いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 20090919

2009年09月20日 17時40分43秒 | ねこ

けなげにも獲物を見せにきた殊勝なうめちゃん。

村上春樹、『羊をめぐる冒険』における蝗害(こうがい)

 いなごの大群は山を越えてやってきた。はじめのうち、それは巨大な暗雲に見えた。次にぶうんという地鳴りがやってきた。いったい何が起ころうとしているのか、誰にもわからなかった。アイヌの青年だけがそれを知っていた。彼は男たちに命じて畑のあちこちに火を焚かせた。洗いざらいの家具に洗いざらいの石油をかけて火をつけた。そして女たちには鍋をもたせ、すりこぎで力いっぱい叩かせた。彼は(あとで誰もが認めたように)やれることはやったのだ。しかし全ては無駄だった。何十万といういなごは畑に降りて作物を思う存分食い荒らした。あとには何ひとつ残らなかった。
 いなごが去ってしまうと青年は畑につっぷして泣いた。農民たちは誰もなかなかった。彼らは死んだいなごをひとまとめにして焼き、焼き終わるとすぐに開墾のつづきにかかった。

 『羊をめぐる冒険』、羊をめぐる冒険III、1 十二滝町の誕生と発展と転落 (初出1982年、「群像」)


 『羊をめぐる冒険』において津軽からの借金に追われた"食い詰め者ども/逃亡者"がアイヌ青年を雇い旭川より奥地に入植したのが明治13年。史実としての北海道の蝗(いなご)大発生も明治13年である。 

 そして八月四日、思いがけないイナゴ(蝗、殿様バッタ)の大群におそわれた。南方から天を真っ黒にして来襲したイナゴに、移民たちは石油缶をたたき、たいまつをたいたが効果はなかった。イナゴが去ったあとは、緑がすべて消えた。

榎本守恵、『北海道の歴史』、北海道新聞社、1981年


■蛇足ながら、榎本守恵さんは1925年北海道に生まれる、1951年東京文理科大学*史学科卒業、<現在>北海道教育大学教授、とある。この現在とは1981年の時点のことだ。

一方、『羊をめぐる冒険』において参照される郷土史本の著者は昭和十五年・十二滝町生まれ、北海道大学文学部を卒業後郷土史家と活躍、とある。という設定。そして、村上の文章を抜き書きしよう;

しかしこの本(十二滝町史)の考える「現在」とは一九七〇年のことであって、本当の現在ではない。本当の現在とは一九七八年十月のことである。しかしひとつの町の通史を書くからにはやはり最後に「現在」を持ってくる必要に迫られる。たとえその現在がすぐに現在性を失うとしても、現在が現在であるという事実は誰にも否定できないからである。現在が現在であることをやめてしまえば歴史は歴史でなくなってしまう。 

▼ちなみに、うめちゃんの獲物はカマキリです。念のため。

*(→東京教育大学、のち廃学)

毎週、さつきみどり2号を撮っています。3

2009年09月19日 09時19分34秒 | 筑波山麓


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そう思うから、そう見える

2009年09月18日 18時21分44秒 | その他
  

先日の拙記事: なぜ彼岸花は用水路脇に咲くのか? は、検索ワード"なぜ彼岸花は"経由で人を集めた。ただし、集まった人たちの疑問は"なぜ彼岸花は葉がないのか?"であった。 (追加参照拙記事:彼岸花

そうなのだ、彼岸花は葉がないのだ。言われるまで気付かなかった。

目に入っていることと、知ること、あるいは気づくことは大違いだという典型である。

今朝、改めて彼岸花を見直した。当然、葉はなかった。"そう思うから、そう見える"。

さらには、白い彼岸花も生まれて初めて"発見"した。

幕末の天皇発見

 尊攘の志士の多くは、中下級の士族・郷士・浪人・神官・僧侶・学者・医師そして豪家の農商の子弟である。政治上の志をもっていても、これを述べることができる身分にない者たちである。逆にそうであるからこそ、述志の情熱が内に亢進していたと言えるかもしれない。
 外圧の危機があった。そして天皇の発見があった。天皇は、将軍や諸侯を超出した存在であるから、天皇にたいしては身分格式ないし貴賤上下にかかわりなく平等に、直接に忠誠を尽くすことができる。逆にいいかえるならば、志士たちは、天皇への忠誠を語ることによって、身分格式の桎梏から解放されることになる。そして志士たちは、天皇への忠誠を語りながら他にもこれを要請していく。尊王運動である。天皇の意志が攘夷にあるとみて、志士たちはこれの実践にふみきる。尊王攘夷運動である。

井上勲、『王政復古』


▲今日のブログ記事ネタ選定の動機は、すめろぎをめぐる存在と認識が話題となっているからである。→2009-09-15 小林よしのり氏に答える(2)

ああ、存在と認識!; ぬんげんにとってのαでありωである。

なぜ彼岸花は用水路脇に咲くのか?

