日本の大手マスコミで働いている記者連中は、自分が優等生だったのを自慢するしか能がない、つまらない人間たちなのだろう。入試を神聖化し、不正なことをするのは、絶対に許せないという気持ちになるのは、そのせいなのである。本来であれば、希望者は全員大学に合格させればいいのである。そして、入ってから競争をさせればいいのである。日本というのは不思議なところで、受験に勝ち抜くことが大事で、そこから先は、どうでもよいのである。これは国家公務員の試験も同じで、何番目で入ったかで、将来まで決められてしまうのである。今回の予備校生は、最初から足がつくのが分っていても、レジスタンスをしたかったのではなかろうか。嗤ってしまうのは、今の民主党政権の中枢にいる閣僚は、一度位は、大学解体を叫んだことがあるはずなのに、一言も発言しないことだ。不正を働いた予備校生を犯罪者扱いにするのではなく、あのくだらない試験によって、ふるいにかけることこそ問題にすべきだ。鳩山由紀夫前首相や、菅直人首相は、学歴だけはたいしたものだが、やっていることは、一般の国民以下である。そして、官僚がのさばってきたのも、難関大学に合格し、さらに、その先のキャリアの試験に合格すると、選挙の洗礼を受けた政治家より偉いと思う国民がいるからなのである。いうまでもなく、その音頭をとったのは、学歴を鼻にかけるマスコミなのである。 くだらないことこの上ない。
日本の政治家の劣化が酷すぎるんで、こうなれば、石原慎太郎にもう一踏ん張りしてもらうしかない。東京都知事に出馬するのもいいし、国政に復帰するのもいいだろう。年齢が80近くても、それ以外に人材が見当たらないからだ。石原の志を継ぐのは、20代、30代の若い世代だろうから、1年でも2年でも頑張ってもらえば、それで日本は救われるのである。かつて怒れる若者であった石原は、「青年の特権である肉体主義、肉体宇宙感の放恣。実感的情念的行動力を振り廻すこと」を礼讃した。価値紊乱者としての石原に、朝日新聞、岩波書店の周辺に位置した文化人は、眉をひそめたのだった。しかし、石原が「平和というあいまいな壁を突き破ろう」(橋川文三著『日本浪漫派批判序説』)としてきた功績は大きい。戦後民主主義の虚妄を突いたからである。ようやく日本人が自らの国家像に目覚めつつある現在、石原は引退するのではなく、この国の救世主となるべきだろう。民主党政権の誕生によって、日本の統治機構は解体の危機に瀕している。外交も内政もズタズタである。『太陽の季節』を引っさげてデビューし、それ以降、日本の文壇ばかりでなく、政界にも影響を及ぼし続けてきた石原は、今こそ最後のご奉公をすべきなのである。