神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

国定忠治

2016年02月29日 21時41分04秒 | どうでもいいこと

「徳五郎じいちゃんって、どんな人だった」

僕が父に聞くと 初めて聞いたわけでは無いが うるさがりもせず

「オレの中では国定忠治だった」 いつも同じ答え

「大きいばあちゃんが言っていた じいちゃんはどこからか刀を持ってきて

2本あった、押し入れにいつも入っていた、どう考えても顔立ちもヤクザものにしか見えない」

父は続ける

「オレが小学生の時、このひねくれた性格だったからいつもクラスのボスグループに虐められた

虐められても『まいった』と絶対言わないから余計に虐められた」

「あるとき階段から突き落とされて、足をくじいた、だがその日、先生に教務室に呼ばれた

クラスのボスは県会議員の息子だったから、いつもぺこぺこしている先生が奴の肩をもって

また説教かと思ったら、絵が入選したと褒められた」

「それから足を引きずりながら家まで舞い上がって帰った、大きいばあちゃんに得意になって

言ったら、たいそう喜んでおやつをくれた、縁側で食べていたら爺ちゃんがやってきた」

『酒を買ってこい』と言った、いつも酒買いはオレの仕事に決まってた、だがこの日は足が

痛いので『今日は足が痛いからいやだ』と言った瞬間、背中を思い切り蹴られて

縁側から落とされた」

「痛いのとびっくりしたのとで呆然として倒れている俺の顔に、爺ちゃんは20銭を叩きつけて

『今度口答えしたらただではすまさんぞ!』と鬼の形相で言った」

痛む足を引きづって酒屋に行くと、酒屋の親父は酒2合を渡した後、2銭を俺の手に

握らせて『またやられたのか・・・辛抱しなよ、これは駄賃だ』と言った」

 

僕は赤城山に向かっていた、自閉症の子供と二人で車に乗って遙々と

山頂なのかどうか知らないが、火山湖のほとりの食堂に入って子供は焼きそば、僕は

ラーメンを食べた、子供が残した人参を、僕は惜しんでみんな食べた

向こうに座って、先ほどからじっとこっちを見ていた50代くらいのおばさんが

「自閉症だね・・・」と声をかけてきた

「おとうさんといいねえ」と子供にも声をかけた

複雑な気持ち、相手の意がくめなくてどう答えて良いかわからない、善意なのは

わかったが

外に出て歩いた 湖の畔に国定忠治の胸像が建っていた

 

 

 


堺雅人 ああ勘違い!

2016年02月29日 13時57分22秒 | 映画/ドラマ/アニメ

「真田丸」三谷幸喜作、どこまで本当で、どこまで作り物なのか翻弄されている

長澤まさみ一人キャピキャピに浮き出して、三谷クッションになっていて味噌ラーメンから

イチゴが飛びだしている?不思議な面白さ

で、出演者もお笑い芸人が真剣な顔で・・・はなく・・・お笑い調でとぼけた演技

草刈正雄、藤岡弘までお笑いの世界、こんな戦国ものも肩がこらないで良いかも

まあ軽いけど、面白い、愉快

昨日「武士の家計簿」を見た、あらら主役で出ているではないか、真面目な顔で

お笑い芸人がけっこう立派な芝居をするようになるものだと感心して見ていた

見終わって出演者を見ていたら・・・げげげ・・・なんと勘違い

「堺雅人」ではないか

真田丸も、この武士の家計簿も実は「うっちゃん なんちゃん」の内村だと思っていたんだ

昨日、初めて堺雅人だったことに気づいた・・・いやあ知らなかったなあ

同じに見えませんか? おれだけかなあ

それから堺雅人は堺正章の息子だともおもっているんだけど、???

 

 

 


開幕!北信越唯一のJ1新潟アルビ 初戦勝った!

2016年02月28日 19時19分04秒 | サッカー J1 J2

長野の松本山雅がJ2へ転落して、北信越ではまた新潟アルビだけがJ1

その新潟も昨年は松本と残留争いをしていたほど弱くて、サポーターはヒヤヒヤを通り越し

いらつく場面も多々あった

何年か前の奇跡の残留に続いてのヒヤヒヤ残留

点取り屋が現れると、強豪チームに持って行かれる切なさ

金が無いのはつらいし、強いチームになれない

残念なのは4万人も集客したのに、今や2万人台、雪国を活性化させる原動力と期待したが

新潟が燃えた感動を再び蘇らせてもらいたい

今年こそ10位以内に入って雑草軍団でもやれるんだという姿を見せてほしい

人口減、全国三位?の新潟県を盛り返せ! アルビレックスにいがた!


