神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

おいらの部屋にも「こたつ」

2017年12月29日 11時07分25秒 | 時代検証

今日は穏やかな朝です、さいわいに今回の大雪注意報も我が町では空振り

まったく雪は消えてしまって、まれに空き地に白くなっているだけで、道路も乾燥しています

ただしどんより空はやはり北国だ

今日は昼に富山市へ雪を見に行ってきます。

 

二十年くらい寒い冬を越してきた、寒い部屋で、そしてそれに慣れた

ところが今回のPねこの入院で、自分の我慢が女房殿、わんこ、にゃんこには過酷だったことに

ようやく気づいた。

冬でもエアコン無し、こたつ無し、女房殿の部屋は石油ストーブ、私は背中に700Wの電気ストーブ

そして熱燗か焼酎お湯割り、それと布団で冬を過ごしてきた、さすがに年齢と共に厳しくなって

去年900円のミニ電気あんかを買って布団に入れるようになった。

 

Pねこ入院中に、Pねこの為にこたつを買った、わが家にこたつが来たのは20年ぶりくらいだろうか

こたつに入ってテレビを見ていた記憶はある

一昨日の夜、自分の部屋で思ったのだ「この部屋にこたつがあれば、横になってうたた寝出来る」と

4畳半の部屋には木製4段の本棚が2つ、6段の和箪笥、開きの洋ダンス、そしてベッド、3段物入れ

そしてテーブル1にはテレビとモニターとコンポステレオとレコードプレィヤー

残るは畳3分の2の空間だけ、その半分はパソコンが乗ったテーブル2が鎮座

電気屋へ行って3800円のこたつを買った、最大出力300W、因みにネコちゃんのこたつは5000円

700W

テーブル2を片付けて、こたつを置いてみた、なんとか横になってこたつに入れそうだ

もう全てぎりぎり、仮住まい故しかたない、女房殿に明け渡した本宅の風通しの良い10畳間が恋しい

 

この狭い部屋を見て昔を思い出した

新潟市で板場修行していた昭和44年~、当時は日本中で学生が安保反対運動を展開していた

新潟市も例外ではなく、中学時代から仲良しであったKが新潟大学工学部に入学して、高校卒業と共に

一緒に新潟市に移り、夜な夜な行き来していたのだった

彼のアパートは学校町にあった、下宿屋だ、県高(新潟高校)の近くで2階建ての古びた大きなアパートだった

その中には日本中から集まった新大生(新潟大学生)が下宿していた、たまに遊びに行った

そんな中で岡崎から来ていた農学部の学生Hとは気が合った

市内の県庁付近でおこる学生デモの中心は新大生だったが、HもKも学生運動には無関心なノンポリだったが

このアパートには学生運動の猛者も何人かいた

そいつの部屋を覗いたことがあるが、まさに今日の私の部屋の如くで、狭い部屋の真ん中には小さなこたつ

本来教科書が乗るべきテーブルには「ガリ版」が置いてあった、その横には刷ったアジビラどっさり

今の若者には「ガリ版」はわかるまい、当時としてはプリントゴッコが発売されるまでは一般人にとってもっとも

効率よい印刷機だった

蝋を薄く塗った紙をやすりのようなざらざらな板の上で、鉄の芯の鉛筆(鉄筆)でガリガリ音を立てて字や絵を描く

それを謄写版に貼って、インクをつけたローラーで一枚ずつわら半紙に印刷していくのだ

そういったアジビラ(アジテートびら)作りをしていたのだった

乱雑に散らかった、いかにも安保反対闘争学生の部屋、今自分の部屋を見ながらそれを思い出していた

彼らも卒業後は何事も無かったかのように、ぼさぼさの長い髪を切り七三に髪をわけて社会人となり

バブル時代を戦う企業戦士に変身していったのだった。

 

 

 

 

 


帰ってきたPねこ

2017年12月27日 16時42分01秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

朝6時に新聞を取りに外に出た。

昨夜は新潟、北陸は60~100cmの降雪という予報だったが幸いなことに、我が町は1cmの積雪すらない

そのかわり海岸特有の西風が吹き荒れています 、これで年内の根雪はないだろう

 

