千谷由人官房長官の東大時代の同級生ということで、松本健一を内閣官房参与にしたようだが、どういう目論見があったのだろうか。松本ということになれば、彼がデビューしたのは70年安保騒動の前後で、月刊誌「現代の眼」に北一輝を書いていたのを覚えている。どちらかというと、浪漫主義者としての北にスポットをあてていた。それ以降は、新左翼の凋落ということもあって、月刊誌「第三文明」で竹内好論などを手がけていたのではなかろうか。そして、最近では月刊誌「正論」あたりの執筆陣に名前を連ねていたと思ったらば、今度は民主党政権のブレーンになるというのである。会津っぽとしては、会津藩士の秋月悌二郎や広沢安任を世に出してくれた恩人でもある。
しかし、橋川文三がそうであったように、松本もまた、保守派や右翼の運動をおちょくっただけではなかろうか。それが負い目になったのか、橋川は酒に溺れて亡くなったが、松本は一体どこに自分の思想的な軸足を置くのだろうか。一度でいいから聞いてみたい。1976年、松本が第三文明社から『思想としての右翼』を出版した。そこでわざわざ日本学生会議の機関紙「ジャスコ」や「無窮」に言及していた。私もまたその機関紙の愛読者であったので、松本の言い分に耳を傾けようとしたが、新右翼と新左翼と一緒にしたがっているようで、あまりにも通り一遍であった。
民族主義の牙が、大国米国だけでなく、大国中共に向けられることの可能性には、松本はまったく触れていなかった。すでにその当時から、小室直樹などは、米国や中共に対して、批判的な言説を述べていたのに。その松本が民主党政権のために、何を提言するのだろう。「行動する保守」のように、攘夷の動きが活発化してきている。思想というよりも、もっと別なエネルギーがうごめいているのであり、それは松本の理解を超えているのではなかろうか。
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