視点が違ってる 時代が変わってる

2016年02月27日 21時47分32秒 | 雑記

昔の価値観は、現代の価値観と大きく異なっている

それなのに昔の価値観を変えずにずっとやってきた

今もやっている

こりゃあ傑作だ こんな間抜けだったなんて 今日ようやく気づいた

腹一杯食べたい時代から おいしいものを少しだけの時代に

食べ盛りが多かった時代から 小食の老人ばかりの時代に

やり方を変えなきゃね 頭を切り換えなけりゃ

 

魚市場で10人ほどの魚屋が輪になっていた 見渡せばみな老人初級者だ

「元気な老人会だな」ってオレが言ったら

「yottinさんが一番年長者です」だって 見渡したら確かにそうだ 同年齢が4人いたが

誕生月でオレが一番年上だった

すぐに72歳 74歳、77歳の魚屋が輪に入り、それから悠々と最年長の83歳の

おばちゃん魚屋も輪に入って、オレもようやく平均的魚屋におさまることができた

 


2.26事件

2016年02月27日 09時57分30秒 | 昭和という時代

昭和11年、父と両親は上野御徒町に住んでいたのだが、この年、御徒町小学校を卒業

先生は高等小学校へ進学することを勧めたが、少年だった父は義父との折り合いが悪くて家を出たがっていた

よく遊びに行った浅草象潟のおばさん(義父の妹)の家、その隣に帝国劇場で働いているお姉さんがいた

彼女の紹介で当時少年だった父は神田三崎町のコロタイプ印刷の工場に就職が決まった

 

雪の降る2.26日頃、父と義父は神田の工場に挨拶に行くため家を出た

ところが水道橋から三崎町周辺でも兵隊の姿が多くて、異様な雰囲気を感じたそうだ

工場へは行ったのか、そのまま上野へ戻ったのかは聞き忘れた

80年前の記憶は今も父の頭から離れない

 

9年後、昭和20年義父も実母も浅草の叔母さんも隣のお姉さんもみんな

3月10日の米軍による「東京大空襲」で死んでしまった

 


男一匹ガキ大将

2016年02月26日 21時19分32秒 | ライフスタイル

オレが19歳から20歳の1970年頃だった

15歳から20歳の板前修業中の奴らが10畳一間に5人で寝起きしていた

焼けて穴の空いた畳  ふすまがない2段の押し入れ

押し入れの下の段に寝転ぶと「園マリ」のセパレーツ水着の写真が目の前に貼ってあった

一日12時間の仕事の合間、月曜日になると待ち遠しい週刊少年Jの発売日

駅に買いに行けば書店より1日早く手に入る 待ち遠しくて待ち遠しくて

血気盛んな10代の若者たちにとってこの漫画は心を捉えた

金沢、鹿児島、四国、全国の不良グループを束ねて日本統一していく主人公戸川万吉

太閤記の現代版とも言える

少年院では伝説の謎の不良が・・・・・あれにはみんな痺れた 逸現れるのか?正体は?

意外な結末 固唾を呑んで誰もがその正体を想像した

本宮ひろ志 天才!

 


夢のカリフォルニア 花のサンフランシスコ

2016年02月26日 20時44分22秒 | 時代検証

この2曲を聴くと、とても爽やかな気持ちになる

青春時代がよみがえる このあと花園のような25年間が待っていたんだ

誰も彼もみんな笑顔で楽しく、社会経済と共に成長していた時代

太陽がさんさんと輝き、誰の瞳もすべて輝いていた時代

夢と希望に満ちていた時代

 

2016年はどこもかしこも湿ってカビだらけ

うつろな目 人を欺そうとする汚れに汚れた汚い目

夢もなければ希望もなく 若者の目は死んでいる 老人の目はあきらめている

働けど暮らしは楽にならず ささやかな幸せと快楽を得るために子を殺す時代

 