Peeねこの容体は予想以上に悪く、結局3泊4日の入院点滴成生活になった

昨夜、家に戻ると「にゃーにゃー」と泣きながら玄関にお迎えに出てきた

4日ぶりに見たPeeは痩せていた、女房殿に聞いたら腎臓に障害があるネコだと言うことがわかった

それを承知でこのネコとつきあってあげてくださいという医院の添え書き

1歳半で4回ほど入院したPee、それでも元気が回復して走り回っている

15日ごとにしばらくは注射が必要、寒さ対策にこたつを買ってきた、早速潜り込んだのはキャバリアのボスが

先だった

 

 


ミッドナイト・クリスマス

2017年12月26日 16時36分02秒 | ライフスタイル

毎年クリスマスパーティを開催しているけれど、今年はジャスト25日のクリスマス

遠く長野県岡谷市からも7名、合計43名が参加しての2時間パーティ

故郷民話の紙芝居を披露した後、いよいよご馳走を食べながら交流会

今回はイベント実行委員長に指名されて、例年とは異なった盛り上がりを企画した

ホール正面で迎えてくれたのは四季桜

最初は、地元の楽団から仲良し5人組の演奏、フルート、ピッコロ、キーボード、サックスフォン、トランペット

クリスマスメドレ-や山下達郎のクリスマスイブなど6曲を披露、一気にムードが盛り上がりました

会場もツリーと電飾で飾り付け、仲間の電気屋さんが飾ってくれました

プレゼント交換は、全員が輪になってプレゼントを隣に送っていき、「幸せなら手を叩こう」の音楽が

ストップしたところで持っているのがいただいたプレゼント

そのあとはスペシャルプレゼントじゃんけん大会、商品は年末ジャンボ宝くじ10枚セット5本

70歳の大人まで夢中になって

そして、あっという間の2時間が終わり・・・・・・・もちろん2次会へ

何も食べずにいた私は空腹で二次会へ

クリスマスの町もイルミネーションがきらめいています

     

ようやく任が解けて、私も年甲斐も無く大はしゃぎです、まずは枝豆で腹ごしらえをして、カラオケタイムに突入

みんな声自慢、のど自慢、私はクリスマスにつきビング.クロスビーのホワイトクリスマスと、

パーティでも演奏してもらった山下達郎のクリスマスイブを歌いました

23時、3次会チーズをつまみに日本酒熱燗飲んで、ラーメンで〆

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 


主婦感覚開花

2017年12月24日 08時13分06秒 | yottin日記

すっかり主婦になってしまったyottin、買い物感覚もどんどん主婦化している

今まで自分の買い物では考えもしなかった「ポイント」「5%引き、10%引き」「ポイント5倍」

「火曜日は**ディ」、こんな宣伝文句にも敏感になってきた

一度の買い物が5000円~1万円ともなれば5%10%は大きい、でもこうして小銭を倹約しても

飲んだ帰り、タクシー運転手さんに「お釣りはいいよ」と男に戻る

なんか矛盾してるみたいだが、買い物で得した分を社会還元していると想えば、それでいいか

 

