日本保守党や参政党を語るにあたって、その指導部のいい加減さは、たいしたことではないのである。それ以上に、大衆の爆発的なエネルギーが政治を動かすことの方が重要なのである。とくに、百田氏や有本氏の政治家としての能力には問題があるが、それと支持者は分けて考えたいのである。
年老いた僕のような世代は、60年安保の際に語った、吉本隆明のあの言葉が、深く脳裏に刻み込まれている。「安保闘争のなかでもっとも貴重だったのはいかなる既成の指導部をものりこえてしまい、いかなる指導部をも波涛のなかに埋めてしまうような学生と大衆の自然発生的な大衆行動の渦であった」(『擬制の終焉』)と書いたからである。
日本保守党内部にもめごとがあっても、今回の総選挙で国政政党になろうとしているのは、特定の誰彼がいるからではない。大衆のやむにやまれぬ思いがあるからなのである。それが今後どのような方向を目指すかは、皆目見当が付かないが、戦後レジームにとどめを刺す、転換点になることは間違いがない。
そうした見地から眺めれば、また違った風景が見えてくるのである。あくまでも百田、有本氏などは当面のリーダーでしかなく、真の意味で指導部を形成するのはもっと別な人間たちでないかと思うからだ。