昨夜は記事をアップしてから大浴場へ。金髪碧眼の方が数名入ってこられた。入浴後はそのまま部屋に戻ると、夫がアイスクリームを買ってくれていたのでちょっぴりお相伴し、コロリと眠った。
あまりに早く眠りについたせいか3時にお手洗いで目が覚める。それからがダメだった。またしても中途覚醒。夫の鼾で眠れない。1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、今度は夫がお手洗いに。何時かと訊くと6時過ぎとのこと。
まだ眠れる、と夫はすんなり二度寝していた。そして目覚ましが鳴る。はあ。結局、4時間半ほど眠れたのかどうか。
今日は定期観光バスを予約済みだ。夫が行きたいという「大原三千院と世界遺産比叡山延暦寺」の7時間コースである。
ひとまず朝湯で身体と目を強引に覚ます。私が上がるときにお一人入っていらしたけれど、正真正銘貸し切りだった。
部屋に戻って、昨日調達したパン等で簡単な朝食を済ませる。夫は今季の朝ドラの1週間振り返りを視ながら、お母さんが亡くなるシーンに涙をぽろぽろ流していた。歳を重ねて涙もろくなっているなぁと思う。
地下鉄で京都駅に向かう。予定したより1台早く乗れて余裕で到着し、予約ナンバーを告げてチケットを購入。出発5分前までに戻ってくるようにと言われ、お手洗いを済ませる。それなりの時間バスに揺られると思うと、お腹の調子が心配だから、結構ストレスだ。
乗り込んだのはボディに“太夫”の絵が描かれた綺麗なバスだ。御一行様は27名。バスの席は余裕があるので後ろの空席はご自由に、とのガイドさんの案内で、夫も私も1人2席キープ出来てゆったり。
眼下に壮大な琵琶湖を見ながら比叡山ドライブウェイを上る。山の上でも桜は盛りを過ぎている。八重桜はまだ咲き始めか。
まずは比叡山延暦寺東塔・根本中堂へ向かう。1時間弱で到着である。途中で雨が降り出し、黒雲が立ち込める。風も強い。いきなり体感温度が下がる。うーん、雨の予報ではなかったので、吹けば飛びそうな貧弱な折り畳み傘しか持っていない。だが、さすが京都定期観光バス。ちゃんと貸し出し用の大きな雨傘をほぼ人数分載せてくれている。有難いことだ。
京の都の北東に聳える比叡山は海抜848m。さすがに寒い。それなりに着込んで来た筈だけれど、もっと厚着をしてくればよかった、と後悔する。
今を遡る40年近く前、新規採用2年目の年、先輩と一緒に出張した帰りに訪れて以来の比叡山だ。その時は3月初めだったか、しっかりライナー付きのコートを着ていたが、山頂では雪がちらつき、それはそれは寒かった。結果お腹を壊して、夜中は何度お手洗いを往復したかしれない、という悲しい記憶がある。
今回も、雨なのか霙なのか雪なのかわからないものが空からチラホラ落ちてきた。まずはお手洗いを済ませてから団体で本堂に移動するとのこと、念のため、とお手洗いから戻ってくると、夫が、「丁度今、偉いお坊さんたちが入堂する行列が通ったんだよ」と写真を見せてくれる。見損なって残念。現天台座主は258世で御年99歳という。車から降りて、車椅子で本堂に入られるところだけ目にすることが出来た。
夫は、息子が大学入学してまもない頃にケーブルカーで訪れて以来とのことで、辺りの記憶が鮮明だ。東塔・西塔・横川エリアの3つに分かれている境内は山全体に及んでいるが、今日は東塔エリアのみの散策。
国宝・根本中堂は三代将軍家光公により再建され、現在、平成28年から10年がかりで60年ぶりの平成の大改修中。足場を含めた大きな囲いがされている。靴を脱いで、中に入ると足に触れる床が冷たい。厚地のタイツを履いてこなかったことをこれまた後悔する。
