党を支持したのであろう?

勝谷誠彦さんは彼の日記:■2005/09/09 (金) 新人類よ団塊の世代よいざ闘いだ投票所へ行こう。 http://www.diary.ne.jp/user/31174/で述べている;

もうひとつは都市部における20代30代と40代50代の意識の乖離だ。今回の自民党に吹いている「風」は前者の「恐るべき子どもたち」による。「投票にいこーぜ」ではなくて最初から「小泉いいじゃん」と投票所に行くらしい。年収100万以下の連中が安定身分の公務員を切るという小泉さんへの共感とエセエリート臭紛々の松下政経塾上がりの民主党若手候補への反感から動いているのだ。ニートも引きこもりもその巣から出て投票に行くのだろう。税金も年金も払っていない非納税者が有権者としてこの国の運命を決める。

例によって勝谷節なのであるが、反感 というのはやはりキーワードではある。そして、勝谷の指摘する反感はあるのだろう。

つまり、首都圏20代若者群の、反感を、おいらは、知りたい。もちろん、そもそも、本当に彼らが反感をもって生きているのか?もし反感をもっているなら、何に対して?

●この反感に敏感なのが、ブログ・「そなたんパパの備忘録」の記事<政治・社会>次の「敵」は誰か?です。http://seutaro.exblog.jp/ において;

ところで、これは前から感じていたことだが、今の若い世代(特にネットでよく見かける論客)には、「被害者意識」が非常に強い。これだけ不況が続き、若年層の失業率が高ければ当たり前だという気もするが、経済的な側面ばかりではなく、とにかく「戦後社会」に対する怨嗟で満ち満ちているように感じる。そこで、適当に「加害的存在」を意味するキーワードを挙げてみると、次のような感じだろうか。

既得権益(内容は曖昧)、高齢者、公共事業(地方による中央の収奪)、役人、規制に守られた企業、ゼネコン、労働組合、日教組、マス・メディア(特に朝日新聞)、人権派(フェミニスト含む)、市民運動(プロ市民)、親中派、親韓派、在日朝鮮韓国人、中国、韓国、アメリカ

無論、適当に挙げただけなので体系性はまったくないが、このなかで次の「悪玉」もしくは「敵」を探すとすれば何になるだろうか。

と書いている。

●若者の間で、「戦後社会」に対する怨嗟で満ちている、とのこと。これは全く正当なことといわざるを得ない。なぜなら、先行世代はまだ幼少の自分達に債務をつけ回すことで「国家」の運営を行ってきたのである。選挙権を持った時点で1000万円近い債務を背負ってこの国の国民を生きなければならないのである。

参照:ハコフグマンさん、 若者よ、選挙に行こう

●ただ、その怨嗟の向け先はまさに「戦後社会」を主導した「愚民党」であるべきなのだが。

●一方、こういう報道もある。日本国民であること「誇り」9割…読売世論調査 その中で、国際社会での日本の地位についても、日本は「国力などに見合った地位や尊敬を得ていない」と不満を感じる人が65%に上った。これは若者だけを対象とした調査ではないが、回答者の9割が本国民であることに誇りをもつのであるのだから、若者もそうなのだろう。つまりは、日本国民であることのナルシズムが十分満たされていないというフラストレーションが底にはある。戦争が終わって40年もたって生まれたのに、戦争について若者までもがとやかく言われるこの「戦後社会」に怨嗟を向けるのも無理はないかと。だって、平和主義者って平和をダシに商売してるってばればれ。


自衛戦争をも明確に否定


Son of 「バカヤロー」





我が鏡像

2005年09月15日 19時57分27秒 | その他
日本人は鏡に映る自分の顔にむけてつばを吐きかけた。

内田センセ 『勝者の非情・弱者の瀰漫』


我が鏡像
あるいは、
愚民党への濡れ落ち葉

聖子ちゃん:自民すがりつき。
日本:対米すがりつき。

自己否定の契機をまったく含まないままに「自分とそっくりの隣人」を否定して溜飲を下げるというこの倒錯を私は「特異な病像」と呼んだのである。

自己否定って、どうやって可能なのかな?

だれかおしえて!


