宏池会を立ち上げたのは池田勇人であり、二代目は前尾繁三郎であった。三代目の大平正芳のときに、田中角栄との盟友関係もあって、共産中国に急接近したのである。
宏池会の名前を付けたのは、右翼の論客であった安岡正篤である。沢木耕太郎が『危機の宰相』で書いているように、池田も愛国者であり、敗戦を潔しとしない熱血漢でもあった。
宏池会をハト派と見るのは、あまりにも短絡的である。今の岸田文雄首相は、チャイナスクールの外交官出身の加藤紘一に近いように思えてならない。
僕は伊東正義と八田貞義の伝記を執筆している。いずれも会津の政治家で宏池会に属した。後に八田は中曽根派に移ったが、それは宏池会内部の権力闘争で、前尾派が大平派に敗れて、力関係が逆転したために、居場所がなくなったからであった。
しかし、私からすれば、保守派政治家としての矜持があったのは、大平ではなく前尾であった。前尾は明確な国家観を持っていた。
前尾は「人間は父祖からの文化を取得し、これを発展させ、さらに、これを子孫に伝承する使命をもち、自ら文化を創造し、文化に寄与することによって生きがいを感ずるときである。そういう意味でわれわれ人間の目標は、福祉国家もさることながら、文化国家にあるといいたい。豊かな社会など思いも及ばなかった終戦当時のわれわれは、せめて道義高く、香ある文化国家に希望を託していたのである」(『續々政治家のつれづれ草』)と述べていたからだ。
岸田首相は宏池会の正統な後継者ではなく、大平と加藤の流れを引き継いでいるだけなのである。前尾の思想を理解していたならば、LGBT法案に前のめりになることなど、絶対にありえないからである。