神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

ラーメンとスープ

2021年04月26日 11時58分20秒 | 料理を作る・食べる
毎日毎日、料理を作っているくせに食べるのはラーメンが多い
ラーメンが好きでたまらない、酒よりも好きだ
塩分を欲しているんだろうと思う、子供の頃から味噌汁が大好きで、あれも塩分がうまい
『バカの三杯汁』というが私の場合は、丼で三杯だったからそうとう味噌汁が好きだったんだ
今はなぜか味噌汁に情熱が湧かなくなった、ご飯とおかずを食べ終わってから味噌汁を飲み始めるという変形的になった、それも一杯飲めばそれでいい

おいしい味噌汁に出会うことが少なくなった、出汁の元だとか簡単にできる調味料が幅を利かしているからか
かつおだしとか書いてあっても、削り節とはなんか違う、何かが足りないで何かが多すぎる
よ~く考えてみたらだしの素は、鰹や鯖の血液の味がしないのだ
血液の味、それはやはり塩分、独特の血の香り、あれがうま味成分なのだ

肉厚で真っ黒な羅臼昆布はとんでもないほど粘りの糸を引く
今は手が出ないほど高級品になって、この田舎町では見ることもできない
昔は乾物問屋に行けばいくらかはあった、それでもkgあたり5000円前後はしていた
あの甘みと、鰹の血の香りとで作った出汁、それで作る味噌汁や吸物は何とも言えない美味、日本人の味だった
自分一人のために作るのがいいかもしれない、世の中には「味噌汁など味噌汁じゃないか」という人も多い
わからないものに飲ませたってわからない、無駄と言うものだ
旨いものは隠れて食べる、それに尽きる
最近は乾燥シイタケの出汁を煮物などに使うことが多くなった、それと鯛とか目鯛とか天然魚の骨で出汁をとる、これがほんとうに甘い出汁が取れる
鯛の潮汁というが、塩だけで素晴らしい味ができる、かえって余計なものを入れない方がいい
ここに香りのものを少し浮かべれば贅沢を味わえる
ここまで来たら塩だって少しこらなければいけない、5kg数百円の塩ではだめだ


ラーメンも醤油、塩、味噌、辛味などもはや整理がつかないほどいろんな味がある
だが王道は昔ながらの醤油ラーメン、支那竹、焼き豚、刻みネギ、鳴門巻、これだけでいい
スープにふわーっと広がる良質の脂、胡椒を振りまいて香りを楽しむ
醤油ラーメンは夜より昼食べた方が断然うまい、出来立てのスープ、煮詰まらず、なにも混じらず疲れを感じないスープ
スープが香るスープ
今すぐ食べたいけれど、私が好きな食堂は今日は休み。 さてどこで昼飯を食べようか?


我が家の周辺 小さな藤が咲いた

2021年04月22日 15時17分36秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚
わが店の小さな花壇に藤が咲いた
私がこの店にきて35年経つが初めて咲いた藤を見た、藤であることも知らなかった、うっとおしい蔓草くらいにしか思っていなかった




だんだん枝と蔓が伸びている気がする、藤棚を作ろうか

雑草は抜くようにと先代は言い続けていたが、私は雑草の小さな可憐な花を見るのが好きで、なかなか抜くことができない

そういう性格が私のダメなところなのか良いところなのか?

久しぶりに近所を歩いてみた、このあたりもどんどん空き家が増えてさみしくなっている
毎年1000人近い人口減のわが町、2040年には今の半分になるという予測、もはや市の体裁は無くなる
だが人が住む家が更地になり原野になるのも悪くない、大地は自然のものだ
かってに権力者がわがものとしただけで、国家間でも領土拡大を生きがいとするものは歴史の中に多々現れる
僅かな人間の野心と欲望のために平凡に生きている人が、憎しみもない見ず知らずの外国人と殺し合いを強要される
憎しみが無ければ人は殺せない、憎しみを煽るのが戦争犯罪人の巧みさだ
なにもかも自然に返すのもいいかもしれない
店の近くの風景、私が子供の頃は漁師の船小屋が並んでいたが

今日も良い天気だ


自宅の私の部屋の東の窓から 桜の木が大きく広がっている
その向こうの家のブラインド替わり
かっては家など無く田んぼだった、遠くの山が見え、朝日が昇ってくるのも見えた、高校生の時には望遠鏡で黒点観測をしたものだった


渋沢栄一 るそん助左衛門 大河ドラマが面白い

2021年04月18日 16時38分22秒 | 映画/ドラマ/アニメ
昨夜から強風が吹き荒れてしばらく(10分くらいだけど)寝付けなかった
*普段は目を閉じて1分以内で寝ることができる
朝も雨が降ったり止んだりだったが昼頃から激しい雨に交じって、雹らしきものまで降ってきてやかましい
海は大荒れで冬の海だ、風も瞬間で20mを越える
今日は安い折詰などの注文もあったけど法事の折詰などで久しぶりに数がまとまった仕事をした
その中に地域のグランドゴルフの会からの予約があったけれど、この強風&雷&雹では危なくてプレーどころではない、
近くのセンターへ逃げ込んだと電話が来た、ほぼ70歳以上の高齢者ばかりなので風邪でも引いたらたいへんだ
明日からは一週間毎日、晴マークなので今日の皆さんは運が悪かったとしかいえません
国道に出たら、北陸道は魚津まで冬用タイヤ着用の注意が出ていた
四月半ば過ぎに冬用タイヤと言われても、半数はもう夏用タイヤに替えただろう