もっと主婦感覚になったのが物価に敏感になったこと

商売では、かなり大まめな仕入をしているくせに、昨日はレタスを買おうと思ったらい1ヶ380円

(Zzzzzzzzzzz!!)じゃあキャベツにしようと、これも380円、とても家庭的には買えない

ほうれんそうも、200円を超えている

野菜が高くなって、かえって牛肉が安く感じる、買ってしまった....生野菜のない焼き肉か

こんな時は庶民の味方「もやし」と「冷凍ほうれんそう」をつけあわせにしよう


Pねこ一泊入院

2017年12月23日 21時37分49秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚

楽しい後には、へこむことが待っている

ここ数日、父の食欲が落ちてきて、加えて気持ちの落ち込みが著しい

「一人」だとか「寂しい」とかの言葉が頻繁になってきた

今日も、「みんな居なくなった」と言うから、「そうだね(妹)は嫁に行ったし、(弟)は新潟に住んでるし

誰も居なくなったね。 結局、バカだ何だって言っても、あんちゃんだけは傍に残ったね」

と言ったら、「そうだな」とうなずいた

「一人で寝るのか・・・」と自分の現状をしみじみ言うものだから、「おれだって一人だよ」と言った

「だけど、1日に3人もヘルパーが来るなんてそう無いよ、苦労して稼いだからできるんだよ」と励ました

そうしたら、にんまりと笑って、「よかったな・・」

「そうだよ、一生懸命やったからだよ」

また嬉しそうな顔をした、それから「母ちゃんは、どこに居る?」いつものお決まりのセリフ

「もう死んだよ、夏には1周忌だよ」と正直に言ったら

「そうか、バカな奴め」、精一杯の悲しさ隠し

「一人で寝るんだな」とまた言った、「そうだよ、だけど老人ホームに行けば、同じような年の人は大勢いるけど

そこには行けないだろ・・・?」

「ああ、おれには無理だ、うちがいい」「そうだろ、じゃ夜くらい我慢だよ」

「ああ」

 

Pねこも5日前からすっかり調子が悪い、最初の日は吐いた

翌日から、それは収まったけど何も食べなくなった、通じも僅かしかなく固い

今日はもうストーブに前でぐったり寝ているだけ、いつもの腕白が全く影を潜めて、たまに恨めしそうに

「にゃー」と訴えるようにか細く泣いている

こんなネコを見ると泣きそうになってしまう、まだ1歳半なのに、本当にわが家へ来たときから、ケガと病気と

手術の連続、本当に可哀想なネコなんだ

今日は旗日、明日は日曜日、月曜日まで持つんだろうか・・・・・・・心配になって、一か八かで獣医の奥さんに

(ボランティア仲間)電話をしてみた

そうしたら3歳姉様の彼女、「明日は午前中だけするから、旦那に聞いてみるね」

「じゃあ様子も見たいから、昼頃までに連れてこれますか、今夜点滴するかもしれないし」と言ってくれたので

「ありがとうございます、連れていきますからお願いします」

「あなた、だってさ消えてしまう命を助けたんだもの、いい事したんだから、私らも手伝わなきゃ」

本当に良い人、良い人たちに自分は恵まれて居るなあと感動した今日でした。

Pねこ無事に帰ってきてほしい。

 

いよいよクリスマスだね、25日には40人ほどでパーティをします

  


戦国時代を地味に派手に駆け抜けた真田一族と上田

2017年12月23日 08時25分35秒 | 戦国時代

信州が好きだ

一番行くのは上田だ、菅平から下る、群馬嬬恋から言ったり、あるいは諏訪から大門峠を下ったり

あるいは松本からの143号で峠越え、麻績から修那羅峠を越えて青木村経由

小淵沢から佐久を経由、高崎から上信道、軽井沢から18号、蓼科-立科-御牧経由

長野から新地蔵峠越え、様々な山道が峠を越えて上田に集まってくる

この町に住んでいた90歳の老夫婦が毎年1~2回我が宿にくるようになって

親しくさせていただいてから尚更に好きになった町だ

見えられると我が町の名所を車で案内したものだ、雪がほとんど降らない上田故、冬の雪が舞う日に

ドライブしたら目を点にして体験できない風景に見入っていた

長野駅まで送っていったこともある、おじいさんは写真を撮って、それを新聞広告のチラシに貼り付けた

手製のアルバムを作って2度ほど送ってくれた

そのおじいさんも10年ほど前に94歳で亡くなった、亡くなる前年まで家の宿に来ていたから丈夫な

人だった。 案外わたしは幅広い年代層と友達になれるようだ

 

信濃という国は日本で4番目の面積をもつ県だ、大きな県は戦国時代には大きな力を発揮する

静岡の今川、愛知岐阜の織田、関東一円の北条、新潟の上杉、福井の朝倉、中国地方の毛利などいとまが無い

ところが、信州長野という所には、そうした大大名が存在せず、郡単位で中小大名が争っていた

そこに山梨の武田信玄が攻め込んできて各個撃破したのだ

信濃豪族の諏訪、小笠原などが連合軍で迎え撃ったが、それぞれがプライド高く力の集合体になり得なかった

長野県民は理屈っぽくて頑固、妥協が嫌い、堂々巡りの討論が好きで個性が強いため結論に至らないと隣接他県民が言う

当時もそうだったのか一応信濃守護として松本に小笠原氏が存在していたが、国内を統一する力は無かった

あの上杉謙信でさえ、現在の新潟市以北の新潟県は完全に支配できず、反乱が絶え間なくおきていた

とにかく国が大きすぎるのだ、なのに地域支配のシステムが完成していない

それを上手く機能させたのは織田信長だった、彼の先進的な頭脳は現代でも通用するだろう。

 

