これまでの1ヶ月少々の足取りを思い返してみた
最初は我が家から東3kmほどの住宅地で目撃があった
翌日か翌々日には山越えをした集落で見た人がいた
この集落は我が家の南東7~8km
それから10日ほどあとに例の国道を歩いていて工場に逃げた
ここは西に約10km
そしてしばらくはこの周囲半径2km程の範囲にいた
それから東に3kmほど移動して川沿いに出た
その後は目撃者がいない
夏子はジョンが死んだと決め込んで隣町のペットショップに出かけた
たった3日ほど一緒にいただけなのだから無理に後継犬を飼う必要もない
のにと昭輔は思うが好きにさせておけば良いとも思った
ペットショップから戻ってきた夏子は弾んだ声で
「決めてきたの、キャバリアよ」
キャバリアと聞いても昭輔には少しもわからない
昔飼っていたのは雑種の赤犬で、犬など買ってくる時代ではなかった
犬を買うこと自体、昭輔には理解できない
「1週間後に受け渡しだから、その時は一緒に行って頂戴ね」
何事も決めたら一方的に進めるイノシシのような性質なのだ
ジョンが家を飛び出して48日が過ぎた日、二人は新しい犬を受け取りに出かけた
ペットショップは犬の鳴き声で溢れていた
数十匹の子犬がそれぞれ狭い鳥かごのようなゲージに入れられている
眠っているもの、小便を垂れ流している犬、愛嬌を振りまいているやつ
そんな中に我が家の犬もいた「この犬」と夏子が指さした
その犬は隣の籠の子猫と互いに籠の中から手を伸ばし合ってじゃれていた
どちらの籠にも売約済みの札が貼ってあった
「もぐらだな、こいつ」と昭輔が言うと、夏子は「なにそれ?」むっとした
家に着くとあらかじめ夏子が組み立てておいたケージの中に
小さなキャバリアを入れた
大人しい犬でキャンとも言わない、ただ後ろ足で立ち上がってケージからこっちを見ている
キャバリアは正式には「キャバリア キングチャールズ スパニエル」というのだそうだ
イギリス王室の愛玩犬が由来らしい 同じイギリスでも牧羊犬のシルティとは位が違うようだ
白と茶の二色が配置よく、それなりに綺麗な犬だ 毛はつやつやと輝いている
特徴は大きな垂れ下がった耳、そして赤塚不二夫の漫画のウナギ犬のような尻尾
別の言い方をすれば自動車の洗車ブラシ
難点は目が飛び出ていること
あとで知ったが、キャバリアを買うときの注意点の一つは目が飛び出ていないものを
というのがあった
ともあれ夏子はご満悦である、もうすっかりジョンの事は頭から抜けているようだった
ところが翌日の昼・・・ジョンが発見された
以前目撃された川縁の発電所から10kmほど上流の小さな集落、田中さんという家に数日前から
犬がやってくるのだという
田中さんも室内犬を飼っていてエサの空き缶を外に出しておくのだが、その空き缶を
舐めに毎日来るという、可哀想なのでたまに残り御飯なども与えていたという
近くの畑でキャベツをかじっていたのも数回目撃したと言った
そして昨日、我が家の捜索が出ていた迷子犬であることを知ったので連絡したという
おそらく明日も田中家にやってくる事は間違いないので、捕獲したらどうかという
さっそく田中家に出かけてお礼を言って、保健所と捕獲の相談をするのでご協力をお願いしますと
頼んできた
保健所に連絡すると「網で捕獲しますか」「檻にエサを入れて食べると入り口が閉まる方法」
どちらが良いですかと聞かれた「お任せします」と言ったら「じゃあ檻の方でやります」
電話を切ってから昭輔は夏子に「犬は馬鹿じゃないよ、檻なんかにおめおめと入るものか」と言った
すると夏子は「腹が減ってるんだからそれどころじゃないわ、きっと入るよ」と反論した
結果は夏子の言うとおりで、いとも簡単にジョンは食い物につられて捕まった」
脱走50日目の夕方だった 50日間の放浪は空腹の末終わった
檻から出すと痩せこけたジョンは少しも抵抗せず鎖に繋がれた
そのまま夏子の車に乗せられて家に戻った
昭輔は残って、田中さんの家族に篤く御礼を述べて帰路についた
家に戻ると夏子は「ばか! ばかなんだから!!」と泣きながら風呂場でジョンを洗っていた
そんなわけで一気に2匹の犬を飼うことになった
面白いことに、犬は先に飼われた方が地位が上という犬のルールがあるらしく
生後1~2ヶ月のキャバリアの方が成犬のジョンの上位を自認していた
その関係は数年後の今でも同じだ
実際には50日前にジョンがこの家に来ていたわけで先輩なのだが
2匹が顔を合わせたときにはキャバリアが先にいたと言うことになる、たった1日だが
これは人間界の職人の世界でも同じ事だ、年齢は関係ない
そんなことでジョンの放浪50日はこれにて完結
おわり