昨夜は女性風呂の混雑表示が「やや混雑」からなかなか変わらず。ずっと「空いている」だったので、「やや混雑」がどの程度なのかわからない。少し様子を見ていたが諦めて向かった。男性はずっと「空いている」だったけれど。
結果、9つある洗い場がほぼ一杯で、湯舟にも数人がいた感じだった。それにしても外国人客が多い。
とはいえ、洗い場が使えず立って待ったというわけではないので贅沢は言えないだろう。なんといっても昨日は土曜日だったのだから。
眠れたのは日付が変わってから。朝4時半過ぎにお手洗いに起きたら、また眠れなくなった。夫は相変わらず良く眠っている。大浴場は6時からだから、それまで息を殺して待つ。暗い中で支度をしてそっと部屋を出る。
今朝もほぼ貸し切り。私が出る時にお一人入ってきたのと、既に上がる方がお二人いた程度で、湯舟も洗い場も一人だけだった。
今日は、嘗て夫が息子と二人で訪れたことのある所を何か所か回ることに。まずは大きなキャリーケースをフロントで宅配便に出す。
今日はいいお天気だが、外に出ると、かなり冷え込んでいる。ホテルからほど近い珈琲店でモーニングセットを頂いてから(久しぶりに厚切りトーストが美味しかった。)、地下鉄乗り入れの私鉄に乗ること30分ほどで目的地、中書島に到着した。
伏見と言えばこれまで伏見稲荷は訪れたことがあるが、今日はかつて「伏水」とも書かれた良質の水に恵まれた街で十石舟に乗るという。ネット予約では満席だったようだが、乗船場に行くと、10分ほど待って乗ることが出来た。昨年9月に訪れた佐原に街の雰囲気が似ている。
川べりの芽吹いた柳の緑と酒蔵の黒のコントラストが美しい。
20人ほどがバランスよく左右に分かれて乗りこむ。乗船時間は往復で50分ほど。豊臣秀吉の伏見城築城の際に造営されたという宇治川派流を辿り、途中、三栖閘門に立ち寄り、資料館や閘門近辺の見学が組み込まれている。
桜がもう散ってしまっていたのがちょっと残念だったが、タンポポの黄色い花が公園一杯に広がっている。帰りは乗ってきたのとは別の船で同じ水路を戻ってくる。船頭さんの案内を聞きながら、船は水面を滑るように進んでいく。相変わらずお腹の調子がいまいちでお手洗いを心配しつつ、なかなか難儀である。
無事下船し、次は長建寺に向かう。ご本尊は弁財天で、山門には赤いのぼりが立ち並び賑やかである。仏様に備える「閼伽水」は伏見の良質の地下水と同じ水脈だそう。お庭も樹々のお花がとても美しい。濃いピンクの八重桜やお酒の名前にもなった淡黄緑色の黄桜(鬱金桜)が満開だった。
続いて、寺田屋へ。薩摩藩の定宿として指定され、かの坂本龍馬が、後に妻になるお龍の機転で、命からがら脱出したという寺田屋事件の現場である。ミシミシと音がする急な階段を上り、銃弾の痕やら刀の痕等が柱に刻まれている和室を拝見。鴨居が低くて頭をぶつけそうである。
龍馬が愛用した梅の間以外は今も泊まれるということにびっくりした。龍馬ファンならたまらない場所だろう。1階に訪問帳があったので、せっかくだから、と夫と記してきた。
そろそろお昼、ということで、地元の酒造が経営する食事処へ。資料館も見学し、少し待ったけれど、広々とした店内でゆっくりとリーズナブルに龍馬御膳等が頂けた。
地ビールや生酒等のショットサービスもあったけれど、下戸だとこういう時につまらない。ちょっぴりお土産を買い求め、商店街では、十石船のチケットを提示すると出来る、お愉しみガラガラ抽選(夫も私も参加賞だった)にも参加して、降りた駅の隣の駅から再び私鉄に乗った。
次なる目的地は国宝・石清水八幡宮である。私鉄駅前から参道ケーブルを利用すると7分ほどで頂上に到着。そこからまた坂道を上がり、階段を上りながら、膝の調子も悪くちょっと顎が出る。
ここでまた期せずしてラッキーなイベントに遭遇した。「鳥羽太夫道中、葵太夫奉仕」との看板が出ている。太夫道中とは、神社仏閣の神職や高僧のお練りを様式化したもの。
太夫が前に禿(かむろ)、そして引舟、後ろに傘持ちを従え「内八文字」という特殊な歩き方でゆっくりと練り歩く。衣裳は十二単を簡略化したもので、襟を返し、裏の緋色を見せるのは太夫の証明で、この緋色は正五位の位の色だそう。これを見せることが、御所へ上がるためのパスポートのようなものだという。
昨日太夫の絵が描かれた大型バスに乗ったのも何かのご縁だろう。お参りも済ませ、茶処で桜の花のジェラートと厄除けぜんざいを頂き、ほっと一息つく。少し元気になって、また坂道を下り、ケーブルカーに乗って駅前まで戻ってきた。
