創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

世阿弥 私説5「夢幻能」

2013-08-20 06:30:06 | 創作日記
この世阿弥が完成させた夢幻能(複式夢幻能)というドラマツルギーはあらゆる舞台に対応出来そうです。例えば、先の戦争をテーマとすれば、シテは戦死した兵士になります。また、空襲で亡くなった市井の人でもいいでしょう。そんな能は今も、作られています。舞台は能舞台。他に何も要りません。能舞台でなくても出来そうです。野外でも。この自由度の高さが魅力ですね。この形式を借りて、科白は現代劇でやればいいと僕なんかは思います。こんなことを書いている僕でも、高校の時一度と知人が出ると言うので京都で一度観ただけです。ネットで調べると、現代能樂集野村萬齋のを見つけました。でも、原作は能です。新作をやれば。「それは能じゃない」。声が聞こえてきそうです。能が文化財になるのは怖い! 最後に、「劇では何事かがやってくる。能では何物かがやってくる」ポール・クローデル。この言葉は能の特色を見事に表しています。
以前、私は「能の見える風景」・多田富雄著について書いています。
これで、「世阿弥 私説」は終わります。「補厳寺(ふがんじ)参る 第三話 世阿弥舞う」は近々? 始まります。

世阿弥 私説4「児姿幽風(こしゆうふう)」

2013-08-19 08:02:36 | 創作日記
言葉を分解します。児(ちご)はデジタル大辞泉によると
ち‐ご【稚児/▽児】.
《「乳子(ちご)」の意》
1 ちのみご。赤ん坊。
「―を背に負った親子三人連(づれ)の」〈花袋・田舎教師〉
2 幼い子。幼児。
「其の時某(それがし)は尚(なお)八歳の―にして」〈竜渓・経国美談〉
3 祭礼や寺院の法楽などの行列に、美しく装って練り歩く児童。「―行列」
4 寺院や、公家(くげ)・武家で召し使われた少年。男色の対象となることもあった。
「是も今は昔、比叡の山に―ありけり」〈宇治拾遺・一〉

4の意味が近いと思います。次は幽風です。

           二曲三体人形図
はっきりしませんが、眉は八の字の作り眉です。小柄なのも分かります。これが当時の美少年?      
幽風とは能楽論で,幽玄な風情。幽玄とは、広辞苑を引きます。「能楽論で、強さ・硬さなどに対して、優雅で柔和典麗な美しさ。美女・美少年などに自然に備わっている幽玄も、卑賤な人物や鬼などを演じてさえ備わる高い幽玄もある。風姿花伝「童形なれば、何としたるも―なり」。花鏡「ただ美しく柔和なる体、―の本体なり」 辞書引きぱなし! でも分かりやすいですね。さすが広辞苑。
「児姿幽風(こしゆうふう)」には世阿弥の美学の根源があるようです。とりもなおさず世阿弥がそのものでした。世阿弥は猿楽の血筋と、美少年を兼ね備えた人でした。これが、3代将軍足利義満に見初められた由縁です。どちらかが欠けていたら、私たちは、世阿弥を知ることも、今の能を観ることもなかったでしょう。運命を感じます。つけ加えるに、父親は大柄だったようです。児(ちご)は貴人のそばに侍ります。貴と賤が接近します。もっと、もっと……。

世阿弥 私説3「諸人快楽(しょにんけらく)」

2013-08-18 08:55:48 | 創作日記

「諸人快楽(しょにんけらく)」は花伝書「風姿花伝」の序にある言葉です。聖徳太子が渡来人の秦河勝に命じて天下保全と諸人快楽のために66番の遊宴を行わせ、これを申樂(さるがく)と称したのが能のはじまりとしています。申樂(さるがく)を辞書で引くと、
(1)軽業(かるわざ)・奇術や滑稽な物まねなどの演芸。奈良時代に唐から伝来した散楽(さんがく)を母胎につくり出されたもの。鎌倉時代頃からこれを職業とする者が各地の神社に隷属して祭礼などに興行し、座を結んで一般庶民にも愛好された。室町時代になると、田楽や曲舞(くせまい)などの要素もとり入れ、観阿弥・世阿弥父子により能楽として大成される。さるごう。
(2)能楽の旧称。     ー三省堂「大辞林」ー
寄席みたいなものだったのでしょう。それらが神社なんかに所属していて、座を作り、巡業していた。世阿弥はそんな座の一つ結崎座(後の観世座)を率いる観阿弥の子として生まれます。結崎は面塚のある場所です。
「諸人快楽(しょにんけらく)」はみんなの「たのしみ」という意味でしょうか。信仰を含んだ娯楽です。それは、能にも引き継がれ、重要な要素になっています(いるようです)。でも、能って退屈だなあ。上演時間を調べてみると、狂言1舞台、能1舞台で、休憩時間を合わせて、2時間半くらいが目安とか。無理だなあ。とにかく、能はの芸能。身分は下の下でした。それがどうして、貴と出会い、その庇護を受けたのでしょう。それは世阿弥が美しい稚児であったからです。「児姿幽風(こしゆうふう)」がキーワードです。次回は、この聞き慣れない言葉を考察します。

