ナショナリズムというと、インテリはすぐに眉をひそめる。竹内好が「血ぬられた民族主義をよけて通った。自分を被害者と規定し、ナショナリズムのウルトラ化を自分の責任外」と指摘したように、正面切って論じることを避けるのも、そうした心理が働いているからだろう。幕末の水戸学がそうであったように、この国が危機になると、ナショナリズムが絶大な力を発揮するのである。橋川文三が『日本浪漫派批判序説』を書いたのも、若い頃に、ナショナリズムの影響下にあったからだろう。私からすれば、橋川の主張がどうであるかよりも、取り上げざるを得なかった宿命こそが問題なのである。橋川は昭和58年にこの世を去っているが、晩年には酒に溺れていたと聞いている。そして、しきりに「大東亜戦争などはなかった」と口走っていたという。あくまでも人伝えであり、信憑性のほどは定かではない。しかし、それは本当のことだったような気がしてならない。戦後民主主義の文脈でしか語ることができなかった橋川は、損な役回りをあてがわれたことに、内心不満だったはずだ。だからこそ、晩年は身も心も、ボロボロになってしまったのだろう。私は最近の保守・民族派運動を、高く評価する。それは明治維新を実現したエネルギーと一緒で、当初は少数派の義挙であっても、国民の怒りを代弁しているからだ。国が滅びようとしている今、日本人としての血が騒ぐのは、まっとうなことなのである。
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