ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.5.16 ハラヴェン4クール2回目翌日のこと、治らなくても生きられるという選択

2019-05-16 20:45:36 | 日記

 昨夜も吐き気止めのトリプル効果で殆ど気持ち悪さはなく、帰宅後はお昼寝することもなくもろもろ片づけて食事を作って、母のフォロー対応して、ブログを書いて、途中ウトウトすることもなく結構元気だった。これは多分ステロイドハイの症状だけれど。
 そして入浴後、眠くなるギリギリまで粘り、安定剤ワイパックスを飲んだら、ちょっとお腹がモタモタし始めていたのに、程なくしてコロリと眠れた。副作用も感じない。私にとってはメリットだけのワイパックス、ありがとう。

 今朝は目覚ましが鳴る小一時間前に腹痛のためお手洗いに起き、普通にお通じがあった。もうちょっと寝ようと思ったけれど、腹痛は止まず、30分してお手洗いに駆け込む。いきなり泥便。それからお手洗いを往復して、その後、またウトウト。結局、予約して洗いあがっていた洗濯物を干す作業には加われず、全て夫にお任せしてしまった。トホホ。
 便秘も辛いけれど、下痢も困りものだ。なかなかうまくコントロールが出来ない。眠れた充実感があったのだけれど。

 起きた時の感じでは、前回同様で少し楽。火照りもあまり酷くない。ちょっとムカムカするし、腹痛はあるが、とにかくこのまま8クールまで頑張れば、割と長く安定した状況で過ごせるのではないか・・・、という具体的な目標と希望が心を穏やかにしてくれていると思う。
 まあ、母のダブルキャンサー発覚という厳しい現実を思うと、自分のことだけに構ってもいられない、という切羽詰った感じがないといえば嘘になるけれど。それにしても、このタイミングで息子が社会人になってくれていたことに改めてほっとする。仕事と治療を抱え、息子と母のダブルケアは今の私にはハードルが高すぎる。

 ルーティンの瞑想ヨーガでも、今朝はお腹痛いなあと思いながらも、心は割りと安らいでいた。その後朝食。味覚異常もそれほど感じない。トーストは食べ切れなかったけれど、バナナスムージー、ぶとう、不知火を少しずつ。フルーツカクテルのヨーグルトも頂いた。バースディというネーミングの紅茶も味、香りとともにある程度感じられた。青汁はパス。食後、イメンド80㎎とデカドロン4錠、ロキソニン、タケプロン合わせて7錠を飲んで、夜のサラダだけ用意して出勤。

 午前中はやはり腹痛が続く。下痢でお手洗いを往復。全体的にはお腹がモタモタムカムカして、ちょっと顔がぽっぽとする程度で、仕事は問題なくいつものペース。しゃっくりも出ていない。

 鼻水が垂れるのは相変わらず。鼻毛はライトアップして中を良く確認したわけではないが、一層なくなっている感じだ。同時に、眉毛も睫毛もより一層抜けてポワポワになってきた。かろうじて生えている部分がすっかり無くなってしまう日も近いかもしれない。トホホだ。体毛もなくなり、ツルツルホワホワ。まあ、これについては人目に晒されるわけではないけれど、まるでキューピー人形のような身体である。

 それに対して髪の毛は、シャンプーするといまだにヒョロリヒョロリとは抜けるけれど、なぜか前髪だけは薄いとはいえ、頭頂部もそれなりにあるし、横も後ろもたっぷり残っていて、かつらからはみ出さないようにガーゼキャップに入れ込むのが結構大変。短くカットしてしまった方が良いのかちょっと迷っている。

 午前中は、会議の準備、午後は会議。お天気はうす曇りから青空が広がって、午後から少し日が差した。気温も湿度もやや高めである。吐き気がそれほど気にならないのは、ウエストなしのサロペットを着ているおかげだろう。ウエストはラクチンにしておけるワンピースも新調したことだし(‘治療頑張っていますご褒美’はいつまで続く・・・?) 、当分治療後の吐き気対策には困らない筈だ。

 ランチの前にはドンペリドンを飲んで、馴染みのカフェでミネストローネのスープと小さなパイをひとつ。時間をかけてほぼ頂くことが出来た。食後はロキソニン。水分もそこそこ摂れるので、お手洗いでも尿量はそれほど減っていない。