世阿弥 私説2「面塚」

2013-08-17 09:39:34 | 創作日記

世阿弥のゆかりの補厳寺を舞台にした小説(補厳寺参る)を書いています。近くに面塚という塚があると知って、昨日行ってきました。室町時代に突然空から「翁の面とネギ種」が落ちてきました。面は観世発祥之地とする由縁で、ネギは「結崎ネブカ」として名物になりました。面塚は川沿いの小さな公園にひっそりと建っていました。大和は能の発祥地でもあるのですね。今まで知りませんでした。世阿弥はとても興味深い人物です。また、近くに終焉地、補厳寺があるのも世阿弥を身近に感じます。遅まきながら、勉強しています。
「諸人快楽(しょにんけらく)」の石碑も建っていました。何の意味? 帰って調べると、とても意義のある言葉でした。それは、明日にでも。

世阿弥 私説1「室町時代って?」

2013-08-16 14:55:36 | 創作日記
「補厳寺(ふがんじ)参る」第三話「世阿弥舞う」の執筆のために、勉強をしています。まず、最初に「室町時代って?」。
足利尊氏が1336年京都に室町幕府を開いてから15代将軍義昭が京都から信長に追放(1573年)されるまでの237年間。その間、戦国時代(約100年)を除くと半減します。
世阿弥(ぜあみ、正平18年/貞治2年(1363年)? - 嘉吉3年8月8日(1443 年9月1日)?)。享年80才。当時としては長寿ですね。
世阿弥は室町時代初期の人ですね。
室町幕府は京都に開かれました。それが、公家の雅(みやび)と少し異なる武家の雅(みやび)を作っていったように思います。ある意味、世阿弥は時代と寝た天才とも言えます。

補厳寺(ふがんじ)参る 幽霊10

2013-08-14 09:54:26 | 創作日記
足音が渡り廊下を走る。僕は後を追った。
本堂に入った。灯明が燃えている。誰もいない。小さな歌声が聞こえてきた。女の声だ。幼い声だ。
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
bove us only sky
INo Hell below us
Amagine all the people
Living for today...
ジョン・レノンのイマジンだった。本堂の雰囲気にとてもマッチしていた。
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
bove us only sky
INo Hell below us
Amagine all the people
Living for today...
ー想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているってー
「時間も空間もない。浄土も地獄もない。そんな場所に私たちはいる。全て、錯覚なんだ」
本堂が言った。そう表現する方が正しいと思う。僕は、考えることをやめた。ここでは、それはとても無駄なことなんだと……。...
その時、空気が揺れた。少女の姿が、目の前に浮かび上がった。少女は粗末なひとえの着物を着ていた。所々に穴が空き、黒く汚れた素肌が見えた。素足だった。
「阿茶(あちゃ)様」
「やっと会えたね」
少女は笑った。笑うと、左の頬にえくぼがあった。
「どこかで見たことがある」
と、思った瞬間、少女は消えた。
振り返ると、和助さんがいた。
「帰られたようです」
和助さんが言った。
「五百年前、村人は乞食の母子を焼き殺しました。次の年から、飢饉が続き、阿茶(あちゃ)様の供養をすると収まったそうで。それが五百年忌のはじまりです」
「翁様って?」
「世阿弥様のことで」
和助さんは事も無げに言った。

いつの間にか補厳寺の門の前に立っていた。門は閉ざされ、補厳寺はしじまの中にあった。やがて音が戻ってきた。川の音、虫の声。そして、また、月夜だ。

「五百年忌ってどんなのだった?」
話しても信じてもらえないだろう。妻は、風呂上がりの濡れた髪の毛を拭いた。
「もう寝ているの?」
話を孫の方に振った。昨日から遊びに来ている。
「もう、爆睡よ。それで五百回忌は」
「あちゃ」
僕はおどけて言った。
妻は笑った。左の頬にえくぼが見えた。

第二話「幽霊」 了





補厳寺(ふがんじ)参る 幽霊9

2013-08-13 18:01:38 | 創作日記
「五百年、長いね」
僕は言った。
「長い……」
女はしばらく黙った。
「多分、あなたは間違ってる。私たちの世界に時間はない。五百年も一瞬も同じです。本当はあなた達の世界にも時間はないの。時間は錯覚です。私とあなたは同じところにいます。例えば、あそこ」
木の葉が一枚風に舞い、庫裡の方へ流れた。