中陣に座って、定期観光バスの客向けにお坊様から15分ほどお話し頂く。ご本尊は薬師瑠璃光如来様で絶対秘仏。右の薬指を折り曲げ、左手には薬壺を持っておられる。ご本尊を照らす内陣には、開創以来消えたことのない灯り「不滅の法灯」がある。毎日欠かさず僧侶達が菜種油を差し続けているとのこと。油断という言葉はここからきているそうな。
お話の途中から、毎年4月4日から7日間続くという御修法(みしほ)が始まり、沢山の高僧による祈祷の声がダブった。こんなタイミングで訪れることが出来たのはやはりご縁なのだろう。しっかり薬が効きますように、とお願いしてきた。
中堂の囲いの内側には、修繕の様子を見ることが出来るよう階段が設置されており、屋根の高さまで上がることが出来た。外観は見られなかったけれど、工事期間ならではの体験が出来たのもラッキーだろう。
当病平癒のお守りとお札を頂戴してから根本中堂を出、途中にあった開運の鐘を夫と2人でつき、大講堂を一周してバスに戻る。
再びバスに乗り込み奥比叡ドライブウェイを降り、次なる目的地の大原方面に向かう。途中で雨が強くなり、空は灰色。風も強くなってくる。うーん、この荒天はどうしたことか、晴れ女が乗っている筈なのだけれど。
バスを降りて、傘を差し大原女の小径を歩く。夫は「いい雰囲気だね~」と言う。永六輔さんの「京都~大原~三千院♪」詩の石碑まである。私は高校時代に一度訪れたことがあったのだけれど、記憶が大分怪しくなっている。
呂川沿いの緩い坂道を上っていく。桜の花びらは川面に浮いて、早くも青紅葉が美しい。実光院、勝林院、宝泉院に向かう途中の律川と合わせ、酔っぱらって呂律が回らない、という言葉はここが発祥だそう。
お待ちかねのランチは、山菜料理がメインの料亭で三千草弁当を頂く。27名のグループで大きな広間が貸し切りだったが、おひとり様参加の方が3分の1ほどおられる。可愛らしい三段の重箱に入っているお弁当はヘルシーで山菜やお野菜たっぷりの精進料理を思わせるもの。お肉大好きの夫にはちょっと物足りなかっただろう。
食後はそのまま自由散策タイム。たっぷり2時間ほどある。お店を出ると、日が差して青空になっている。なんとも猫の目のように変わりやすいお天気だ。日が差すと暖かく傘は荷物になるのだけれど、曇るといきなり寒くなり、あっという間に雨が落ちてくる。やはり傘は手放せない。
高い石垣に囲まれた玄関口の御殿門から入る。枝垂桜が美しく、皆記念撮影に余念がない。客殿の庭園、池泉鑑賞的庭園の聚碧園を見ながら、縁側の緋毛氈でお抹茶も頂ける。宸殿の庭園・有清園を眺めつつ、往生極楽院へ。
おりしも今日は4月8日、お釈迦様のお誕生日である。小さなお釈迦様像に甘茶をかけてお参りすることも出来てこれまたラッキー。写経をする時間まではなかったので残念だったけれど、お庭を歩くとシャクナゲやヤマブキが満開、一面の苔も美しく、愛でることが出来た。
金色不動堂では、転職したばかりの息子に仕事守りを頂いたが、会計で御朱印帳を3枚ずつ書いて頂く方が多くて、並んでいる時間がかなり長かった。
境内はかなり広く、石畳の階段やら坂やらで、痛めている膝にはかなりきつい造りだ。苔むした可愛らしいわらべ地蔵を見つけるのが大変だったりして、結局他の3つのお寺にまではとても足を延ばせずじまい。まあ、3つのお寺を見るためにメインの三千院をさらっと拝見するのは本末転倒だろうけれど。
帰路は坂道を下りながら、春ならではの蕗みそや京たけのこのお漬物を買い求めた。コロナ禍中に、タモリさんの取材があったようで、ソーシャルディスタンスを取った記念写真が飾ってあるのを夫が見つけ、その写真を掲げたご主人とツーショットの記念写真も撮ってきた。
無事迷子になることなく出発時間5分前にバスに乗り込み、ガイドさんと綺麗なバスをバックに記念撮影。
