池上本門寺の大堂
東急池上線の池上駅から徒歩10分ほどに池上本門寺がある。
96段の石階段を登ると青空の中にそびえる27メートルの高さの大堂がある。
大堂「祖師」すなわち日蓮を祀ることから「祖師堂」ともいう。
旧大堂は、本門寺14世日詔の時代の1606年(慶長11年)加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立したが、1710年(宝永7年)焼失。
本門寺24世日等時代の1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進により、規模を縮小の上再建された。
この2代目の大堂は、1945年(昭和20年)4月の空襲により焼失。
1948年(昭和23年)仮祖師堂と宗祖奉安塔を建設。
その後、本門寺79世伊藤日定が中心となり全国檀信徒の寄進を受け、1964年(昭和39年)現在の大堂を再建した。
現在の大堂は、鉄筋コンクリート造で屋根は入母屋造。
高さ27メートルの大建築である。
再建後は本門寺80世金子日威が揮毫した「大堂」の扁額がかかる。
堂内中央の厨子には、日蓮聖人坐像、右には日輪聖人坐像、左には日朗聖人坐像を安置する。
1966年(昭和41年)川端龍子による天井画「未完の龍」が描かれている。
2005年(平成17年)4月から屋根瓦修復及び雨水漏水対策、耐震補強・防火対策等の工事が行なわれ、建物全体が足場で覆われていたが2006年(平成18年)4月に工事が完了した。
(11月23日記)
東急池上線の池上駅から徒歩10分ほどに池上本門寺がある。
96段の石階段を登ると青空の中にそびえる27メートルの高さの大堂がある。
大堂「祖師」すなわち日蓮を祀ることから「祖師堂」ともいう。
旧大堂は、本門寺14世日詔の時代の1606年(慶長11年)加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立したが、1710年(宝永7年)焼失。
本門寺24世日等時代の1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進により、規模を縮小の上再建された。
この2代目の大堂は、1945年(昭和20年)4月の空襲により焼失。
1948年(昭和23年)仮祖師堂と宗祖奉安塔を建設。
その後、本門寺79世伊藤日定が中心となり全国檀信徒の寄進を受け、1964年(昭和39年)現在の大堂を再建した。
現在の大堂は、鉄筋コンクリート造で屋根は入母屋造。
高さ27メートルの大建築である。
再建後は本門寺80世金子日威が揮毫した「大堂」の扁額がかかる。
堂内中央の厨子には、日蓮聖人坐像、右には日輪聖人坐像、左には日朗聖人坐像を安置する。
1966年(昭和41年)川端龍子による天井画「未完の龍」が描かれている。
2005年(平成17年)4月から屋根瓦修復及び雨水漏水対策、耐震補強・防火対策等の工事が行なわれ、建物全体が足場で覆われていたが2006年(平成18年)4月に工事が完了した。
(11月23日記)