日本の政治が常にそうであったように、国際環境の変化に応じて、変らざるを得ないし、実際に変わってきたのである。江戸幕府が崩壊したのも、当時の欧米列強に抗するためであった。
そうした観点からすれば、今の日本も大きな変革を余儀なくされているのではないだろうか。自公政権を終わりにして、新たな政権の枠組みというのが、避けては取れなくなってきているのだ。
キッシンジャーは、最近になって「日本が5年以内に核武装をする」とまで言い出しているが、それが日本が向かう方向性として現実味を帯びてきているのだ。
すでに韓国では、自前で核を持つべきという意見が多数を占めている。少しずつながらも、日本でも無視できない力になりつつあるのではないか。誰がアメリカの大統領になろうとも、東アジアにおけるアメリカのプレゼンスは確実に後退するとみられている。
それを補う力が日本になければ、中国への属国化を避けられない。地政学的にも近く、漢字文化圏に日本が属することからも、よほど国家として身構えない限り、それを阻止することは困難である。
サミュエル・ハンチントンが述べていたように、明治以降の日本は、その時代の最強国と同盟関係を維持することを重視した。日英同盟、日米安保条約がその典型であった。そうした経験則からするならば、中国と一体になることも、荒唐無稽な主張ではないのである。
しかし、全体主義国家に屈することを潔しとしない日本国民の多くは、それとは別な選択をするだろう。それが自前の核の所有なのである。
エマニュエル・トッドがその必要性を説くように、日本が国家として存続しようとするならば、それを決断するしかないからである。
昨日まで「鬼畜米英」だったのが、敗戦と同時に「マッカーサー万歳」になったのが日本国民である。政治の転換期にあって、如何なる政権ができようとも、公明党自体が方針を見直せば別だろうが、現状のままの公明党では足手まといになりかねない。日本国民は強い国家を待望しつつあり、それが一大潮流になろうとしているのが、今の日本なのである。