夫が息子と訪れた時は、既に夕方で、門が閉まっていたという頓宮にも参拝し、門前の走井餅老舗で夫の好きな餅菓子を買い求める。
良く歩いて疲れているし、お腹はいい具合に満ちているし、眠くてたまらない。再び京都の中心まで戻ってくるのに30分ちょっとの車内では爆睡だった。
祇園四条で降り、一昨日のリベンジを果たすため、ラーメン屋さんに様子伺いに。
開店時間まで1時間ちょっとあるが、店員さんに、今日も整理券配布は17時からかどうか確認する。いわく17時と決まっているわけではないが、客が店の前に集まり出して配るのが17時から17時15分頃になるとのこと。それならば、と近くのカフェで様子見をしながら待つことにした。
17時少し前にカフェを出ると、既に40名以上が並んでいる。なんということか。最後尾につくとどんどん列が長くなる。開店10分前に20名近くが店内に呼び込まれ、注文も聴かれている様子。
私達は17時半過ぎになって、18時に店前に来るようにと整理券を手に入れた。いやはや。
30分しかないので、それほど遠くにも行けず、近くの商店街で時間潰し。5分ほど前に戻ったら整理券を持った客が10名以上、店の前に並んでいた。それから中に入れるまでに1時間近く待つ。
腰が痛くなるし、ラーメンのためになぜここまで、とだんだん不機嫌になってくる(私はそもそもそれほど食べ物に執着がないことに最近になって気が付いた。)。前にいる外国人家族は、おむつのとれないちびちゃん連れ。店の前でおむつ替えまでしているし、皆マスクもせずによく喋る。どう見ても客の半分以上は外国人客で、客裁きの女性店員はずっと英語で応対している。ラーメンが、多くの国の人々に受け入れられていることに驚くばかりだ。
やっとカウンター席に案内され、夫と違う出汁の色のラーメンを頂く。なるほど確かにとても美味だったけれど、15分ほどで食べ終わるものを頂くのに都合3時間近く待ったとは。うーん、ラーメン道の修業とはこのことか。
まあ、リピートするなら私は抜きで息子と来てね、と夫に言いつつ、ホテルへの帰路についた。
15分ほど歩いてホテルに戻り、母にMeet通話を済ませて、私は今日も一人でブログ書き。夫も草臥れたと見えて、早速ベッドで転寝している。
6泊7日のセンチメンタルジャーニーも最後の夜になった。本日の万歩計は14,000歩超え。
明日はホテルのレストランでゆっくり朝食ブッフェを頂いてから近隣を散策の上、午後には新幹線に乗る予定である。
結果、9つある洗い場がほぼ一杯で、湯舟にも数人がいた感じだった。それにしても外国人客が多い。
とはいえ、洗い場が使えず立って待ったというわけではないので贅沢は言えないだろう。なんといっても昨日は土曜日だったのだから。
眠れたのは日付が変わってから。朝4時半過ぎにお手洗いに起きたら、また眠れなくなった。夫は相変わらず良く眠っている。大浴場は6時からだから、それまで息を殺して待つ。暗い中で支度をしてそっと部屋を出る。
今朝もほぼ貸し切り。私が出る時にお一人入ってきたのと、既に上がる方がお二人いた程度で、湯舟も洗い場も一人だけだった。
今日は、嘗て夫が息子と二人で訪れたことのある所を何か所か回ることに。まずは大きなキャリーケースをフロントで宅配便に出す。
今日はいいお天気だが、外に出ると、かなり冷え込んでいる。ホテルからほど近い珈琲店でモーニングセットを頂いてから(久しぶりに厚切りトーストが美味しかった。)、地下鉄乗り入れの私鉄に乗ること30分ほどで目的地、中書島に到着した。
伏見と言えばこれまで伏見稲荷は訪れたことがあるが、今日はかつて「伏水」とも書かれた良質の水に恵まれた街で十石舟に乗るという。ネット予約では満席だったようだが、乗船場に行くと、10分ほど待って乗ることが出来た。昨年9月に訪れた佐原に街の雰囲気が似ている。
川べりの芽吹いた柳の緑と酒蔵の黒のコントラストが美しい。
20人ほどがバランスよく左右に分かれて乗りこむ。乗船時間は往復で50分ほど。豊臣秀吉の伏見城築城の際に造営されたという宇治川派流を辿り、途中、三栖閘門に立ち寄り、資料館や閘門近辺の見学が組み込まれている。
桜がもう散ってしまっていたのがちょっと残念だったが、タンポポの黄色い花が公園一杯に広がっている。帰りは乗ってきたのとは別の船で同じ水路を戻ってくる。船頭さんの案内を聞きながら、船は水面を滑るように進んでいく。相変わらずお腹の調子がいまいちでお手洗いを心配しつつ、なかなか難儀である。
無事下船し、次は長建寺に向かう。ご本尊は弁財天で、山門には赤いのぼりが立ち並び賑やかである。仏様に備える「閼伽水」は伏見の良質の地下水と同じ水脈だそう。お庭も樹々のお花がとても美しい。濃いピンクの八重桜やお酒の名前にもなった淡黄緑色の黄桜(鬱金桜)が満開だった。