現職天皇の戦没死

2005年09月14日 21時07分52秒 | その他




現職天皇の戦没死ってすんごい表現だ。この言葉羅列は(神のみぞしる)日本史上書かれたものデータバンクにもないかも。

総選挙の1週間前の日曜日、大河ドラマにおいて帝が戦場にて崩御なされるお話がなされました。日本史上において帝が戦場にて崩御されることは安徳帝以外にありますでしょうか。

そういうお話が、日曜の夜、日本全土に電波に乗りますた。

そのお話。帝が崩御されたのに源氏の武将で狼狽するものおらず。

心配することは、三種の神器。



現職の帝ですたが、戦陣に散り戦禍に倒れますた。

大君の辺( へ)にこそ死なめ かへりみはせじ;

おいらの辺( へ)にこそ死なめ かへりみはせじ

海ゆかば、おいらずすんが、コケムス シカバネ。



田吾作の天皇利用という日本語もすごいですけど。







小泉さんの謎

2005年09月13日 22時28分38秒 | 日本事情
9/13

■なんだったんだ小泉・自民大勝、について考える。どう考えるかというと、投票したのは国民(総体)なのであるから、小泉・自民に投票した人の気持ちを知ればよい。しかしながら、これは難しい。周囲には自民党に投票したひとが大勢いるのであるから聞けばいいのだが、それはあなたはどんなセックスが好きですか?と直接きけないごとく、そう簡単に聞けるものではない。つまり不可知である。

■えりーと・つすきずんのセンセ方におかれては、小泉新自由経済体制で損するはずの雑民がなぜ小泉・自民党を支持するのか?不可思議と疑問をもっておられる。例えば山口二郎センセ;

小泉路線で損をするはずの人々がこぞって小泉改革に喝采を送り、テレビや新聞がそれをはやすという構図は異常としか言いようがない。http://www.yamaguchijiro.com/

この異常事態を衆愚と言い切ってしまう弁護士センセもいらっしゃる。『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記; http://sky.ap.teacup.com/takitaro/

彼、選挙上手なんです。昔、政治学を学んだとき、政治という者は、国民を中学生だと思ってするものだ、と聴いた記憶。どんなに学歴平均があがろうと。
 それを認識していない野党も野党だが。
 票を動かす為には、確かにそうなんですよね、大衆社会というもの。


やっぱり、意地が悪いのは宮台センセは http://www.miyadai.com/index.php?itemid=283

過剰流動性と生活世界空洞化で不安になって「断固」「決然」の言葉に煽られる「ヘタレ保守」です。

と言い切ってしまう。

(ここのブログ・次はインテリゲンチアの再編で!by Parsleyの「添え物は添え物らしく」http://yaplog.jp/parsleymood/archive/262#tb宮台、山口へのコメント)

■そんなきびすいご意見に対し、ブログ「たゆたえど沈まず」さんは;
http://plus-ultra.cocolog-nifty.com/ultra/2005/09/2005_8ef4.html

民衆の声に耳を塞いではならない。民衆と共に歩く視線を失ってはならない。民衆を呪った時、どうしてあなたがたの言葉が彼らに届くだろうか。これは、まだ、民衆の勝利ではない。しかしあなたがたの敗北である。
民衆を侮蔑し、その心を思いやることを怠った、あなたがたの敗北である。彼らのあせりと怒りを嘲笑したあなたがたの敗北である。


と書いている。この記事にかぎらず読む価値ありブログ。

▼さて、以上は投票した国民はなんであったのか?をめぐる答えの出ない考察である。今度は小泉さんの謎について考える。小泉さんは体系的なイデオロギーを持っているのだろうか?それとも無意識にやっているのだろうか?小泉さんの頭脳の中身は置いといて、小泉さんの政治行動はむしろ体系的・イデオロギー的と言える。すなわち、国内的には新自由経済主義。官僚とつるんで所得を再分配してきた(つまりは福祉!)保守グループの撲滅。対外的には対米協調・対米従属、対中強硬姿勢。サッチャリズムの日本版だ。ただし、小泉さんは行動上の「敵」、つまり旧田中・竹下派や中国を、敵視・批判・批難・罵倒する口撃は絶対しない。しかしながら、実際には粛清し、靖国参拝で挑発している。なぞだ。全てわかっていてやっているのか、無意識にやっていることが結果的に体系的なのか?わからない。

▼こういう政治姿勢は、中曽根さんと大違いである。中曽根さんは、イデオロギー的であり、自分の世界像を明瞭に言語化し他人に喧伝する。だから時にしゃべりすぎて、まだ懲りないのかこのおしゃべり野朗!と同僚議員にさえ罵倒される。知識人も好きだ。知識人と世界像を競って喜んでいる。一方、中曽根さんは近代主義者である。皇室や靖国神社さえも手段とする。すなわち、終戦直後はひろひとさんは退位すべしと吉田茂に国会で勧告し、中国がなんか言えば靖国参拝も辞める。損得勘定はしっかりしている。だから風見鶏は朝飯前である。評論家プラス日和見政治家である。

▲この中曽根さんと比較すると、小泉さんは違うな、とわかる。おしゃべりしないけど、すごいことやっている。職人的、芸術家的政治家である。政治的感と決断に優れる。

●以上比較列記しただけで、小泉さんの謎は全然解けない。彼は何をめざしているのだろうか?



