富士を見るのはなんと言っても冬が一番だ、その富士山も見る場所によってずいぶんと形が違う、伊豆方面から見た富士は裾のまでなだらかな美しい姿をしている、富士市から北上した西富士からの眺めは壁のようにそそり立つ男性的な姿、そして忍野八海からの堂々と構えた大きな富士、富士山ファンとしてたまらない姿だ。
そんな中でもっとも感動したのは岡谷市の国道20号線から諏訪湖越しに見えた富士山、あれは本当に驚いた、まさかあんなにくっきりと見えるとは考えても居なかったので、動転してすぐに車を狭い道路に突っ込み投げ捨てて、カメラを持って陸橋の横断歩道を駆け上がり、下校途中の小学生に「こんにちわ」と突然挨拶されてようやく我に返ったという狼狽ぶりだったのだ、あの時は確かに胸がときめいた、まさに富士山に恋した一瞬だった。
いまでもいろいろな町や峠、道路などから富士山が見えると「やったぁ!」という気持ちとコレクションが一つ増えた気持ちになる、最近では以前紹介した岡谷の高ポッチ山からと、信州湯の丸高原池ノ平湿原の三方が峰からの富士山との出会いがニューコレクションとなった、今度は秩父から甲府に抜けてみようと考えているが、そのあたりからも見えるのだろうか?楽しみである。
なんだかね 人生空回りだって それも人生さね
空回りするような人生をおくっているのはさ!
そりゃあ おまえさんが悪いのだよ 心に問うてみなせえ
言うじゃないか 大志を抱いて向かえば なんだって叶うってさ
だのに おまえさんはそんな面倒なことって...
じゅうぶん幸せだから放っておいてくれだって
そうかい それじゃ あたしは金輪際なんにも言わないことにするからね
だったら愚痴なんか口にしないでおくれ
別れた亭主は おまえさんと反対で口さえ開けば誇大妄想
本家のおじさんもあきれ果てて匙をなげたけど
2年たったら あたしも匙を投げちまった
おかげでおまえと出会ったのだけれど また同じ事の繰り返しかい?
空回りはおまえばかりじゃないよ あたしだって空回りの人生
ええい!腹が立つねえ! 一生こんな貧乏暮らし 慣れたって言うのも
腹立たしいし このまま大川に身を投げてしまいたい
だけど おまえと道連れだけはご免だよ!一人で行かしておくれ
勝手にしやがれだって ああそうかい勝手にするさ どうせ一人で生まれてきたのだから
逝くときだって一人さ
おやおやどうしたのさ涙なんか流し始めて おまえにも人の心があるのかい?
へええ 泣いてるおまえさんはなかなかだねえ ちょいと惚れ直しそうだよ
何だか逝くのもバカバカしくなってくるじゃないの ねえちょいとさ
えへへ あたしも泣けてきちゃったよ いいかい一緒におまえさんのここで泣いても
そうかい へへ嬉しいよ へへ.....
同級生の旅行で始めて「高崎観音」を訪れて、その魅力にハまったのか、高崎という土地にハまったのか、その翌年から年末になると「観音さん詣り」に訪れるようになった。
そして参道のダルマの店で必ず、大ダルマ1つと小さなダルマをいくつか買って帰る、この町は達磨寺やダルマ市で有名だ、だが後日気づいたのは、ダルマ市は年明けの1月に行われるということ、それでは今まで年末に買っていたダルマは同じような御利益があるのだろうか?ということ。
それで年末をやめて、年明けに行くことにしたのだが、なんといつも行く、おじいさん一人の店は閉まっていて、近所の別の店で聞いたら「入院したらしい」という、それから急にこの町に行く気力が失せてしまった、もう2年行っていない、店には両目が開いた達磨さんがそのまま居続けている、また気力が戻ったら行こうかなとも思うこの頃である。
ところで群馬県で美味い物は何だろうか、私が一番好きなのはコンニャク、さしみコンニャクが大好きで少し甘口の酢醤油を絡めて食べるのが好きだ、一度大きな物産店で買ったラーメンみたいな細切りのコンニャク、あれは今まで食べたコンニャクの中で一番美味かった、また行ったときに買おうと思うが、それがどこだったのか良く覚えていない。
もう一つ名物は太くて短足の大仁田葱だが、私は葱が苦手だ、でも店で使った事は何度もある、食べ物の話はそれでおしまいでは無い、群馬で食べた一番美味しかった物がある、それは営業で前橋高崎の旅行社をまわったとき、一緒に営業をした連れの、大学時代の同級生(美人)が大手旅行社に勤務していて再会「夜、食事の案内をしてあげる」と連れて行ってくれたのは海鮮料理の結構大きな店で、そこで食べたのが「焼きタラバ」、肉厚の大きな足を「ふーふー」と食べたが甘くてとても美味かった、冷凍だろうがまさか群馬で美味しいカニに出会うとは夢にも思わなかった、自分もタラバガニを扱うこともあるが残念ながらあのときのタラバを超える味に出会っていない。