2009年09月16日 19時54分06秒 | 草花野菜


朝仕事に行く途中、彼岸花を見つけた。この場合と同様に、用水路の脇に咲いていた。


此岸は「こちらの岸」(写真左)、彼岸は「あちらの岸」(写真右)

立派なのはこちら

政治・政局

4年前からは想像もつかない今日の新政権発足。
やはり、正嫡だった。 やっぱ、正嫡ってすげぇーや、蚊帳が付いてきて覆ってくれる。

亀井静香復権もすごい。保利耕輔は相変わらずマイペースだけど、あんな年齢じゃどうにも活躍できないだろう。→お昼にランチを始めた料亭の末路

野田聖子は小選挙区で落選して、前回よりむしろ苦境か。

現行自民党は振り子がまた戻ってくると期待しているのだろう。
でも、どうなるんだろう?
鉄球の振り子が、おんぼろの自民党城を直撃、破壊しないことを、ただ祈るばかりだ。

私は妬いたことがない;あるいは、福田恒存や村上春樹

2009年09月15日 19時33分46秒 | 東京・横浜


屠られた掃除のおじさん

闘いうどん氏が開港博で買った木久蔵ラーメンに現(うつつ)を抜かし、つまりはうどんを啜ることを忘れ、どうやら、推敲に推敲を重ねて、300人委員会加入申請のための自己推薦文か、はたまた300人委員撲滅のための檄文を書いているらしい。

■そもそも日本が300人委員会に着目されるに至ったのは、日本が近代化し、300人委員会が日本を飼えば益を搾りとれるからという打算がなりたつからに他ならない。そんな日本近代化の嚆矢が開国・開港であり、決断したのが我らが井伊直弼に他ならない。きっと、闘いうどん氏も開港博でそっと掃除のおじさんにオマージュをささげたに違いない。

■そんな闘いうどん氏が言及している「福田恒存は渡部昇一を批判していたそうで、」というのは、雑誌「中央公論」、昭和五十六年三月号の『問い質しき事ども』にある(のち新潮社から単行本『問い質しき事ども』、現在は全集七巻に収録)。文脈は、清水幾太郎の論文「核の選択」に対し、福田恒存は「近代的知識人の典型清水幾太郎を論ず」を書き、清水を徹底的に批判した。その福田の清水批判に渡辺が福田を批判するというより清水を助けるようなことを言った。これに福田が怒った。それが、「福田恒存は渡部昇一を批判していたそうで」のいきさつ。以下一部抜き書き;

 あなたは、カトリックを自称しながら、左右の空間を越え、過去と未来の時間を越え、その横軸に交わる縦軸が全く見えないらしい。あなたには生と死が向かい合い、心と物とが出逢う一人の人間が全く解っていない。そういう人間が、国家や国防を論じ、歴史や知的生活の方法を語り、ジャパニーズ・アズ・ナンバーワンなどという夢で国粋主義の頤をくすぐる。あなたの正体は共産主義者と同じで、人間の不幸はすべて金で解決できると一途に思い詰めている野郎自大の成り上がり者に過ぎぬのではないか。
 (当然かなづかいは勝手に修正)

うーん、おとろしい。

■全然話が変わって、お題を私は妬(や)いたことがないへ転換; この「問い質しき事ども」の中でおもしろいと思った福田の発言。つまり、福田が清水を批判した時、周囲に起こったらしいことについて、福田は言っている;

 私が清水幾太郎を批判した時、多くの人々は、先取権を主張したものと思いこみ、嫉妬心から文句を付けたと勘違いしたらしい。が、私という人間と嫉妬心という感情とは、およそ縁がない。嫉妬心に限らず、羨望、虚栄心の類は負の情念であり、余り生産的ではないからであろう。それ故、まさか、そんな風に思う者はあるまい、たとえあったにしても、それを嫉妬からだと言えば、かえって自分のうちにそれがあることを証しするようなものだ、物を書く人間なら、そのくらいの羞恥心や自意識を持っているだろう、そう漫然と筆を執っていたのである。

■一方、村上春樹はインタビューで言っている;

(インタビュアー) それは「僕」のキャラクタリゼーションという部分だけには限らないですよね。村上さんの小説の中ではそういう競争心とか嫉妬心とかそういう意識はすごく小さな位置しか占めてないように思うのですが。

