Pee「なんか退屈だね・・・」
Boss「べーつに」
Pee 「あ~~~たいくつだにゃ~~~~」
Pee「ねえ! 遊ぼうよ!!!」
Boss「やだってば! あちぇし!」
Pee「ねえ ねえ! こんなんしちゃうぞ!」
Boss「うっせぇな! おれネコ嫌いだし! おまえ女だし! やめろよ!怒っちゃうぞ!!!」
Pee「なんか退屈だね・・・」
Boss「べーつに」
Pee 「あ~~~たいくつだにゃ~~~~」
Pee「ねえ! 遊ぼうよ!!!」
Boss「やだってば! あちぇし!」
Pee「ねえ ねえ! こんなんしちゃうぞ!」
Boss「うっせぇな! おれネコ嫌いだし! おまえ女だし! やめろよ!怒っちゃうぞ!!!」
急に涼しくなって、「空き地の草刈りでもしようかな」という気分
空は灰色雲でいっぱいだが、全体的に明るく午後からは晴れてきそうだ
先日は暑い中で1mにも伸びた草を、例の「関の草刈り鎌」で刈ったんだ
さすがの切れ味。 空き地の前の一軒家に一人で住むおばあさんが「ありがとうね
自分は出来ないし、さっぱりさせてもらってありがとう」と言ってくれた
先日の女優の宮地真緒「24時間テレビ」「告白〜勇気を出し て伝えよう〜」に生出演。
14年間交際中の一般男性からプロポーズを受け承諾 。指輪を贈られて号泣した。
という記事
「ウォーターボーイズ」で初めて宮地真緒を見て以来のファンだった
特に美人女優でも無く、それほど個性的でも無く、でもあの口元と目が好きでファンに
それ以来、写真集を何冊も買ってきたが、あまりヒットも無くパッとしなかった
そのうち売れない女優のお決まりコースを歩き出し、写真集も映画もちょっとイメージから
外れてきたが、それを買うのもファンゆえ
ちょっとイメージダウンしていたが、今回はテレビで感動物として大きく取り上げられた
何をどうしたって、女優は女優であり、一人の人間であることを認識して嬉しかった
また正統派の演技でテレビで末永く活躍してほしいな。
今朝は、この夏以降はじめての、ひんやりとした朝だった
昨日までの高温多湿は食中毒菌にとっては天国、繁殖するに最高の条件だった
そこへ持ってきて、うだる暑さでバテ気味の国民
昨日も、飛騨高山でカンピロバクターによる食中毒で100名以上がやられた
私は昨日、保健所(厚労省)のハサップの研修会に行ってきた
食品衛生管理の国際基準であり、2020年の東京五輪に向けて、国をあげて取り組みだした
一言で言えば、我々飲食業が日頃から行っている食中毒対策を、より深く具体化させる
システム作りで、自分の店で提供している商品の一つ一つの食中毒の危険性を拾い上げ
それら一つ毎にどう対処するか、もっとも効率よく全ての危険を察知する工程を見つけて
そこを最後の砦として厳重なチェックを行う
下駄履きの板前や寿司職人が聞いたら「てやんでぇ、こちとら・・・」と言いそうな、いかにも
お役所的な内容で、これを実施するための膨大な文書と資料、そして研究チームをもたなければ
とても出来ることでは無い。 いわば大手チェーンレストランや大手菓子製造企業とか万一の場合
とんでもない量の食中毒をおこしうる企業向けといえよう。
さすがに厚労省も、とおちゃんかあちゃんの食堂や、我々の様な従業員20名にも満たない飲食店
には考慮してベーシック版ともいえる対策を提示した、これなら仕事の合間にも出来そうだ。
日本中で今、食中毒が発生している、高山の事件は「カンピロバクター」が原因で、これが実は食中毒
件数の第一位、患者数では第二位。 これと張り合っているのが「ノロウィルス」で事件数は第二位
患者数第一位と、この2つの食中毒が互角の戦いを行っている。
とにかく全食中毒の事件数の75%上、患者数の80%弱をこの2つでしめているのだから、大量被害者
食中毒と言えば、このどちらかと言える。
カンピロバクターはおもに家畜の腸に住み、非加熱、あるいは加熱不十分の鳥肉、豚肉、牛肉から伝染する
よく焼いたからと安心できない、なぜなら焼けた肉を取り分けるときに、生肉を挟んでいたトングですると
そこに菌がついている場合がある、焼けた肉も新たに菌を塗られてしまえば元の木阿弥だ。
ノロウィルスは主に冬多く発症する、これは菌ではなくウィルスだから浮遊している
口から入ったり、保菌者の手指から食品や食器、器具に伝染して第三者へと伝染する
カンピロバクターもノロウィルスも、少量が短時間のうちに天文学的に大増殖する、だから大量患者が発生する
一般人の対策は、まずは食べる前に洗剤でよく手を洗い、使い捨てのペーパータオルで手を拭くこと
極力直接の手づかみはしないこと。 肉や貝類は完全に加熱することが基本
菌やウィルスを口に入れない対策が第一だ
「今まで随分食べたが大丈夫だったから、大丈夫」は運がよかっただけ、いつ大当たり一等賞がでるかわからない
70kB程度の粗い写真でお見苦しいが
晩愁の鬼無里路は白馬からぐんぐんと高度を上げていく
後立山の白馬連峰~唐松岳~五竜岳~鹿島槍と2500~3000mの山並み
その手前にはスキーのメッカ、八方尾根のゲレンデが白く光っている
八方尾根
五竜岳と頂上直下の名物「武田菱」(黒い菱形が武田信玄の武田家の家紋に見える)
登り切ると伝説の村、鬼無里村、そこから北へ裾花峡谷が伸びている 紅葉が現れた
終点の辺りは、もう雪の世界になっていた
