昭和13年に喜多方駅と熱塩駅間が開業し、県境を越え北に向かって線路がどこまでも続くはずであった。昭和59年に日中線が廃止されたことで、その夢はかなえられなかった。線路も枕木ごと撤去され、わずかに名残をとどめてくれているのが、熱塩駅をそのまま保存した日中線記念館だ。尖がり帽子のような建物で、すぐに山霧に視界がさえぎられることから、どことなく北欧風の感じがするというので、観光スポットの一つとなっている。宮脇俊三の『時刻表2万キロ』でも紹介された。曇天の下、人気のない駅舎の前でぽつねんとしてひとりたたずんでいると、改札口付近だけが眼にまぶしく、まるで向こう側に別世界が広がっているようだった。
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自民党も二世、三世議員になると迫力がなくて、衆議院の予算委員会も聞いていられない。河野太郎の質問などは、与党に媚びているようで、腹がたってならなかった。何か勘違いをしているのではなかろうか。サッサと民主党に行けばいいのである。今回自民党が野党になったことで唯一良かったのは、公募制が取り入れられたことだろう。衆議院の小選挙区の候補者を決めるにあたっては、能力が大事であり、子どもに世襲というわけにはいかないのである。もちろん、小泉家のような例外はあるが、大半はフアイティングスピリットに欠けるからだ。どん底を味わうことがなくては、逆境に弱くて、使い物にならないのである。苦労は買ってでもしろうと言われるように、苦労すればするほど「負けてたまるか」という気持ちがわいてきて、人間が鍛えられるのである。石原伸晃幹事長も役者不足である。テレビに出ているからというのではなく、押しが強くなくては話にならない。ヘラヘラばかりでは、相手だって馬鹿にしてかかってくるのである。大島渚ではないが、故梶山清六のような、苦労人である方が魅力がある。日本は危機に瀕しているのに、自民党の政治家があまりにもチンピラ過ぎては、ガッカリして言葉も出なくなってしまう。今求められているのは、二世や芸人政治家ではなく、苦労人の保守主義者ではなかろうか。本来であるならば、河野や石原の出番ではないのである。

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