諏訪氏などは殺された挙げ句、娘は武田信玄の(当時は晴信)妾にされて男子を産み、それが武田家を滅ぼしてしまう

武田(諏訪)四郎勝頼になるのだが。

越後一国はほぼ信濃一国に匹敵する面積を有する、ここには上杉(長尾)が居て、反乱は起こるものの統一国家で

あったから、五分の戦いで武田の進行を信州川中島で止めていたのだった。

それで武田信玄は太平洋側に侵略経路を変えて代替わりして弱体化した今川を併合し、相変わらず統一できぬ

中信、南信を併合し、まだ弱かった德川家康の三河を蹂躙して織田信長と対峙したのだった

しかしパワーのあった時代を、上杉謙信との戦に費やしすぎた、織田を攻める頃には老いて病持ちになっていた

結局、戦に勝って病に負けた、そして一方の上杉謙信もまた大酒飲みがたたって脳梗塞を患って死んでしまった

恐怖の竜虎が相次いで病死して、命拾いしたのは織田信長と德川家康である、その後、この連合軍は武田を滅ぼし

上杉を包囲した。

武田勝頼が弱体化したのは長篠の戦い、ここで武田信玄の元で活躍した老臣達が相次いで討ち死にしたのだった

それから7年後に武田が滅ぶ

この長篠の戦いでは、武田家の家臣、真田兄弟も討ち死にした

真田は信州真田郷で勢力を張っていた、すぐ近くには上田の強力な豪族村上氏が城を構えている、たびたび小競り合いを

していたが村上氏は甲州の武田氏と手を結んで、真田の本家海野一族に攻めかかった

 

真田の真田本城は上田市街から菅平に向かって伸びる道路からすぐ近くに遺構がある、行って見たことがあるが

山城と言うほど急でもなく、ただ形態は山頂の長尾根に伸びている山城特有の構造だ

だが平らな山頂から谷に向かって下りていくようで、あまり山城という感じがしない、普通は下から上に登って行くが

ここは山頂の大地から下っていくのだ、不思議な感じがする

ライバル村上義清の山城「葛尾城」は堂々とした尾根続きの山城だ、ちょっと真田城はちゃちい

上信道坂城Pからは葛尾城を真横から見ることが出来る、大きな尾根だその先が千曲川に45度ほどで落ち込んでいる

このパーキング去年までトイレだけのPだったが、最近コンビニが出来て賑やかになった

このPで周辺の山城を遠望しながら1時間ゆっくりするのが楽しみだったが、コンビニが出来てからはせわしくて長居

できなくなった。

 