途中出町柳で下車を希望する方を降ろし、川端通を一路京都駅へ下る。川べりではジョギングする人、お散歩する人たちで賑わっている土曜日の午後だ。車内に暖かい日差しが入るのと、寝不足なのとでバスの中ではこっくりこっくりと舟を漕いだ。予定より30分ほど早く順調に駅バス発着所まで帰還。
蝋燭の形の京都タワーが青空に映える。雲の動きは早いが、いいお天気だ。街中は雨が降ったり雪が舞ったりということはなかったのだろう。ただし風が強いのは同じようだ。
息子へのお土産を探すのに駅前をかなり無駄にウロウロして、疲れて顎が出る。既に万歩計は14,000歩を超えている。結局、最初にチェックした駅直結の百貨店で最初に見つけたものを買い求めた。
インスタ映えしそうなブティックのカフェで夫がお茶をご馳走してくれて、人心地付く。地下鉄でホテルに戻ってきた。
私はこうしていつもながら休みなくブログを書いているが、夫はあっという間に転寝。これで疲労回復出来るので羨ましい。まあ、それが嫌ならばブログなんて止めてしまえということなのだけれど、旅の記録は、溜めて翌日に持ち越したら決して書けないのがわかっているので必死である。
母にご機嫌伺いのMeet通話。「寒いわねぇ」が第一声。こちらと同じだったようだ。毎日の寒暖差が激しく、どうも風邪気味みたいというので、ちゃんと食べて暖かくして、と言ったのだけれど。
夕食は、ずっと気になっていたホテル近くのレモン料理専門の食堂に入った。ちょうど外国人2人連れが出たので予約なしで待たずに入れた。店内は12席ほどの小さなお店だったが、外国人観光客も入って満員御礼。アラカルトで好きなものを摂って(夫は念願のステーキを)無事、ホテルに戻ってきた。
今日も16,000歩超え。既にかなり眠い。
明日朝、不要な荷物を一足先に送れば、私達が帰京するのと同じ日に到着してすぐに洗濯機を廻せるということでどんどんパッキング。
ということで、6泊の長旅も残すところあと2泊。明日はまた郊外に繰り出す予定だ。
明後日が帰京日、そして翌日は水曜日の通院日のため前泊。自分で設定したもののかなりのハードスケジュールである。
あまりに早く眠りについたせいか3時にお手洗いで目が覚める。それからがダメだった。またしても中途覚醒。夫の鼾で眠れない。1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、今度は夫がお手洗いに。何時かと訊くと6時過ぎとのこと。
まだ眠れる、と夫はすんなり二度寝していた。そして目覚ましが鳴る。はあ。結局、4時間半ほど眠れたのかどうか。
今日は定期観光バスを予約済みだ。夫が行きたいという「大原三千院と世界遺産比叡山延暦寺」の7時間コースである。
ひとまず朝湯で身体と目を強引に覚ます。私が上がるときにお一人入っていらしたけれど、正真正銘貸し切りだった。
部屋に戻って、昨日調達したパン等で簡単な朝食を済ませる。夫は今季の朝ドラの1週間振り返りを視ながら、お母さんが亡くなるシーンに涙をぽろぽろ流していた。歳を重ねて涙もろくなっているなぁと思う。
地下鉄で京都駅に向かう。予定したより1台早く乗れて余裕で到着し、予約ナンバーを告げてチケットを購入。出発5分前までに戻ってくるようにと言われ、お手洗いを済ませる。それなりの時間バスに揺られると思うと、お腹の調子が心配だから、結構ストレスだ。
乗り込んだのはボディに“太夫”の絵が描かれた綺麗なバスだ。御一行様は27名。バスの席は余裕があるので後ろの空席はご自由に、とのガイドさんの案内で、夫も私も1人2席キープ出来てゆったり。
眼下に壮大な琵琶湖を見ながら比叡山ドライブウェイを上る。山の上でも桜は盛りを過ぎている。八重桜はまだ咲き始めか。
まずは比叡山延暦寺東塔・根本中堂へ向かう。1時間弱で到着である。途中で雨が降り出し、黒雲が立ち込める。風も強い。いきなり体感温度が下がる。うーん、雨の予報ではなかったので、吹けば飛びそうな貧弱な折り畳み傘しか持っていない。だが、さすが京都定期観光バス。ちゃんと貸し出し用の大きな雨傘をほぼ人数分載せてくれている。有難いことだ。
