もう5月が終わる、憂鬱な6月がやってくる
昔は「6月の花嫁は幸せになるという『ジューンブライド』
で我が店でも結婚式が多くおこなわれた
そして花嫁花婿さんの姿をたくさん見てきた
40年前ころはまだ和装、角隠しのスタイルであった
美容師が早朝から花嫁さんの家に行って、お化粧、衣装を
整える
時間が来ると花婿が仲人夫婦と花嫁宅に迎にやってくる
近所の人たちは皆、花嫁さんの出立を見に出てくる
その中を数十m歩いて送迎バスまでシャナリと歩いて行く
それから花婿の家に行き、そこで花婿宅の仏壇にお詣りして
この家の嫁になる報告をする
それと結納返しの式もおこなう、それから今度は花婿方の
近所の人がお嫁さんを見ようと、たくさん外で待っている
それらの人に花婿宅の人が、お酒を振るまい,菓子を配る
家族はバスに乗って、新郎新婦は花嫁専用のタクシーで式場に向かう
花嫁専用タクシーは文金高島田に結った花嫁の髪がタクシーの天井に
あたらぬようドアの上の天井が一部、上に持ち上がる
この頃は景気も良かったのか伝統なのか、タクシー運転手、バス運転手
調理人さんから、店のスタッフ、装花のフローリスト、美容師、写真担当
ビデオ担当、司会者までご祝儀が振る舞われた
今は前撮りが当たり前になったが、当時はお色直しの度に館内の
写真室で写真を撮った、白無垢-和装-振り袖で相合傘
-ドレスでキャンドルサービス、和装の後-白ドレス-色ドレスという
パターンもあった
あのあと一気に洋式スタイルに変わって、神殿からチャペルへと
挙式も変化した
それでも止まらず、近年は結婚しない人も増え、結婚しても大勢を
呼ぶ披露宴はしないで、両家両親と新郎新婦だけで海外のチャペルで挙式して
旅行も楽しんできたり(私の妻方の姪はこのスタイルだった)
入籍だけで式はしないカップルも(私の弟の息子はこのスタイル)
一応挙式も披露もするけれど両家家族と濃い親戚のみ、友達も呼ばない
という少人数家族披露(私の妹の娘がこれ)
余計なことだが私の結婚式は80名ほど列席、二番膳(友達主催の
現代の友達パーティではなく、業界関係者や気の許せる友達などを招待する)
が50名、近所呼び(自宅周辺のご近所さん)20名ほどと三席を1日で
おこなった
もっとも父が若い頃には、山間部の大百姓の家では三日三晩結婚式を
おこない、父も料理人さんということで、その家に泊まって調理をした
と言うことだ、そんな時代もあったのだ
昔ながらの50名80名の結婚式に呼ばれることは、ここ数十年ない
親戚の子供達は10数名居るが半分は結婚していない
時代時代の経済状況や世相や事情、人の心があるから、どれがどうと
ランキングをつけるわけにはいかない
バブルの時代には馬車で式場にやってきたとか、ヘリコプターで庭先に
降りるとか、そうとう派手なパフォーマンスもあったようだ
私が招かれた結婚式では10m程の天井から気球のバスケットみたいなのに
乗って新郎新婦が会場の真ん中に降りてきたが、花嫁さんが怖くて
青ざめていた思い出がある、それも35年くらい前の結婚式だ
あの時はなんと4時間もだらだらと披露宴をしたので私など途中で
酔って寝てしまい、起こされたことがある
司会がプロで無く、私の友達がやっていたのだが飲みながら司会を
する内に良い機嫌になって、お開きを行う事を忘れて飲んでいたのだ
今の時代のように、2時間毎にトコロテン式で「はい、お次の方」という
せわしい時代で無かった、古い良き時代の結婚式
新郎もすっかり酔っていたが、花嫁さんや飲めない人たちにはひんしゅくを
かったようだ。