日本人にレイシストなどいない。そもそも一神教的な基盤がない民族が、どうしてレイシストになれるだろう。反日国家や日本共産党を始めとするサヨクは、日本にナチズムが成立すると思っているのだろうか。最近の行動する保守のデモにしても、それほどエスカレートしているわけではない。日本共産党などによるカウンターの方が目にあまる。あれではかえってサヨクが自分たちを貶めているだけである▼齋藤純一は『自由』のなかで、ハンナ・アーレントの自由についての考え方を、分かりやすく解説している。いかなるプロパガンダを掲げようとも、そこに立脚できるかどうかが問われているのである。「アーレントの見方に従えば、自己が他者との交渉に開かれ、そのーは、交渉ゆえにそのつど自己に変容が生じることー諸価値の位置が変化することーは、自己にとっての自由の否定を意味しない。私が自由であるために避けなければならないのは、他者が私に代わって判断することであって、他者が私との交渉において私に影響を及ぼすことではない。むしろ、自らとは異なったパースペクテイヴから世界を理解し、自らと異なった価値をいただき、自らとは異なった意見をもつ他者に『出会う』という自由は、自ら自身に対して自由であるための条件である」▼日本の保守派はある意味では寛容である。コモンセンスを重視するからだ。それと比べると、韓国は国内では親日的な意見を口にすれば罰せられる。日本のサヨクも自由な言論活動に干渉し、保守派とみると「ネトウヨ」とかレッテルを張りたがる。どちらが全体主義的であるか、誰でも分かりそうなものである。
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