結局、有名な真田幸村のおじいさんにあたる、真田幸綱は本家の海野氏らと上州群馬に落ち延びて関東管領上杉氏の

大番頭、長野氏の居候となる。

中山道海野宿は観光地として昔の街道の町の姿を見せてくれる、上田の東、上信道東部湯の丸インターで下りて坂道を

南に18郷に出て右折、しばらく行くと海野宿入口で左折、千曲川に沿って行くと海野宿に着く

そこの神社に海野氏、真田氏ら滋野一族の成り立ちが書いてある。

国を追われた真田氏に再起の時が来る、長野氏を大将にして管領上杉軍が真田の故郷小県郡に兵を進めた

この時すでに、武田、村上は敵対関係にあり、諏訪、村上の連合も曖昧になっていた

真田幸綱も長野氏に従って本領奪還に燃えて出陣したが成果なく、思い切って仇敵の武田氏を尋ねて武田氏の家臣となった

信州を狙う武田の力を借りて、旧領小県を取り返すつもりだった、武田にしても小県の地理に詳しい真田は重宝した

ところが武田晴信(信玄の若い時代)は砥石城攻めで百戦錬磨の村上義清に大敗して甲府に逃げ帰った

再び上田を攻め上ったが、またしても大敗、重臣を討ち死にさせてしまった

ここで真田幸綱が大活躍、なんと計略で村上の葛尾城を乗っ取ってしまった、これで形勢逆転、武田の猛攻で

村上氏は越後の上杉謙信(この頃は長尾景虎)を頼って落ち延びた

こうして真田氏は武田氏の重臣として取り立てられ、旧領の小県、上田平を領土として取り返したのだった

さらに武田氏の上州攻めに活躍して吾嬬渓谷に沿った険しい地域を手に入れ、一族重臣を配していった、そして

その領土は上州沼田まで広がる。

このあたりは先日も走って見たが、狭い谷間の所々に集落が出来る適度な平地があり、またその先は狭い渓谷になっていく

こういった山岳地帯を住処として生涯を過ごす人々にとって、こうした狭い谷間の国も都なのだろう

その地を死守するためにどれだけの地を流したことか

東海や近畿の開けた豊かな平地で暮らす人たちには想像もつかぬ山国の暮らし、直虎の地、井伊谷もまた真田の庄

同様にその地で生まれ育った人々が死守した土地、狭い土地を必死に守る純朴な人々の地に見える

 

上州(群馬県)は関東管領上杉氏の力が弱まり、西から武田、南から北条が攻めてきて草刈り場となった

たまらず、管領上杉憲政は越後の長尾景虎(謙信)を頼みに逃げ延び、関東管領職を景虎に譲り、上杉の姓も

与えた、こうして関東管領上杉謙信が誕生した

清廉潔白、無欲の男、そして権威主義者の謙信は上杉憲政という雲の上の人に頼られて感激した、そして

武田、北条の賊徒を追い払い、上杉憲政を関東に安住させるべく越後から出兵する

真田は上田から沼田まで版図を広げた祖、真田幸綱が亡くなり、後を継いだ真田信綱は弟昌輝と共に武田勝頼

に従い、設楽が原の織田、德川連合軍と戦って討ち死にした

そして、養子に出ていた三男昌幸が戻って真田家を継いだ、この昌幸が父の幸綱譲りの策士だった

力も人数小さな戦国大名にとって頼るのは生き残るための知恵、昌幸は主家武田氏が滅んだ後、必死に生き残りの

道を探って北に南に駆け巡る、それは安定した権力者家康などから見れば滑稽でコウモリのような小賢しい人間と

映っただろう

織田信長や越後の上杉、最高権力者秀吉、時には家康や北条とも和睦、終始背後に巨大権力者の威を借りて、その領土を

宿敵北条や德川から守ってきた、そして僅かな兵で地形を利用して、宿敵德川軍を敗退させた昌幸だったが

1600年、関ヶ原の戦いで德川軍に対抗した石田軍に味方したため、信州上田の戦で数万の德川秀忠軍を

足止めさせた、しかし石田があっけなく敗れ敗戦側となり、次男幸村と共に紀州に流され幽閉された、そこで死亡

長男は德川四天王の本多忠勝の娘を娶り、德川方として参戦した、この功によって家康が憎んだ真田昌幸は

処刑されず紀州幽閉で済んだという

 

真田親子が流されて14年後、德川家康は豊臣家を滅ぼすために大坂城を攻めた

豊臣方も浪人や関ヶ原で敗れた大名や豪傑を集めた、真田幸村も紀州を脱出して大坂城に入城して侍大将として

数千の兵を指揮する事になった

冬の陣は攻めあぐねた德川軍が和睦、しかし油断した豊臣軍の隙を突いて大坂城の守りの要である外堀を埋め立て

総曲輪を破壊した、これによって大坂城の防御力は90%低下したので、家康得意の野戦に豊臣方は引きずり出された

こうなると兵力が少ない豊臣方に部がなく各個撃破されて大将達は次々討ち死に

真田幸村は家康本陣めがけて突入して家康をあと一歩まで追いつめたという話もあるが、真実は?だが討ち死にしてしまった

 

長男、真田信幸は信州松代に十万石を得て、幕末までその地で移動もなく250年続いた

真田の里、上田から北に向かって地蔵峠越えの自動車道路がある、峠を越えるとつづら折りの山道が続き

松代に下りて行く。 松代は長野市だが真田領の城下町の風情が今も残っていて観光地になっている

城下の道場を見に行ったとき、凜々しい女性が的場で弓の稽古をしていた

凛と張り詰めた空気で、急いでその場を離れた 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寅年パワー どんちゃん騒ぎ