風見小鳥@家風伝承



『それから』 おいらの場合 政府認定:向いてる職種はありません。

2005年09月12日 20時46分34秒 | その他


昨日は政治家の皆様に審判がくだり、猛暑のなか2週間駈けずりまわったのに、残念だったひとのことなど、ぼーと見・聞きしていた。さて、最近おいらのブログは、おばか、の文字が頻出していた。 ひとをばかっていうひとは自分がばかなんだ、というのはがきんちょのころ学ぶべき警句。 そんな幼少の思い出など頭の片隅にもなく、ぼーっと、ネット遊びをしていてぶつかった「ニュートラ」なるweb site。 go.jpというアドレスは政府系ということだ。 http://www.neutra.go.jp/ 働くことを考えるサイトだそうだ。 その中で、http://www.neutra.go.jp/diagnosis/ 適正適職診断というのがあった。

やった。 まじめに答えた。

結果がこれだ;

診断結果
仕事 どんな仕事にも自信が持てないタイプ
性格 あきらめムードいっぱいタイプ
恋愛 どんな人間かよくわからないので恋にも出会えないタイプ
特に向いている職種は?
? 今回の診断では発見できませんでした。
守りでも攻めでもないタイプ。
つかみどころがありません

内向性(ディフェンス型)
1■□□□□
外向性(オフェンス型)
1■□□□□ どんな仕事にも自信が持てないタイプ
内向性、外向性共に低い結果となってしまいました。あなたは現在とても疲れているか、自信を失っているのでしょう。もし、これが本来の姿であれば、あなたにできる仕事は非常に限られてしまいます。仕事というのは、社会生活の中に参加して、何らかの役割を得ることですから、意欲のない今のままでは、あなたに合った仕事はなかなか見つからないでしょう。何か仕事を頼んでも、そこそこの責任感はありますが、すぐにあきらめて、逃げてしまいがちです。また、人間関係も面倒と感じるので、孤立してしまいそうです。もう一度、自分自信を見つめてください。あなたにはあなたなりの良いところや個性があるはずです。

あきらめムードいっぱいタイプ
あなたのテンション(緊張度)はかなり低い状態です。おそらく、これは本当のあなたではないでしょう。きっと、失恋中か仕事上のトラブル、あるいは非常にイヤなことがあったばかりではありませんか? そうならば、1週間以上時間をおいて、もう一度このチェックをしてみてください。きっと別の診断結果が得られるはずです。もし、そうでなければ、あなたはあきらめムードでいっぱいですね。社会的な常識や道徳はそこそこもっていますが、周囲の人には無関心で、物事に論理性は少なく、創造力も慎重さもありません。もう一度、自分を見つめ直してください。現在、投げやりになっているとしたら、回復するまでゆっくり休んでみましょう。思い切って旅に出るのもいいでしょう。これからの長い人生のなかの1ヵ月や2ヵ月、ゆっくり休んでみたってバチは当たりません。心とカラダをしっかり休めて、もう一度社会に復帰してください。

どんな人間かよくわからないので恋にも出会えないタイプ
もし、あなたがどんなに美形でも、どんなに学歴があっても、この性格では恋にまで発展しません。異性にだまされることは少ないでしょうが、相手から見てあなたはまったくつかみどころがないのです。こだわりも慎重さもなく、気配りもやさしさも不足しているので、恋愛関係にまで発展しないで終わるでしょう。もう一度、自分の個性を見直してください。すべてがネガティヴですから、これはあなたの環境があなたに与えた悪影響でしょう。どんな事情があるかはわかりませんが、友人関係、仕事関係をよく見直して、新しい出発を決心してください。


