今の岸田首相を見ていると、客観的な事実にもとづいて決断するのではなく、山本七平が言う「空気の支配」(ルール・オブザ・ニューマ)に振り回されているだけだ。
小室直樹は『信長の呪い』において、山本七平の「空気の支配」という考え方を用いて、信長に謀反を起こした明智軍の心理を分析して見せた。
驚くべきこと明智光秀が率いていた軍隊は、信長直属の部隊である。あくまでも光秀は方面軍司令官として、豊臣秀吉に加勢するために西に向かったのだ。それが光秀の「敵は本能寺にあり」という一言で、行き先が変ってしまったのだ。
信長直属の部隊であれば、普通は光秀の命令を拒否する。ところが、「勢い」に身を任せて思慮分別を失ったのである。武士としての自覚がなかったのだ。
これに対して小室は、信長を最後まで守るために戦った者たちに、新たな武士道の萌芽をみた。そこで学ぶべきは、大局観のない「勢い」としての空気を絶対視すれば、とんでもない過ちをするということだ。岸田首相がその典型ではないだろうか。
マスコミの主張を鵜呑みにして、その「空気の支配」で物事を決めている。これでは誰からも信用されなくなるだろう。あくまでも見せかけであり、必ずや自らの愚かさを味わうことになるだろう。
信長はそれぞれの役割を分担させ、自らのカリスマ性によって忠誠対象を明確にした。小室が「かくて近代日本は生まれた」というのは的を射ている。岸田首相は「空気の支配」が長続きすると勘違いしている。しかし、それは一時的には支持されても、抜本的な解決にはならない。自ら墓穴を掘って四面楚歌になるしかないのである。
小室直樹は『信長の呪い』において、山本七平の「空気の支配」という考え方を用いて、信長に謀反を起こした明智軍の心理を分析して見せた。
驚くべきこと明智光秀が率いていた軍隊は、信長直属の部隊である。あくまでも光秀は方面軍司令官として、豊臣秀吉に加勢するために西に向かったのだ。それが光秀の「敵は本能寺にあり」という一言で、行き先が変ってしまったのだ。
信長直属の部隊であれば、普通は光秀の命令を拒否する。ところが、「勢い」に身を任せて思慮分別を失ったのである。武士としての自覚がなかったのだ。
これに対して小室は、信長を最後まで守るために戦った者たちに、新たな武士道の萌芽をみた。そこで学ぶべきは、大局観のない「勢い」としての空気を絶対視すれば、とんでもない過ちをするということだ。岸田首相がその典型ではないだろうか。
マスコミの主張を鵜呑みにして、その「空気の支配」で物事を決めている。これでは誰からも信用されなくなるだろう。あくまでも見せかけであり、必ずや自らの愚かさを味わうことになるだろう。
信長はそれぞれの役割を分担させ、自らのカリスマ性によって忠誠対象を明確にした。小室が「かくて近代日本は生まれた」というのは的を射ている。岸田首相は「空気の支配」が長続きすると勘違いしている。しかし、それは一時的には支持されても、抜本的な解決にはならない。自ら墓穴を掘って四面楚歌になるしかないのである。