 会議が長引いて疲れてくるにつれて火照りは出てきたし、ムカムカと吐き気は続いたけれど、早退させて、と思うほど酷く悪化することはなかった。お腹も昼食後は落ち着いている。無事定時ちょっと過ぎまで勤務。
 さすがに帰宅したらガックリきた。朝夫が干してくれていた洗濯物をゆっくり畳んで、・・・と思っていたら、なんと夫の方が先に直帰で洗濯物も畳み始めてくれていた。最後にちょっとお手伝いしただけ。トホホ。母には電話でご機嫌伺い。今日は予定通りデイサービスに行ってきたらしい。気分転換になったようだ。

 夕食はそれほど沢山食べられないし、と朝のうちにサラダだけは用意し、帰宅したらピザを焼くだけの予定だった。夫が生姜のスープを作るというので後はお任せ。常備菜も駆使して夕食にした。夫手作りのピクルスが美味しい。酸っぱいものばかりだけれど。
 今夜もワイパックスでコロリと眠って、明朝もイメンドプラスデカドロン、昼食前ドンペリドンでなんとか夕方まで仕事、で頑張りたい。

 さて、もうひとつの標題のこと。
 医療の進歩によりがんは、「治る→生きられる」、「治らない→生きられない」の二者択一ではなくなっている、ということだ。つまり「治らないけれど、生きられる」という選択肢がある。もちろん「治って(天寿まで)生きられる」というのがベストなのかもしれないけれど、進行再発がん患者として、ないものねだりをして疲れるのはあまり賢い選択ではないように思う。

 がんはステージⅣー遠隔転移があるーになると完治はしない、というのが今の再発進行がん治療の前提条件である。ここがちゃんと理解できていないと、こんなにきつい治療をしながらなんで治らないんだ!と必要のない精神的消耗と対峙することになる。一般には、病気になる→治療する→完治して病院卒業、これが理想のパターンなのだろうけれど、実際には慢性疾患もあるし、一生付き合っていかなければならない病気は一つや二つではない。

 ただ、転移がんの場合、病気になる→転移する・完治しなくなる→治療(延命)→いつか効かなくなる→亡くなる、という道を辿ることになる。そこが違うのだろう。
 けれど、治らなくても、長い期間病気と共存できるようになっている患者さんが増えているのは紛れもない事実だ。その治療している長い時間に、自分の越し方行く末を考える時間、覚悟する時間が充分にある。自分はどんな生き方をしたいのか、何が大切なのか、自分にとって不要と思える物事(人間関係も含む)は欲張らずに捨てられるようになる。今の私はそれである。

 11年半前、転移が判明したときに「代替治療や無治療、放置はありえない。標準治療をして出来るだけ永く病気と共存する」という選択をした。もちろんこれまで色々大変なことはあったけれど、今、おかげさまでこうして生き長ららえさせて頂いている。

 決して引き籠らず、出来るだけ外に出て(仕事をして)自分なりに動いて(歩いて)、体力や筋力をキープ(ヨガをして)する。沢山本を読んで、映画を観て、感動して、心を豊かに柔らかくして、旅をする。 そうしたことの積み重ねできちんと治療が受けるベースが整えられ、新しい治療の恩恵に浴する時間も生み出されるのだと思う。

 もちろん、色々な価値観や考え方があるから、これが良くてこれはダメと言うつもりはないが、治らないなら辛い治療は嫌だ、残りの人生短くて結構、と治療を止めてしまうのは早計ではないか。無治療を選択するなんてもったいなすぎる。いずれにせよ放置・無治療だったら早晩辛い症状が出てくる。それを少しでも先延ばしにし、緩和するのが治療でもあるのに。

 治らないというのは決して負けではない。いや、勝たなくたっていい、引き分けではダメなんですか?と思う。悪い細胞とはいえ所詮自分の細胞だ。老化だって悪さだってする。
 人は皆生まれてきたら死んでいかなければならない。平均寿命に捉われることはない。長さではない。
 病気になっても腐らずに今自分が出来ることをする、自分らしく今という瞬間を一生懸命生き切る。いい人生だった、と最期に言えるかどうかはその積み重ねにかかっていると思う。
コメント
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