再教育キャンプに行けってか。



『それから』 岡田克也さんの場合

2005年09月11日 00時09分59秒 | 日本事情
岡田克也さん。 代表も今日まで。

「ぢや帰るよ」 「おれは、もう逢はんから」

「枝野さん。僕は一寸職業を探してくる」

<さようなら。もう帰ってくるな>



「焦げるゝ」

「ああ動く。世の中が動く」


克也は自分の頭が焼け尽きるまで迄電車に乗って行かうと決心した。


  そして、商業の神・ヘルメスに電車で出会い、「おまいの本分はしょーばいだっちゃ」と諭され、支那のスーパーの店長になったのですた。ただ、ヘルメスは、死者の魂を黄泉の国へと導く案内役でもあることには気づきませんですた。


おばかの祭典

2005年09月10日 07時56分11秒 | 日本事情
■選挙はお祭りだ。みんな書かなきゃいられないらしい。ブログは選挙であふれかえっている。日頃は緻密な文章のブログをおくリ続けるデーガクのセンセも、おもわず えきさいと。言語学研究室日誌 。 一方、凡庸やおばかなブログは枚挙にいとまなす。悲惨なのは、選挙なのでできたブログで、「国民は小泉さんにだまされているから」僕が何か書こう、という御仁。こういうことで人の考えが変わると思っている御仁は、そういうおばかな人間観がなぜ形成されたか考察すると思想家になれるかもしれない。こういう底の浅い小泉自民批判は民主党・岡田代表をはじめテレビにあふれている。これは、小泉さんも人生いろいろとか、公約のひとつやふたつ守れなくても些細だ、とか相当おばかだけど、反小泉もおばかだな、という印象を与えて小泉人気の底堅さをささえているとおいらは見ている。

■さて、一般に人間は自分の投票行動を合理的に行うことはできないことは先日述べた。今日は選挙による議会制民主制がいいのか考える。結論は、議会制民主制はsecond worstということでせうか。

■ブログでもテレビでも、小泉自民だ!いや民主党だと口角泡の御仁は、選挙による議会制民主制への非懐疑を前提としている。その点同じ土俵にある。

■現在日本は、国民主権あるいはそれを具現化する政党・議会政治というのは虚構で、官僚に主権がある「官僚主権」国家であると、例えば政治の裏表に通じた早坂茂三は言う。「官僚主権」国家かどうかはともかく、日本は建前として行政・立法・司法の三権分立なのであり、中立の司法を除けば、残る2大権力の行政権と立法権は、少なくとも拮抗状態にある。しかしながら、行政権の権力は絶大であり、なにより毎年二十歳前後のおにーちゃん・おねーちゃんをリクルートする。そして、なぜかしら、そののおにーちゃん・おねーちゃんは自分たちの一生を行政権行使に賭けようと決意するのである。そういう人間の集団が、徴税したお金となにより法律を武器に行政権を行使してくださる。「政府」でありんす。

■おいらも、別に政府さまがよしなにやっていただければ、別に文句もあーりやしません。ところがどっこい、お役人さまはほっとくととんでもないことをやってくださるのだす。

■その潜在的に暴走野郎の政府さまを制御してくださるのが、議会の役割なのです。選挙でその議会の構成員を決めるのですが、決めるの上記国家権力の半分の議会の内容なのです。つまり、選挙以前にすでに行政権力は磐石なわけです。政府のお役人だって、議会の勢力状況がどうなろうと自分達の権力体がそのまま維持発展できるよう60年(まあ、明治から)かけてつくり上げているわけです。内閣が変わっても局長や課長は変わらないわけですから。人物そのものが出入りする米国とは制度そのものが違うわけです。

■その行政権を制御するのが議会でできた内閣の役割なのですが、理念や理想はともかく、日本国憲法下でまともに政党内閣が行政を制御した「実績」がないわけです。その端的な証拠が赤字国債の累積です。この赤字国債の累積の原因は行政府にだけあるとは言えないでしょう。むしろ国民の欲望に流された立法府や政党内閣の責任もあるからです。しかしながら、いずれにせよ、日本国憲法下での議会制内閣制度と行政府の作動メカニズムは破綻したと言わざるをいえません。

■その破綻の真の原因は議論がありますが、破綻を起こしたメカニズムの建前が国民主権の日本国憲法ですので、破綻で生じる地獄は国民が生きなければなりません。ただ、選挙権があったのだから、という理由で。まあ、恐怖独裁制による国内粛清戦争よりはましかもしれません。その点、議会制民主制はsecond worstといえるでしょう。