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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

中共の原発建設ラッシュを批判しない日本の反原発運動を嗤う!

2015年12月12日 | 災害

日本の反原発運動はいかさまである。本当に原子力発電が危険だと思うのならば、今やるべきは中共大使館での抗議活動ではないか。首相官邸前で抗議するのではなく、そっちの方が先ではないか。読売新聞が今日の社説で述べているように、中共は原発建設を加速させており、安全性に関する不安が高まってきている。最悪の場合は日本が深刻な事態に直面するのである。中共は2030年には米国を上回る110基まで増やすことにしている。沿岸部に集中していることもあり、事故が起きれば偏西風に乗って放射性物質が日本に飛来するのである▼日本は43基あるとはいえ、安全性を重視しているために、再稼働は簡単には進まない。その一方で中共はやりたい放題なのである。もし事故が発生したとしても、これまで一度も中共は公表したことがなく、そうした隠蔽体質は今後も続くのは確実だ。福島県では未だに除染が行われている。一度起きれば取り返しがつかないのである。反原発を叫んでいる人たちは、中共をどう考えているのだろう。かつてサヨクにとっては、アメリカの核兵器は悪だったのに対して、ソ連や中共の核兵器は平和のためであった。それと同じように中共の原発は安全と思っているのだろうか▼日本が再稼働しなければ原発事故が起きないというのは、とんでもないお花畑である。来年以降、中共は年間6基から8基も増設しようとしている。それに怒りの声を上げずに、日本だけを悪者にするのは、中共が背後にいるからだろう。太鼓や笛を鳴らして騒ぐのは、日本を貶めるためなのである。

 

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情報化社会で断片化され好奇心が重視される知と常識の復権!

2015年12月12日 | 思想家

毎日のようにコラムを書き続ければ、時事的な問題にコメントすることになる。膨大な情報を整理して、自分なりの意見を述べることでもある。手際よくどれだけ裁くかにかかっている▼山崎正和は『歴史の真実と政治の正義』において、情報化の脅威を「本質的に人間の知の在り方の変化であり、知の全体のなかで、いわば知識よりも情報が優位を占める傾向のことである」と書いている。さらに、山崎は「変化のポイントは、知の性質のなかで永遠性よりも新しさが勝ちを占め、脈絡よりも断片性が強められ、知がより多く時事的な好奇心と実用性に訴えるようになったことであった」と付け加えるのを忘れなかった。その見方は的を外れているわけではない。しかし、一概に情報化を悪と決めつけるのは間違いである。山崎もあえて情報化の対極に永遠である知恵を設定し、その中間に「断片的な情報に脈絡を与え、できるだけ広い知恵の統一性を求めるとともに、できるだけ永く持続するものにしようとする」ための「知識」を重視する▼中間を好むのは山崎らしい結論であるが、情報化のなかで人々は、無理に脈絡や統一性にこだわるのではなく、常識という過去からの遺産によって判断しているのではないだろうか。情報化がもたらすと思われたプロパガンダの政治は、あくまでもテレビや新聞によるもので、かえってネットのなかでは通用しなくなっている。多様性のなかで埋没してしまうからだ。情報化は名もなき人々に発言の場を与えることにもなった。そのことの意義の方がはるかに大きいのである。権威によって批判を許されなかった知が根底から揺らぐことになったのは、常識で判断する人々の意見を無視できなくなったからなのである。

 

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