ようやく週末が開けて、今日は朝一番に市役所で母の年金解約手続きをしてきた
市から届いていた書類は全て書いて持って行ったし、母の年金手帳や介護保険などの
公的な証書やカード類は父が几帳面にひとまとめにして置いてくれてあったので
入院で父がいなくても、難なく手続きが終わった。
私は、こんな父の子なのかと思うほど、「ずさん」で、「ずぼら」だから捜し物だらけだ
その上、古くなった衣類や手紙なども捨てることができない「ものもち」だから
ますます捜し物に時間がかかる、どうも母に似た様だ
母の衣類も妹が来て処分したけれど、大きな袋に(とりあえず)6袋あった
父は身の回りもこざっぱりしている、子供の時から東京でヤドカリ族の両親と暮らした
名残かもしれない。
金庫の中を整理していたら「父が死んだ後」と書いた封筒があって(財産分与の遺言などではなく
私への心構えの指図書だった、封などしてない)残された母には「ああしろこうしろ」と私への指図が
書いてあった。
まさか母が先に逝くとは、父は思いもよらなかった様だ。
フェーン現象の夜が続き、クーラー嫌いの女房殿が頼るのは夜風だが
ところがPネコときたら、後ろ足で立ち上がって前の両手で網戸をいとも簡単にあける
そこで、苦情は拾ってきた私に当然ながらくるわけで
まずは網戸を固定して開かないようにする、これは上手くいってPネコも戸惑っている
ところが、網戸は2枚、ガラス戸は4枚、網戸が無い2枚はストレートで外に出られる
Pネコは網戸がダメならガラス戸と、ターゲットを変えた
私の部屋の立て付けの悪いサッシと違い、女房殿の部屋のサッシはスルスルと滑るように開く
それがPeeにとっては思うつぼ、気がつけばもう体半分が外に出ていた
あわてて暴れるPeeを捕まえて部屋に戻す、そしてガラス戸も施錠
かくして蒸し暑い部屋の中で「我慢するわ・・・」と恨めしげに私を睨む
そしてぽつりと「来年はクーラーだね」と言った
こいつとぼけているが、なかなか頭が切れる、まだ1歳、これからもっと大きくなれば
どうなる?
料理作りが業(なりわい)だけど、肉の調理というのはほとんどしてこなかった
せいぜい豚の角煮くらいだが、それだって固くなってぱっとしなかった
スチームコンベクションを導入してから、肉をかまってみたくなって、最初の肉調理がこれ
塩と胡椒をまぶした牛肉をフライパンで焦げ目をつけて機械に入れる
中心の温度が56度になるよう設定して、90度の熱で約一時間じっくり焼く
と、レシピに書いてあるとおりやってみた
一時間暇があくので、監視しながらパソコン作業、こりゃあ楽だ
で、完成
筋っぽい中心部も熱で焼き切れた、ジューシーで食べやすいローストビーフになった
今朝は激しい雷雨で魚市場の仕入もキャンセルしようかと思ったほど
でも行って良かった。 岐阜の市場巡りの刃物屋が市場内で商いをしていた
関の刃物が百種類を超える、どれもこれも咽から手が出るほどの品ばかり
手打ちが多く、一点が数千円というものばかり(包丁は数万円)だから、そうたくさんは
買えない
うちの店は、社員がホームセンターで買ってくるハサミや鎌ばかり、外国製の安物ばかり
したがって切れない、錆びる、壊れやすいの使い捨てばかり
だが、こうした国産の本物は使うのも惜しい様な美術品だ
手にもしっくりくるし、滑りも良いし、光沢も何ともいえず、適度の重量感もある
大事に使っていきたい
今朝も早朝に激しい雨が降った、そして7時前にはほとんどやみ、今は曇っている
これから晴天に向かいそうな気配だ
母は16日の深夜に亡くなったので新盆はちょうど一年後と言うことになる
仕事が忙しい盆の盛りを外してくれたのは思いやりある母らしいし
朝番は激しい雨だったのに、葬儀の昼間は3日間とも安定した天候だったのも
母の人柄が天に通じたとのではないかと思った
我が町では納骨は49日というのが圧倒的だが、都会辺りでは一周忌に行うことも
珍しくない
先日ここで書いた、舞台役者の同級生が我が店に宿泊して行ったのも母親の一周忌と
故郷(この町)の墓地に納骨するためだった
このおかあさんは私の母とは若い頃から、同じ町の工場で働いていて、彼女らが関東に
引っ越すまで夫婦ぐるみで濃い友人つきあいをしていたのだ。(家も200mくらい)
その中で父が、彼女を私の許嫁にという話が出たことも書いた
さて、その家族の墓地は、わが町内の共同墓地で、わが父が二代目の会長として墓石の新装に
尽力した墓地でもある、そこで彼女のおかあさんの納骨を行った
それから1ヶ月、うちの母も亡くなり1ヶ月後の49日には同じ共同墓地に入ることになる
俗っぽい言い方だが、また一緒に会える
そんな因縁めいた友達関係なのだ
今日は結局雨が降ったりやんだりのパッとしない一日だった
ただ蒸し暑さが強烈で、クーラーの部屋から出たとたんに「もわ~」と来る
あのいやらしい感触はたまらなく不快だ
この3日間、体重と体脂肪、内蔵脂肪が目に見えて減りだしてきた
数ヶ月ずっとたいした変化が無く、固定したと思っていた矢先だ
やはり、母の葬儀で目に見えないストレスを体が感じているのかもしれないな
以前、大幅に減ったときも幼稚園の給食を受けた時からで、やはり日常と違った
大きなイベントが起こるときに精神的に変化が起こるのかもしれない
いずれにしろストレス太りの反対を行っているのは、良いことだと思う。