村上 うーん、たしかにそうなんですね。おっしゃるとおりです。それについてはね、僕もよく考えるんです。でもね、正直に言って、それは僕自身の中にそういう意識がやはり希薄だからじゃないかな、と思います。べつにだから僕が立派な人格であるということではなくて、僕は僕なりにひどくいい加減な人間だとは思うけれど、そういう嫉妬とか競争心とか劣等感とかいったような意識はたぶん希薄ですね。(中略)嫉妬心というのもね、そうねえ、あまりないと思うな。女房に言わせると、ぜんぜんないんじゃないかって言うね。

『村上春樹の世界』ユリイカ臨時増刊、1989年


▼うーん、福田恒存も村上春樹も偉い人は、みんなすごい。やれやれ。

おいらみたいにひがみ根性を駆動力として生きているぬんげんとは大違いだ。リアル社会でも「そういうこと言うのは、君の ひがみ だ」と公然と御指摘を受けてるんだからね、おいら。ガンガレ!


And, Can your bird still sing?

2009年09月14日 02時04分16秒 | 

君は、ブルジョアを見たか?

がきんちょの頃、その頃はすでにジョン・レノンが死んでいたのだが、それを受けて彼の伝記などがたくさん出版されていた頃、本屋で立ち読みしていた。

見た、ブルジョア一族集合写真。中心にジョン・レノンとオノ・ヨーコ。
たぶん撮影されたのは1970年代。

その写真を二度と見ていないので、当時の印象の記憶であるが、その写真にびっくりした。こういう人たちが日本にもいるのか!と。一族数十人が写っていたのではあるが、全く違う世界の人たちという印象を受けた。みんな、マンガのようなブルジョアの様相を示していた。もっとも、当時、本当のブルジョアが出てくるマンガなぞなかったのではあるが。

一歩まちがえると、なんちってビスコンティのマンガ映画みたい。その写真は本物なので、そう受け止めるしかないのだが、もしあの写真が映画の1シーンなら、世間からは、マンガ映画だろう!と笑い物になりそうな雰囲気。

もう一度見たいなあの写真。 オノ・ヨーコの出自を知らない人のために、→Wiki オノ・ヨーコ。 彼女は戦前にNY在住 (w)、そのころジョンは貧乏船員の赤子。

戦前日本のブルジョアって、世界で一番金持ちだったと経済史の人が言っていたような記憶がある([要]参照、w)。なぜなら、19世紀後半-20世紀前半には欧米には多少なりとも社会民主主義的風潮が高まり、むき出しの資本主義が抑制されはじめたからだと。でも、日本は違った。

日本の戦前エスタブリッシュメントでも、世界一金持ちの大ブルジョアと、近衛文麿ちのような華族とは状況が違ったのだろう。

この違いを考えるとなぜ公爵近衛が、左右の"貧乏人"の平準化運動に担がれたか、なにより自身が河上肇へのシンパシーを公表するパフォーマンスを行っていたか推定がつく。

『羊をめぐる冒険』の鼠は大ブルジョア子息

で、今日書きたかったことは、『羊をめぐる冒険』の"鼠"は大ブルジョア子息であること。そして、「全共闘」崩れらしい。そして、そして、最後は""を抱え込んで自殺する。で、『羊をめぐる冒険』のこのくだりを読んでいたら下記聴こえてきました↓;

When your prized possessions start to weigh you down
Look in my direction, I'll be round, I'll be round


(拙訳: 世間がうらやむあんたの大資産が、あんたをダメにし始めたら、
俺を見ろよ、あんたの周りにいるぜ)

↓こちらですが、映像がすごい。赤尾敏センセも映っています(0:44当たり)!
You tube; And your bird can sing

●この記事作成の動機は、『羊をめぐる冒険』を昨日来読んだことと、ポールもヨーコも「著作権を死後70年に延長しろ」といってるけどと知ってのことです。それにしても、ジョンは、イマジンでもpossessionに言及。 possessionコンプレックスかよ!とつっこみ。そして、<ヨーコも「著作権を死後70年に延長しろ」>が本当なら、greedyブルジョアに乾杯! 三つ子の魂なんとやら。


毎週、さつきみどり2号を撮っています。2

2009年09月12日 08時29分24秒 | 草花野菜


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(無題)

2009年09月11日 19時04分32秒 | その他


■村上春樹、『羊をめぐる冒険』で、"羊"が「先生」@のち右翼の大物に入り込むのは1936年の春である。

このタイミングに意味があるのだろうか?

1936年の春は、二・二六事件の時期だ。

『羊をめぐる冒険』は三島由紀夫の自衛隊乱入、直後割腹自殺の事件を"僕"と"誰とでも寝る女の子"とテレビで眺めるシーンを、日付入りで、冒頭付近に持つ。

『羊をめぐる冒険』の最後は、"僕"が死んだ"鼠"と会話をする。

死んだ人間との交信といえば、三島の『英霊の声』がある。二・二六事件を扱ったものに他ならない。