京の都の北東に聳える比叡山は海抜848m。さすがに寒い。それなりに着込んで来た筈だけれど、もっと厚着をしてくればよかった、と後悔する。
今を遡る40年近く前、新規採用2年目の年、先輩と一緒に出張した帰りに訪れて以来の比叡山だ。その時は3月初めだったか、しっかりライナー付きのコートを着ていたが、山頂では雪がちらつき、それはそれは寒かった。結果お腹を壊して、夜中は何度お手洗いを往復したかしれない、という悲しい記憶がある。
今回も、雨なのか霙なのか雪なのかわからないものが空からチラホラ落ちてきた。まずはお手洗いを済ませてから団体で本堂に移動するとのこと、念のため、とお手洗いから戻ってくると、夫が、「丁度今、偉いお坊さんたちが入堂する行列が通ったんだよ」と写真を見せてくれる。見損なって残念。現天台座主は258世で御年99歳という。車から降りて、車椅子で本堂に入られるところだけ目にすることが出来た。
夫は、息子が大学入学してまもない頃にケーブルカーで訪れて以来とのことで、辺りの記憶が鮮明だ。東塔・西塔・横川エリアの3つに分かれている境内は山全体に及んでいるが、今日は東塔エリアのみの散策。
国宝・根本中堂は三代将軍家光公により再建され、現在、平成28年から10年がかりで60年ぶりの平成の大改修中。足場を含めた大きな囲いがされている。靴を脱いで、中に入ると足に触れる床が冷たい。厚地のタイツを履いてこなかったことをこれまた後悔する。
中陣に座って、定期観光バスの客向けにお坊様から15分ほどお話し頂く。ご本尊は薬師瑠璃光如来様で絶対秘仏。右の薬指を折り曲げ、左手には薬壺を持っておられる。ご本尊を照らす内陣には、開創以来消えたことのない灯り「不滅の法灯」がある。毎日欠かさず僧侶達が菜種油を差し続けているとのこと。油断という言葉はここからきているそうな。
お話の途中から、毎年4月4日から7日間続くという御修法(みしほ)が始まり、沢山の高僧による祈祷の声がダブった。こんなタイミングで訪れることが出来たのはやはりご縁なのだろう。しっかり薬が効きますように、とお願いしてきた。
中堂の囲いの内側には、修繕の様子を見ることが出来るよう階段が設置されており、屋根の高さまで上がることが出来た。外観は見られなかったけれど、工事期間ならではの体験が出来たのもラッキーだろう。
当病平癒のお守りとお札を頂戴してから根本中堂を出、途中にあった開運の鐘を夫と2人でつき、大講堂を一周してバスに戻る。
再びバスに乗り込み奥比叡ドライブウェイを降り、次なる目的地の大原方面に向かう。途中で雨が強くなり、空は灰色。風も強くなってくる。うーん、この荒天はどうしたことか、晴れ女が乗っている筈なのだけれど。
バスを降りて、傘を差し大原女の小径を歩く。夫は「いい雰囲気だね~」と言う。永六輔さんの「京都~大原~三千院♪」詩の石碑まである。私は高校時代に一度訪れたことがあったのだけれど、記憶が大分怪しくなっている。
呂川沿いの緩い坂道を上っていく。桜の花びらは川面に浮いて、早くも青紅葉が美しい。実光院、勝林院、宝泉院に向かう途中の律川と合わせ、酔っぱらって呂律が回らない、という言葉はここが発祥だそう。
お待ちかねのランチは、山菜料理がメインの料亭で三千草弁当を頂く。27名のグループで大きな広間が貸し切りだったが、おひとり様参加の方が3分の1ほどおられる。可愛らしい三段の重箱に入っているお弁当はヘルシーで山菜やお野菜たっぷりの精進料理を思わせるもの。お肉大好きの夫にはちょっと物足りなかっただろう。