花のサンフランシスコ  パールシェルス  ランナウェイ  キープサーチン

 ブルーハワイ  ギフトオブラブ  

花と歌と爽やかな風  そんな時代があった


南無阿弥陀仏のこころ

2016年02月25日 14時42分31秒 | 宗教

たった今、お葬式の告別式から帰ってきた

月に数回は告別式に出ているが、今回は父の恩人の家でも在り、縁戚でもあるので

お齋も呼ばれてきた

実は今度は心に期することが在り、尚更出てみたい気分だったのだ

心の闇というか、迷いというか、魂が飛んでいるような日々が続いていて、なぜか

今回のお葬式でそれが晴れるような気を、とても強く感じていたのだった

いきなり坊さんが南無阿弥陀仏の教義を話し始めて、その中で「生きると言うことは

苦しいことや、迷うことがとても多い、みなさんもそうでしょ!!」と言い出した

それは、私に問いかけているように感じたのだった、今までなら右から左に聞き流していた

言葉だったが。

「阿弥陀様にすべて身を任せれば良いのです、それが南無阿弥陀仏ということ」みたいな

その時、思った、そうかあれこれ思い悩むのは押してくる圧力に必死にあらがって

いるようなものだ、だから心も体も苦しくなるんだと

風が吹けば風に乗っていけば良い、雨が降ったらぬれていれば良い

そう思ったら、体からすーっと何かが抜けていく気がした

人は悩みにあたると敏感になる、それが良い方向か悪い方向か、どちらかと言えば

悪い方向が多い、それは力以上に無理をして押し返そうとするからだ

風の吹くまま 流れる石のように ふわふわと漂うタンポポのように

やはり参列して得るものがあった・・・そんな気がしていたんだ


中国語の手紙

2016年02月24日 22時39分55秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

調子よい無責任な友達に丸投げされて、気がつけば中国人留学生の日本語学校入学の

身元引受人のような立場になっていた。

それはそれで中、韓には興味があった頃でもあったから、そんなに重荷には感じなかった

気は心で、互いに反目し合う日中ではあるが庶民と国家はとらえ方も違い

留学生の親からは感謝の言葉とお礼の品が届くこともあり、責任感を感じることも

そうなると言葉を覚えたいという欲望がわいてきてテレビ講座を見るようになったが

この歳ではあの複雑な言葉やアクセント、発音、発声は到底無理だと悟った

それで文字を覚えようと思い、留学生に中国語の手紙を送ってもらうことにした

最初は簡単な中国語で便せん一枚だったが、私がPCや辞書を駆使して

中国語で返事を送ったら、「・・・・」かなり当を得ていたようで、今度は

「あなたの中国語の手紙はとてもうまいです]という文章と共に、便せん4枚

びっしり書いてきた、これを訳すのに3ヶ月かかったが、また手紙が来て

「手紙を書いたのに返事が来ない」という催促

まあ、こっちも必死なんですけど、時間がかかるのは仕方ない

こんな文通?(一年3往復くらいだが)をするなんて生まれてこのかた考えたことも

無かったが、別件でジャマイカ人からは英語のメールが届くことも

こちらもPC対応で何とかこなしてはいる

 


心理学は面白い

2016年02月24日 22時18分02秒 | 宇宙.神秘

今までテレビを見ていた、それは様々な事象をあげて「あなたはどっち」

それを選ぶことで、どちらが得なのか比較する番組だった

冒頭から心理学とは関係ないが「5月生まれのO型は健康で元気」から始まり

まさに私にどんぴしゃだった、免疫力が強いのだそうだ

だが心理学は私をどんどん裸にしていく、飽きっぽい、情緒不安定、これもどんぴしゃだ

 

20代から40代までカラー心理学だとか、西洋の心理学の活用とか、相手の心を読み

操るとか、自己暗示、自己催眠、気玉の作り方、など真剣に勉強した事がある

けっこうこれは活用できて、今の自分を形成している一部分になっている

今でも自己暗示は時々行っているし効果もある

また酵素活用やスピルリナの効用、あるいは体内に微弱電流を通しての治癒なども

勉強したりしたが、時にはこんな成果があった

会社で同僚が昼休みに横になったが、突然からだが硬直して腰の痛みで起き上がることが

できなくなった、足を曲げることが出来ないのだ

その時、例の微弱通電を思い出してアルミの一円玉と銅の10円玉を足首と腕に貼り

微弱電流を流し(見えないが)足をマッサージしていたら、5分ほどでほぐれて

起き上がることが出来た、そのまま車で病院に行った、待合室で待っている間に

また起き上がれなくなったそうだ、ともあれ応急処置には成功した例だ

このやり方は今では忘れてしまったが、当時は胃弱でよく痛んでいたのを

これで何度も鎮めた覚えがある

以上も心理学ではないが、人体の不思議という点では似通った分野だと思う

人が最も知らないのは自分自身だと思う、私にもわからない私がたくさんいる

思いがけない展開の夢を見るのも、自分の深層心理である

私はもっともっと自分の可能性や自分の心を知りたい