「お互い見えない、だけ」
「見えない……」
「色即是空。同じ世界にいます。私たちはあなた達の隣にいます。でも、私達は百億集まっても重さは0。でも、それも、見かけがちがうだけ」
「僕は死ぬよ」
木の葉を追いながら、僕は言った。
「私たちは死なない。でも、それも同じこと。私たちは一度死んだから」
「また、こちらの世界で生まれるの?」
「そうです。私は五百年前に死んだ。すなわち、不死になった。だから、もう死ねない。次は、生まれるだけ」
「輪廻転生」
「少し違う。こちらの私はそのまんまなの。平成の今も、私があなたの世界にいると思う」
「分からない」
「ふふっ」
と、女は笑った。
「色即是空。空即是色。あなたの世界も私の世界も同じ。知らないだけ」
木の葉は、庫裡の前で止まった。庫裡の引き戸がゆっくりと開いた。

中に入ると、老人が一人座っていた。多分、翁様だろう。
「君も入れよ。姿が見たい」
女は戸口で笑った。やがて笑い声は闇の中を遠ざかっていった。鈴の鳴るような声を残して。
「早くそこを出ないと、戸が閉まるよ。閉まったら、二度と出られないわ」
半分ほど閉まった戸から、僕は飛び出した。笑い声は、本堂の方に向かっていた。振り向くと、庫裡の戸が閉じるのが見えた。

補厳寺(ふがんじ)参る 幽霊8

2013-08-12 13:42:38 | 創作日記
いつの間にか、補厳寺に戻ってきた。門を通り、渡り廊下の階段を上がり、廊下に腰を下ろした。控え室の灯りは消えていた。門のかがり火がかすかに届く。その明かりに、庭の奥にある建物が見える。あれが庫裡なのだろう。
「翁(おきな)様」
女が言った。ぼんやりと白い単衣を着た男の後ろ姿が浮かんだ。男の足は地面から一尺ほど浮いていた。彼は、空中を歩いているのだった。
「翁様は私たち親子を招き入れて下さいました。そう、あなたが座っているそこに腰を下ろして」
「何せうぞ くすんで一期は夢よ ただ狂へ」
母様が歌い、私は舞いました。
「花の都の経緯(たてぬき)に 知らぬ道をも問へば迷はず 恋路など 通ひ馴れても迷ふらん」
花びらが一つ、風に運ばれてきた。そして白い蝶になった。
「阿茶(あちゃ)様、姿を見せて下さい」
僕は言った。鈴のような笑い声が、庭を駆け巡った。
「阿茶は踊りが上手でございます」
奥様がおっしゃいました。
「ほんに、わしが教えたいものじゃ」
翁様が、おっしゃいました。
「よしや頼まじ 行く水の 早くも変る人の心」
空中に浮かんだ男が一節歌って、くるりと舞った。それと同時に、阿茶(あちゃ)様の声も、歌も、男も消えた。

補厳寺(ふがんじ)参る 幽霊7

2013-08-11 08:54:03 | 創作日記
村人には女が見えているのだろう。なにやら話しかけたり、笑いかけたりしている。僕にはそれが羨ましかった。女の舞う気配がする。風が舞っている。僕も村人の見よう見まねで踊り出した。"盆はうれしや 別れた人も 晴れてこの世に 会いに来る"
"じゃんがら念仏で 供養すれば 地下の仏さんも うれしかろ"
"念仏するのは 仏の供養 田の草取るのは 稲のため"
「行くよ」
女が手を引いた。
「ふふっ」
と、また笑った。
「何がそんなにおかしいの?」
「だって、おかしいんだもの」
女は歌うように言った。
境内を出ると、音頭は止んだ。振り返ると、誰もいない神社があった。古い巨木が、濃い闇を作っていた。しばらく歩くと、月明かりに桜の巨木が見えた。そこへ向かっているようだ。春の風を感じる。いつの間にか満開のさくらの下に立っていた。遠くに村が見えるが、灯り一つない。
「阿茶(あちゃ)様」
僕は呼びかけた。
「はい」
女は答えた。
「どこへ行くのですか」
女は答えなかった。その代わりに、一陣の風になり、桜の花を散らせた。僕は花吹雪の中で、桜に埋もれてしまうかと思うほどだった。僕は花筏が流れる川に沿って歩いた。一面に青田が続き、闇が迫り、川に蛍が舞った。みすぼらしい小屋があった。
「私と母は都から流れてきて、あの小屋に住んでいた」
女が言った。
「一軒、一軒家の門(かど)に立って、母が歌って、私が踊った。お乞食さん」
頬に冷たくあたるものがある。「雪だ」。ふと小屋を見ると、畦道を4、5本の松明が近づいてくる。
「種籾を盗んだって言われたの。蒔く土地もない私たちが」
小屋が闇の中で燃え上がった。
「熱い」
女は言った。
「行きましょう」
女の手が熱かった。僕は冷えた左手をそっと添えた。