2017年12月22日 08時53分28秒 | ライフスタイル

昨夜は同級生旅行「京都旅行のはばきぬぎ」

一次会は、私の店で14名、ここは思い出話に花が咲き2時間半

それから二次会場のスナックに移動、明日早朝勤務の長距離運転手M氏以外13名

踊りの師匠に加え、旅行欠席だったけどメンバー随一の笑いの師範女史も参加で大騒ぎ

スナックを占拠状態で大騒ぎ、60代半ばでどこにこんなパワーがあるのかね

みんな芸達者、最後はお決まりの「高校三年生」でばんざ~い

私も久しぶりに「美しい十代」を三田明になりきって歌いました。

様々な小道具がいつの間にか出てくる「お笑い師範女史」

  

手品ではありません、踊りです 

 

みんなで「ちゅーちゅートレイン」

 

 

本格派「師匠」

スクラム組んで高校三年生・・・・・本日のお開きは0時15分でした・・・お休みなさい

おしまい


Pねこ騒動

2017年12月17日 20時30分07秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

夜10時前、今日は1日忙しく働き尽くめて帰宅した女房殿から電話が入った

「Peeが、どこにもいないよ、ずっと探したけど・・・・・・・」と

「今、行くから」

この二日間ほど元気のない父も心配だが、Pねこも心配だ

でもおかしいな、昼過ぎに行ったときは鍵のかかった二階の窓際でひなたぼっこをしていた

家に戻って、女房殿に「どこも鍵の開いている所はなかった?」と聞いてみても

「全部かけてあるよ、出る場所なんかないでしょ」

「それじゃ間違いなく家の中のどこかにいるはず」

呼んでも「にゃん」とも返事がない、どこを探してもいない、ご飯は昼に与ええたままで食べていない

Bossに聞いても何も教えてくれない

悪いことがよぎる・・「トイレに落ちて流れていったかな?」まさか、水洗トイレの穴から流れ出るなんてあり得ない

お風呂の浴槽に浮いてるんじゃないだろうか? 湯は張って無くてからっぽ

大好きな下駄箱の中? いない

ベッドの下かな? いない   押し入れに入った? クローゼットの中は? どこにもいない

呼んでも 呼んでも返事がない (おかしいな?どこへ行ったんだろうか)

たった三部屋の小さな家だから、探すのは簡単なはずなのにいない

二人でサンルームを探したけどいない、女房殿はもうぐったりでソファでBOSSを従えて座ってしまった

私はもう一度女房殿の10畳の寝室に行って、ベッドから鏡台に足をかけて、洋ダンスの上を覗いてみた

タンスの間に挟まって死んでいるかもなんてイヤな想像をしながら

「にゃー」小さな声が聞こえた、とぼけた声でもういちど「にゃー」

あれ! 赤外線ヒーターの空箱の中から聞こえる、のぞき込んだら発泡スチロールの間からPeeの顔

「この奴!こんなところにいたのか」確かに天井から20cmの空箱に入り、断熱材に埋もれていれば暖かい

Peeも寒さ対策を自分なりに考えたんだな

こいつも爺さん同様2日間元気がない、あきらかに体調不良、返事もしないしいつもの甘噛みもしない

20分くらい経ったら1階のわれわれ夫婦の居間に降りてきた、ニャーとも言わず石油ストーブの前に

座ってしまった、ずっとストーブとにらめっこしたまま動かない

日課にしているBossとの格闘もする元気がない、Bossは今夜は平和に暮らせる

ちょっと心配だけど動物には自然治癒の力がある、ここは見守るしかない。

 


幸せの解釈

2017年12月17日 12時53分33秒 | 心 思い

カナダのプリンスエドワード島(赤毛のアンの舞台)の旅番組を見た

その中で、この島に憧れて若いときに来て住み着いてしまった日本人女性

その女性「赤毛のアン」の中でお気に入りの言葉

「今日は何か特別な幸せな出来事があった、と言うのではなく真珠のネックレスのように

小さな輝く真珠が一つ一つ連続しているように、小さな幸せが毎日ひとつずつ切れ間無く続く

それが本当の幸せ」(私的解釈に書き換えています)

