政治というのもは高度な判断が求められるが、官僚組織を味方に付けなければ何事もなしえない。その場合に参考になるのが、自由党の指導者であった星亨の政治的な手腕である。日本保守党もその点を考慮しなければ、政権の座に近づくことはできないだろう。
星が藩閥政府の頂点に位置していた伊藤博文と組んだのは、彼が政治家とし手優れていたからだけではない。伊藤によって育成された官僚組織を利用するためであった。星らの自由党は進歩党と合同して憲政党を設立させながらも、すぐに分裂して伊藤と立憲政友会を立ち上げた。実際に国家を運営するためには官僚組織を無視することができず、目の前に政権がぶら下がっていたからである。
立憲政友会に対抗してできた立憲民政党にしても、進歩党系が中心になったが、桂太郎系の官僚組織があったことで、現実的な政策を打ち出すことができたのである。
自民党が長期政権を維持してきたのも、バックに官僚組織があったからである。官僚とて一枚岩ではない。その一角に食い込む努力をしなければ、国の政治を変えることはできない。日本保守党が政権の一翼を担うのであれば、そのことを常に念頭に置くべきだろう。単なる悲憤慷慨だけでは、国の政治を動かすことはできないからである。
星が藩閥政府の頂点に位置していた伊藤博文と組んだのは、彼が政治家とし手優れていたからだけではない。伊藤によって育成された官僚組織を利用するためであった。星らの自由党は進歩党と合同して憲政党を設立させながらも、すぐに分裂して伊藤と立憲政友会を立ち上げた。実際に国家を運営するためには官僚組織を無視することができず、目の前に政権がぶら下がっていたからである。
立憲政友会に対抗してできた立憲民政党にしても、進歩党系が中心になったが、桂太郎系の官僚組織があったことで、現実的な政策を打ち出すことができたのである。
自民党が長期政権を維持してきたのも、バックに官僚組織があったからである。官僚とて一枚岩ではない。その一角に食い込む努力をしなければ、国の政治を変えることはできない。日本保守党が政権の一翼を担うのであれば、そのことを常に念頭に置くべきだろう。単なる悲憤慷慨だけでは、国の政治を動かすことはできないからである。