つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

初代若乃花について

2010年09月06日 | スポーツ
                       初代・若乃花

初代若乃花が亡くなった。82歳。
小学校の時は栃若時代で大相撲は子供たちの人気であった。
若乃花の稽古を見たいと電車に乗って阿佐ヶ谷の花籠部屋へよく行ったものだ。
電車賃が吉祥寺から10円であった。
ノートを持参して若乃花のサインを貰う準備もしていた。
日活映画「土俵の鬼」のロケが家の近くの井の頭公園であったので見にいった。。
相手役の北原三枝と池のボートでデートするシーン。
若乃花はボートが漕げなく、池の上を移動するボートはスタッフがロープで引っ張っていた。映画を観たら若乃花が立派にボートを漕いでいたシーンが思い出される。
兄弟子である力道山の激しい稽古に立ち向かい、足に噛み付いたことがある。そのあざが消えないのでプロレスに転出した力道山は終始黒のタイツを着用していたとのエピソードがある。
出身地である弘前市の青森県立武道館には、初代若乃花の銅像と横綱と化粧回しなどの資料が展示してある。

初代 若乃花幹士(花田勝治(はなだ かつじ)
1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、第45代横綱
所属は入門当時は二所ノ関部屋。1953年に花籠部屋の独立とともに移籍。
青森県弘前市出身。身長179cm、体重107kg。
土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱である。
引退後二子山部屋を創設し、弟である大関・初代貴ノ花、横綱・2代若乃花(現:間垣)、横綱・隆の里(現:鳴戸)、大関・若嶋津(現:松ヶ根)を育て、日本相撲協会の理事長もつとめた。
第65代横綱・貴乃花、第66代横綱・3代若乃花は甥にあたる。

(9月6日記)
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