そっかあぁ そういうことか

中学生、高校生、毎日学校に行く、あの人の横顔を一目見るだけで1日幸せだった

日曜は見られないけど、日曜は休みと言うだけで幸せだったし

そうだったんだ、あれも幸せだったんだな。

 

 


風邪は素早く対処、食べて、飲んで、寝て治す

2017年12月17日 09時05分20秒 | 病気と健康

昨日の夕方、父の夕食を作っていたが、いきなりくしゃみが出て、その後の状況が風邪ひきっぽい

同じくしゃみの後でも、違和感それはわかる、発熱の兆候というのはわかるのだ

(こりゃいかん・・・)  ところが、この日は父の容体も最悪で、ヘルパーさんが

「熱が36度7分ですけど、どうしましょう」と聞いてきた、低いと思われるかもしれませんが

わが家は両親、兄弟みんな血圧が110~125位(父は130を老いてようやく超えた)

平熱は35.5度以下(私は35.2度)と低いので、6度7分は普通の人の38度程度

父の場合は加えて肺炎になりやすいので、ヘルパーも慎重なのだ

救急車を呼ぶほどでもないし、36度5分を超えたら一錠飲ませてくださいと書いてある

頓服を飲ませた、すると直に寝息を立てて一安心

自分も、ひき始めの風邪を何とかしなければならない、夕飯もまだだし

それで例の黄色いタジン鍋風を引っ張り出して、水を2合、かつを出汁液と昆布だし液を入れ

豆板醤と生おろしニンニクも入れて煮立て、焼き豆腐、エノキ、マイタケ、白滝をどっさり入れて煮上がってから

キムチを入れて出来上がり

それと挽き割り納豆を魚に、熱燗2合で晩酌だ

体が温まってきた、背中ストーブで暖まりながらのんびりテレビ「アシガール」の最終回を見た

もっともこれを見るのは初めて、初めて見たら最終回(笑)

飲み終えて、一鍋完食して、何となくOK気分、

〆に富山で買ってきて炊いた「ホタルイカの炊き込み」を食べた、美味しいので2杯食べてしまった

あとは寝るだけ。 8時半頃ベッドに入った

 

目が覚めたのは3時半、早すぎるが目がぱっちり冴えて眠れない、無理に寝ようとしたら

仕事のアイデアが次々に浮かんできて、寝るどころではない、それで電気を付けて湧き出すままにメモ

ようやく4時にアイデアも出尽くして、電気をつけたままですぐに寝てしまった

次に目が覚めたのは5時半、(起きるに良い時間だな)と思いつつ、でもまたすぐ寝てしまった

目が覚めたら6時45分だった。 今日は市場が休みだから少しも慌てない、ゆっくり身支度をして

台所へいき、父の目玉焼きを焼いたら、あとは湯を沸かして自分の朝食だ

薄切りのトースト3枚焼いて、一枚だけブルーベリージャムを塗り、後の二枚でサンドイッチ、中身は

たっぷりの新鮮レタスとちょっとだけ高級志向のロースハムとマヨネーズを挟む

マグカップにコーヒー6分、牛乳3分、それでサンドイッチを食べ終えた

そのあと、ホウレン草とワカメの味噌汁を飲みながら新聞を読む

大雪注意報が昨夜から出ていたので、雪は降ったかなと外へ出たがまったく無い

空は薄明るい曇り空で気温も3度くらいはありそう、あまり寒さを感じない

8時にヘルパーがやってきて、昨夜と同じ人で

「おとうさん、今日は昨日と全然違いますね」

昨夜はエネーボだけ飲んで、作った食事には一箸もつけず、何も喋らずぐったりだったのに

今朝は冗談を言い、我が儘を言い、私が作った味噌汁にクレームをつける

すっかり元気を取り戻している、薬1錠でこれだから子供みたいなものだ

「93歳だから、何言ってたっていいよ」と私はヘルパーさんに言った

 

8時半、店に来たら一番乗りだった、今日は暇なのかな? チェックチェック

昨晩の風邪っ気は、吹き飛んでいた・・・・・・さあ頑張るぞ!

 

新幹線に架かる虹