西部邁の死はあまりにも衝撃的であった。78歳という年齢の限界を悟ったのだろうか。癌との闘病に疲れたのだろうか。最愛の妻に先立たれて気落ちしていたのだろうか▼最近の西部はしきりに「モダン」という言葉を問題にしていた。それは単純に「近代」と訳されるが、「モデル」や「モード」の意味を含んでいる。「形」や「流行」ということであり、マスとしての大衆の出現を背景にしていた。その大衆に向かっていくら言論戦を挑んでも、虚しいものでしかないことに気付いたのではないだろうか▼オルテガ・イ・ガゼットの『大衆の反逆』をよく引用したのは、西部の「モダン」への反発であり、それを体現したアメリカという国家への敵愾心であった。20代で革命家を目指し、その後日本回帰した西部は、保守の旗を掲げながらも、日本派であることにこだわった▼冷戦構造の時代にあっては、左右の色分けはアメリカ派か、さもなければソ連派中共派であった。真の保守である日本派が論壇の一角を占めるようになったのは、西部が積極的に発言するようになってからである。西部の目指したものは間違ってはいなかった。これからその真価が問われるのである。朝鮮半島をめぐって、アメリカが中共や北朝鮮と裏取引をするようなことになれば、日本は日本としての道を選択する以外にないからだ。私たちは西部の死を乗り越えていかなくてはないのである。
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賢すぎる故の誤解。
西部すすむ氏のご冥福をお祈りします。