神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

武士の起源などを調べてみた

2020年05月10日 20時01分28秒 | 日本史

東京の感染数が次第に減ってきている、これがほんとうの数字なら

とても良い兆候だ、全国的にも感染者ゼロが多くなってきた

今日は日曜で、午前の地元ショッピングモールは東京銀座よりも

ずっと人が多かった

優良な県の自粛解除がおこなわれる可能性が出てきた、まずは

集団感染の可能性が少ない小売業などから解除になりそう

当然ながら50名、100名を同時に収容する私のような店は、まだまだ

解除にはならないでしょう・・・一番最初に仕事がなくなり、一番最後に

解除される、「こんな商売もう嫌!」・・・・・と言いたいが

それはじっとこらえて、どうせここまで来たら10日も1ヶ月も同じ事

開き直って楽しくやろう!

深刻に考えて、神経を集中して打開策を考えたって名案なんか

すぐに浮かんでこない・・・・そう言う意味ではもうポンコツ頭

笑うポンポコリンで笑うしかない・・・ならば大声で笑う

家の中で縮こまってばかり居るから、たまたま足を伸ばしたときの

気持ちよさ、そうかストレッチも良いなあ

ファンキーミュージックに合わせて踊るのも良いかも

「ファンキーファンキーブロードウェイ! いぇ!」

どうせバカ頭バカになって踊ろう、カラオケも随分歌ってないなあ

仲間とも飲んでいないなー、 一人で飲んでもつまんねぇや

 

さて暇が出来た日は仕事を忘れて、家を出て、車に乗って

何をしに行こうか・・・・・・

料理作りも面白いけど、毎日毎日これじゃやりきれない

 

朝5時に起きて、ワールドニュースを見たり、撮りだめの映画を見たり

そして6時半に魚市場2カ所をまわり、魚屋仲間と挨拶、情報交換

8時に店に行って、毎日2人ずつ交代出勤の社員が出てくる10時まで

溜まった事務や、営業作戦を考えたり,ブログチェックをしたり

10時から調理場に入り、その日の仕事をする

社員が帰る17時から一人で「ボ~」っとしながら電話番を20時までして

あとは警備会社に任せて帰る

家に戻って晩酌しながら夕飯を食べて、それから愛犬のご機嫌伺いをして

それから部屋でテレビを見ながら眠りに落ちてしまう

22時頃目が覚めて、重い重い体をなんとか起こして、それからお風呂に入ると

今度は覚醒して目がぱっちり空く、それで一杯飲みながらテレビを見る

今は撮り置きの中国歴史ドラマ2本を見る、そして24時、ようやく電気を消す

そんな決まった日常を一日も休まず続けている

 

そんな決まり切った時間の中でも読書だけは毎日続けている

一日10ページだけの読書、たった5分だけの読書、それでも2ヶ月で1冊くらいは

読み終わる

この頃は「古代からの日本の内戦の歴史」「武士の起源」についての2冊を併読

している

もう秀吉だ謙信だという戦国戦記は読みあきた、新しいネタは早々出てこない

ずっと前から考えていたのだった、私の血がつながっている祖父(戸籍上は他人)

が調べて書き残した我が家の歴史には、鎌倉時代(北条時賴の時代)に祖という

人物が表れる

三浦三崎の藤原系の武士で、同地の武士の娘と恋愛をして許されず、はるか

下野国(栃木県)の那須まで駆け落ちして、その地を開墾して名をあげたという

その地で8人の男子をもうけて7家の分家と共に栄えて、氏の長者となって

様々な伝説が伝わっている

祖父が大正年間に調べたものだが、地元の歴史ではこの人物は更に300年

遡って900年代早々の延喜年代に確かな名前が表れる

我が家は、その本家から300年ほど前に分家してその分家の嫡流として

私で15代目とか16代目なのだそうだ

祖母が結婚するとき(婿取り)には本家の奥さんが祖母を本家の養女と

して、本家並の結婚式をしてくれたという、これは祖母が、その母(私の祖祖母)

