国家として身構えず、平和を願うだけで日本は平和であり続けられるのだろうか、諸国民の公正と信義を本当に信じることができるのだろうか。イスラム教徒であるウイグル人に加勢するために、テロ集団である「イスラム国」が中共の習近平政権に宣戦布告をした。「イスラム国」をまともな集団であるかのように報道していたマスコミは、自分たちの背後に入る中共とことを構えることになったのだから、言葉が出ないはずだ。アメリカなどの有志連合と協力すれば、日本人がテロの対象になると騒いでいたのは、つい最近のことではなかったか▼日本のサヨクは、ソ連の崩壊や中共の変質によって、自らの教義を捨てざるを得なかった。そこで出てきたのが憲法9条であった。「平和」 を口にすれば、誰も反対はできないからである。イデオロギーの呪縛から抜けられない人たちを、かつて竹山道雄は「多くの主張は、事実による認識よりも、おおむねある一種の信じたいという動機によっている。現実に対する不満とそれが生む幻影から発して、この信じたいという意志は、おどろくほどつよい力をもって人の心を律するものである」(「門を入らない人々」)と批判した▼中共が東シナ海や南シナ海で軍事的な覇権を目指していても、絶対に日本を攻めてはこないと信じたいのである。オールドリベラリストの竹山の言葉は、事実を見極める大切さを私たちに教えてくれており、事実を無視した議論はお花畑でしかないのである。
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