食後はそのまま自由散策タイム。たっぷり2時間ほどある。お店を出ると、日が差して青空になっている。なんとも猫の目のように変わりやすいお天気だ。日が差すと暖かく傘は荷物になるのだけれど、曇るといきなり寒くなり、あっという間に雨が落ちてくる。やはり傘は手放せない。
高い石垣に囲まれた玄関口の御殿門から入る。枝垂桜が美しく、皆記念撮影に余念がない。客殿の庭園、池泉鑑賞的庭園の聚碧園を見ながら、縁側の緋毛氈でお抹茶も頂ける。宸殿の庭園・有清園を眺めつつ、往生極楽院へ。
おりしも今日は4月8日、お釈迦様のお誕生日である。小さなお釈迦様像に甘茶をかけてお参りすることも出来てこれまたラッキー。写経をする時間まではなかったので残念だったけれど、お庭を歩くとシャクナゲやヤマブキが満開、一面の苔も美しく、愛でることが出来た。
金色不動堂では、転職したばかりの息子に仕事守りを頂いたが、会計で御朱印帳を3枚ずつ書いて頂く方が多くて、並んでいる時間がかなり長かった。
境内はかなり広く、石畳の階段やら坂やらで、痛めている膝にはかなりきつい造りだ。苔むした可愛らしいわらべ地蔵を見つけるのが大変だったりして、結局他の3つのお寺にまではとても足を延ばせずじまい。まあ、3つのお寺を見るためにメインの三千院をさらっと拝見するのは本末転倒だろうけれど。
帰路は坂道を下りながら、春ならではの蕗みそや京たけのこのお漬物を買い求めた。コロナ禍中に、タモリさんの取材があったようで、ソーシャルディスタンスを取った記念写真が飾ってあるのを夫が見つけ、その写真を掲げたご主人とツーショットの記念写真も撮ってきた。
無事迷子になることなく出発時間5分前にバスに乗り込み、ガイドさんと綺麗なバスをバックに記念撮影。
途中出町柳で下車を希望する方を降ろし、川端通を一路京都駅へ下る。川べりではジョギングする人、お散歩する人たちで賑わっている土曜日の午後だ。車内に暖かい日差しが入るのと、寝不足なのとでバスの中ではこっくりこっくりと舟を漕いだ。予定より30分ほど早く順調に駅バス発着所まで帰還。
蝋燭の形の京都タワーが青空に映える。雲の動きは早いが、いいお天気だ。街中は雨が降ったり雪が舞ったりということはなかったのだろう。ただし風が強いのは同じようだ。
息子へのお土産を探すのに駅前をかなり無駄にウロウロして、疲れて顎が出る。既に万歩計は14,000歩を超えている。結局、最初にチェックした駅直結の百貨店で最初に見つけたものを買い求めた。
インスタ映えしそうなブティックのカフェで夫がお茶をご馳走してくれて、人心地付く。地下鉄でホテルに戻ってきた。
私はこうしていつもながら休みなくブログを書いているが、夫はあっという間に転寝。これで疲労回復出来るので羨ましい。まあ、それが嫌ならばブログなんて止めてしまえということなのだけれど、旅の記録は、溜めて翌日に持ち越したら決して書けないのがわかっているので必死である。
母にご機嫌伺いのMeet通話。「寒いわねぇ」が第一声。こちらと同じだったようだ。毎日の寒暖差が激しく、どうも風邪気味みたいというので、ちゃんと食べて暖かくして、と言ったのだけれど。
夕食は、ずっと気になっていたホテル近くのレモン料理専門の食堂に入った。ちょうど外国人2人連れが出たので予約なしで待たずに入れた。店内は12席ほどの小さなお店だったが、外国人観光客も入って満員御礼。アラカルトで好きなものを摂って(夫は念願のステーキを)無事、ホテルに戻ってきた。
今日も16,000歩超え。既にかなり眠い。
明日朝、不要な荷物を一足先に送れば、私達が帰京するのと同じ日に到着してすぐに洗濯機を廻せるということでどんどんパッキング。
ということで、6泊の長旅も残すところあと2泊。明日はまた郊外に繰り出す予定だ。
明後日が帰京日、そして翌日は水曜日の通院日のため前泊。自分で設定したもののかなりのハードスケジュールである。