の再婚でママ父の籍に入っていたからで、本家は、本来の籍(分家)に祖母を戻して

いわゆる「お家再興」を助けてくれたのだ、「家」を重視する時代ならではの話しだ

だが父の代で、その由緒ある家を廃して、今の姓の家を受け継いだのだった

 

なぜ「武士の起源」を呼んでいるかと言えば、頼朝と関係が深い三浦一党

から別れて那須で一家を興し、地域の有力者となり地方地頭を務めた先祖が

そのときは既に大地主だったわけだが、果たして身分は武士なのか農民

(小作ではない)なのかを調べたかったのだ

田舎武士はその地から身分低き者どもが荒くれとなって徒党を組み、

やがて朝廷の出張所である管領や公方の用心棒的

役割を与えられて、やがて源平などの武士となった」というのが説が主流だった

だが「武士の起源」を調べてみると、武士の起こりはその元は、朝廷にあり

天皇が多くの子を成し、庶子も多く、それらを京の朝廷で面倒見切れなくなり

各地に食い扶持を与えてあるいは役職を与えて広まったという

だから当時は武士という職業はなかったが、その祖は乗馬と弓射に長けた

身分ある者だったということだ

それが時代と共にその地に永住して一族を増やし在地勢力となり、都からくる

役人(国司など)と手を組んだり,脅したりして税をごまかし、狼藉を働き在地勢力

として強大化していったという、まさに京から遠い地方はやりたい放題だった

それは8世紀から10世紀以前のことで、まだ朝廷に権威があった頃は、前九年の役

後三年の役、あるいは平将門の乱や藤原純友の乱を鎮める事が出来た

けれどこうした反乱を起こすだけの力を持つ豪族や(武士団)がすでに地方にあったのだ

だがそれらは武士とは呼ばれず、最初に武士として呼ばれたのは朝廷をあるいは

天子を守る者たちだった。

いずれにしろ武士は田舎の貧しい階層から発生したのではなく、天皇の子孫から

発生したのであって、天皇家の外戚で栄華を極めた藤原氏、天皇の子孫である

平氏、源氏を武士が名乗るのは当然だった

我が祖も藤原氏というのは、藤原一族だからすごいだろ!という意味ではなく

武士で在るからにはそれらのいずれかの流派なのは当然だったのだ

武士などというが特別なものではなく、人口も少なかった昔では国民の半分武士

、半分農民という位ではなかっただろうか、武士が珍しい特別な存在ではなかった

だろう、現代でも公務員の給与手当年金総額と税収を比べれば、昔の公務員である

武士の数が農民と同数でも不思議ではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


陽気につられて 久しぶりのドライブ

2020年05月08日 08時11分34秒 | ドライブ

コロナは紫外線に弱いらしい、細菌化学兵器だという噂もあるが

インフルエンザの変異なんじゃないだろうか

インフルなら毎年夏にはトーンダウンするから、コロナも5月過ぎからは

落ち着いてくるんじゃないだろうか

欧米が今がピークというかも知れないが、世界の感染分布を見ると

アジアは感染源の中国を除けば比較的おだやかに終息にむかっている

一方、白人国家はたいへん悲惨な状況で、まさにパンデミック(っていうの?)