続いて、寺田屋へ。薩摩藩の定宿として指定され、かの坂本龍馬が、後に妻になるお龍の機転で、命からがら脱出したという寺田屋事件の現場である。ミシミシと音がする急な階段を上り、銃弾の痕やら刀の痕等が柱に刻まれている和室を拝見。鴨居が低くて頭をぶつけそうである。
龍馬が愛用した梅の間以外は今も泊まれるということにびっくりした。龍馬ファンならたまらない場所だろう。1階に訪問帳があったので、せっかくだから、と夫と記してきた。
そろそろお昼、ということで、地元の酒造が経営する食事処へ。資料館も見学し、少し待ったけれど、広々とした店内でゆっくりとリーズナブルに龍馬御膳等が頂けた。
地ビールや生酒等のショットサービスもあったけれど、下戸だとこういう時につまらない。ちょっぴりお土産を買い求め、商店街では、十石船のチケットを提示すると出来る、お愉しみガラガラ抽選(夫も私も参加賞だった)にも参加して、降りた駅の隣の駅から再び私鉄に乗った。
次なる目的地は国宝・石清水八幡宮である。私鉄駅前から参道ケーブルを利用すると7分ほどで頂上に到着。そこからまた坂道を上がり、階段を上りながら、膝の調子も悪くちょっと顎が出る。
ここでまた期せずしてラッキーなイベントに遭遇した。「鳥羽太夫道中、葵太夫奉仕」との看板が出ている。太夫道中とは、神社仏閣の神職や高僧のお練りを様式化したもの。
太夫が前に禿(かむろ)、そして引舟、後ろに傘持ちを従え「内八文字」という特殊な歩き方でゆっくりと練り歩く。衣裳は十二単を簡略化したもので、襟を返し、裏の緋色を見せるのは太夫の証明で、この緋色は正五位の位の色だそう。これを見せることが、御所へ上がるためのパスポートのようなものだという。
昨日太夫の絵が描かれた大型バスに乗ったのも何かのご縁だろう。お参りも済ませ、茶処で桜の花のジェラートと厄除けぜんざいを頂き、ほっと一息つく。少し元気になって、また坂道を下り、ケーブルカーに乗って駅前まで戻ってきた。
夫が息子と訪れた時は、既に夕方で、門が閉まっていたという頓宮にも参拝し、門前の走井餅老舗で夫の好きな餅菓子を買い求める。
良く歩いて疲れているし、お腹はいい具合に満ちているし、眠くてたまらない。再び京都の中心まで戻ってくるのに30分ちょっとの車内では爆睡だった。
祇園四条で降り、一昨日のリベンジを果たすため、ラーメン屋さんに様子伺いに。
開店時間まで1時間ちょっとあるが、店員さんに、今日も整理券配布は17時からかどうか確認する。いわく17時と決まっているわけではないが、客が店の前に集まり出して配るのが17時から17時15分頃になるとのこと。それならば、と近くのカフェで様子見をしながら待つことにした。
17時少し前にカフェを出ると、既に40名以上が並んでいる。なんということか。最後尾につくとどんどん列が長くなる。開店10分前に20名近くが店内に呼び込まれ、注文も聴かれている様子。
私達は17時半過ぎになって、18時に店前に来るようにと整理券を手に入れた。いやはや。
30分しかないので、それほど遠くにも行けず、近くの商店街で時間潰し。5分ほど前に戻ったら整理券を持った客が10名以上、店の前に並んでいた。それから中に入れるまでに1時間近く待つ。
腰が痛くなるし、ラーメンのためになぜここまで、とだんだん不機嫌になってくる(私はそもそもそれほど食べ物に執着がないことに最近になって気が付いた。)。前にいる外国人家族は、おむつのとれないちびちゃん連れ。店の前でおむつ替えまでしているし、皆マスクもせずによく喋る。どう見ても客の半分以上は外国人客で、客裁きの女性店員はずっと英語で応対している。ラーメンが、多くの国の人々に受け入れられていることに驚くばかりだ。
やっとカウンター席に案内され、夫と違う出汁の色のラーメンを頂く。なるほど確かにとても美味だったけれど、15分ほどで食べ終わるものを頂くのに都合3時間近く待ったとは。うーん、ラーメン道の修業とはこのことか。
まあ、リピートするなら私は抜きで息子と来てね、と夫に言いつつ、ホテルへの帰路についた。
15分ほど歩いてホテルに戻り、母にMeet通話を済ませて、私は今日も一人でブログ書き。夫も草臥れたと見えて、早速ベッドで転寝している。
6泊7日のセンチメンタルジャーニーも最後の夜になった。本日の万歩計は14,000歩超え。
明日はホテルのレストランでゆっくり朝食ブッフェを頂いてから近隣を散策の上、午後には新幹線に乗る予定である。