日本の国柄を維持するためにも、夫婦の姓は一緒であるべきだ。民法で「夫婦別姓を認めない」と規定していることに対して、違憲性が争われた上告審判決で、最高裁大法廷は今日、「規定は合憲」とする初めての判断を下し、原告側の請求を棄却した▼日本の家族制度は、夫婦がそのベースにある。核家族化したとしても、夫婦が同姓であることで、その子どもたちも同じ名字を受け継ぎことになるからだ。それが夫婦バラバラになってしまえば、家族や夫婦の意味もなくなってしまう。そうでなくても、日本人を結ぶ付けてきた絆は希薄になってきている。それこそ「夫婦相和シ」の精神がなくなれば、日本の根本が揺らぐことになってしまうのである。いかにグローバル化しようとも、日本人の良さや美徳まで失っていいのだろうか▼男女の結びつきは自然の営みのリズムと一体だといわれる。それは個人的なレベルでの問題ではなく、人間の奥深いところから出てくるのである。福田恆存が『人間・この劇的なるもの』で書いていた通りなのである。「断片と化した現代の複雑な社会生活において、まだそこだけは、なんぴとも主役を演じ切れる最後の據りどころ」なのが男女の性なのであり、自然との連続性に注目したのである。結婚という制度こだわらなくても、男は女が生きていくことはできる。人間には弱い者と強い者がおり、一定の歯止めをかけるのが結婚なのである。キリスト教社会の英知であるばかりか、それは日本においても同じなのである。
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