だから「まだ終息していない」と言えるだろうが、欧米とアジアのウィルスが

違うのか、それとも白人とアジア人の対菌性能が違うのか

とりあえずアジア地域は終息にむかっている感じはする

ともあれ昨日5月7日は安倍内閣が示した「第一次緊急事態宣言」が終了して

初めての日で、あいかわらず感染者が居ない我が町を始め、いくつかの

市町村で小中学校が再開され、6日迄自粛休業していた食堂なども、いくつか

再開した

我が店は、開けたところで一つの宴会、法要予約もないから当分休業は続く

とにかく気持ちが良い晴天で、7日ということもあり、気晴らしに少し遠くまで

ひとっ走りする気になった、毎日部屋住みだったから紫外線も浴びたいし

退屈している女房殿を誘って、雑用を済ました昼近くからドライブに出た

国道沿いではない田舎の地元コンビニで昼食を買って、現地では食堂も

コンビニも寄らない覚悟で出発

行き先は、今頃水芭蕉が咲いているだろう妙高山麓の「いもり池」に決めた

国道は一斉に工事が始まり、仕事の車に混じって、あきらかに買い物や

ドライブを楽しむ人たちの車もたくさん見える、とくに中高年が多い

昨日までの、ガラガラGWの国道とはうってかわって、ちょっとしたラッシュに

なっている、これではイライラするばかりなので、高速に乗った

現地に着いたが、観光センターなどは休業、食堂が何軒か開いているが

観光客どころか、地元民の姿もみえない

ようやく数台の乗用車と数人の人影が池の畔に見えた

私はさらに奥へ進み、一台も車がない駐車場に停まり、昼食を食べてから

マスクをして外に出た、天気は良いが風は冷たい

やはり人っ子1人居ない、池を望む草むらに入って、草花や木々を見て

疲れた心を慰める

新緑の濃淡が疲れた目を休ませてくれる、山桜のピンクや白も美しい

静かな森のあちらこちらの木々から、ウグイスの美しい声が聞こえてくる

物音と言えば、それしか聞こえない

30分ほど滞在して家路につく

帰りに地場野菜センターで、タラの芽、ぎんぶき、ワラビ、筍を買ってきた

夕方、数個のデリバリー料理をつくる、とうぶん辛抱の日は続く

 

アケビの蔓

妙高山と菜の花

*ガラケー写真につき、お見苦しい事は、ご容赦

 

 

 

 

 

 


「無」と「夢」

2020年05月02日 11時25分26秒 | 宗教

NHKで「コアラは一日22時間寝ている」と言っていた

 

目覚めの前に夢を見ていた

前半から続いて居るのだけど、前半は忘れて後半だけ

場所は外で、別に何かイベントしているわけじゃ無いんだけど

少年野球の応援みたいに数十人の人が、同じ方向を向いて体育座りしてる

全部が大人で、私の隣に主婦らしき若いフィリピン女性が一人いる

ここに突然、何ものか知らないが怖いお兄さんがやってきて、みんなを

脅し始めた、たった一人だけど威圧感がある、傑作なことにマスクを

しているんだ、そのお兄さんは、そして私もマスクをしてる

私はじっとそのお兄さんの目を見つめて離さない、射貫く目というのは

ああいうのを言うのだろう

お兄さんは「なんだ!」みたいに恫喝してくる、私はそれでも睨むわけでも無いが

目を離さない、すると隣のフィリピン女性が私に「やめなさいよ」「相手にしない方がいい」

と、私の背中を二度三度小突く

結局、お兄さんが根負けして「あんたみたいなの好きだよ」と折れてきた

そんなくだらない夢だった

けれど思ったのは、夢の不思議さ、フィリピン女性が「やめなさいよ」とか

背中を小突いたりするんだろう?

いつも思うけど、夢は自分が作り出しているのに、自分では想像つかない

登場人物が表れて、それぞれにセリフを言う、そのセリフだって自分じゃ

予測がつかない気のきいたことを言うことがある

これが全て自分の創造であったなら、映画の台本の一本くらい簡単に

作れそうだが、昼間になるとそんな事は考える事も出来ない

 

仏壇の前で無心になろうとする、なぜか? それは自分の心を全て

さらけ出すため

人に対して「嘘はつかない、これは嘘じゃ無い」と言っても信じて

もらえないことは多々ある

また自分自身でも打算的な考えを持つことがあるし、どちらを選ぼうか

迷うことも多い、しかし神様仏様に対して嘘は通用しない

安心して本音をさらけ出せるのは神仏だけだ、それには心を無にすること

そうすれば自分さえもわからない本当の自分が天に届く

「そう思って」一心に心を無にしようとする

けれど「そう思って」自体が無では無い、「無にしよう」と思うことが「無」では無い

「無」とは「魂」が体(こころ)から抜け出す状態だと思う

自由に「魂」は遊び回る、日常の全てから解放されて、嫌なことも嬉しいことも

全て忘れて、別世界を動き、新たな経験をする

それは生活の中で言えば「睡眠」なんだろう

寝るときは「心を無にしよう」なんて思わないで寝てしまう

あれこそ、体と思いの全てを神仏に委ねた時間だ、だから夢もまたその産物

なんだろう

「夢」不思議な世界