大河ドラマは「渋沢栄一」の伝記ドラマをやっている
最初はマイナーのつまらないドラマが始まるくらいで見ていたが、これが面白い
戦国時代同様に大好きな明治維新前後が渋沢の世界である、単に金融屋の物語かと思っていたら大間違い
渋沢は埼玉の豪農の息子だった、それが封建社会に不満を持って、新婚でもあるにも関わらず江戸に出て勤皇の志士の運動に友や親せきの若者と身を投じる
そして15代将軍になる一橋慶喜と関わりを持って、意に反して幕臣になってしまう。それ縁でパリ万博に幕費で参加してしまい
戻ってきたら徳川幕府崩壊後の明治になっていたという、まるでドラマのようなスピーディな展開になるらしい
坂本龍馬や桂小五郎のような武士の尊王攘夷ではなく、百姓の尊王攘夷があったとは初耳だ、これからが楽しみ

同時に昔の大河のリバイバルも見ている、先日「太平記」が終わり、複雑な足利幕府の成り立ちと内紛、南北朝の争いなどが理解できた
今度は「黄金の日々」が始まった、これは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と続く戦国時代終焉の三英傑の狭間で東南アジアに乗り出していく男のドラマだ

1570年代から1615年までは日本人は国内戦争にばかり没頭していたと思いがちだが、スペインとオランダの東アジア進出と深い関係がある
内戦に明け暮れながらも、この二大大国を相手に貿易をしながら武器を輸入したこの三人が抜きんでた軍備で他を抑えて戦国時代を終わらせた
キリスト教布教で日本を乗っ取ろうとしたスペイン、純粋に貿易だけで利を得ようとしたポルトガル
家康の時代で決着がついた、家康はポルトガルと手を組み、アジアからスペインを追い出す手伝いをした
そんな中で有名なのがシャム(タイ)で活躍した山田長政、この人は浪人だ
そして「黄金の日々」の主人公ルソン助左衛門は貿易で東南アジアで戦う商人である、これも武士中心の戦いと違う町人の戦い
渋沢栄一の物語と同時進行で見られるのは楽しみだ




信州と私

2021年04月08日 20時21分26秒 | ドライブ
また急に寒さがぶり返し、山沿いでは雪予報も出た
午前中は青空が広がっていたので松本市郊外の三郷から梓川村あたりまで走ってきた
標高500mを越える信州の桜は今が真っ盛り、見事なしだれ桜があったりしてずいぶんと目の保養をさせてもらった
ここから飛騨高山に向かえば、上高地、乗鞍、鈴蘭、梓湖あるいは1790mの安房峠、1673mの野麦峠、白骨温泉
いずれも過去に行った所ばかりだ、20年前は閑があれば南部の信州を除いて行ける限り走り回った
今でもその体力はあるが、コロナ下の今は気持ちが乗らない
一日5~600km走っていたが、今は下道だけなら300kmが限界だ
信州では五平餅、鮎や岩魚などの炭火焼き、きのこ汁などを食べるのが楽しみ
馬刺しも良い肉にあたると柔らかくて最高、諏訪、松本のうな重もうまい!
塩尻市あたりのワインも甲州のワイン同様に良いらしい、私はワインを語るほど経験はない
ずいぶんと長いこと信州の人たちと付き合ってきた人生だ
良い人もいれば悪い人にも出会った、だが後から知ったけど悪い人は全て他県から流れてきた人間ばかりだった
小谷村、白馬村、大町市、木崎、佐野坂、豊科町、松本市、岡谷市、奥蓼科、長野市、松代、上田市、三郷村、菅平、梓川村、波田町
仕事柄、多くの旅行社や案内所、バス会社ともおつきあいがあった
こんな現実に会って、余計に昔の時代を懐かしく思い出した
よくよく考えれば、料理店、結婚式、鮮魚店、宿屋などやって来たけど自分としては観光業が一番合っていたと思う
その観光業も料理店同様にどん底だ
そんな人生だったのだと開きなおっている






舟川の桜並木 春の四重奏

2021年04月06日 21時18分01秒 | ドライブ

一ヶ月ほど休み無く働らき、生活は単調な巣ごもり 加えて歯の痛みが続く
そんなことで、何となくコロナ鬱を感じる
今日は予約も無く天気も良いので急遽休みにした
久しぶりの一人ドライブ 山の景色を見たくて立山インターで下りて立山方面に向かった
岩峅寺を過ぎ、芦峅寺まで行った。 立山山麓スキー場で立山大橋を渡り富山方面に下った
立山インターに着いて、ます寿司を食べたくなって魚津の有磯海SAで買った
ここまで来て思い出したのが朝日町の舟川縁の四重奏
冠雪の朝日岳、桜並木、富山名産チューリップ、菜の花の四色の競演
4月前半の桜と後半から5月の菜の花とチューリップが一緒に咲くタイミングが難しい
今日は全てが揃ったけど、チューリップの早咲きとわずかな菜の花だった
今年は桜が早いのでギリギリのラッキーだった



















平日はマイカー専用無料市営駐車場を利用できます
土日はシャトルバス利用とのこと
桜は今週末で見納めかな これからは菜の花とチューリップが咲き始めます

個性派俳優 田中邦衛さん 北の国から考

2021年04月04日 17時38分38秒 | 映画/ドラマ/アニメ
田中邦衛さんが亡くなった..と先日書いた
田中さんと言えば最初に知ったのは加山雄三さんの若大将シリーズ
1960年代のシリーズもので若かりし頃の加山雄三さんは胸毛が生えてかっこいい江戸っこスポーツマン大学生
スキー、水泳、陸上、毎回出れば優勝、マドンナ役の星由里子さんの澄ちゃんとラブラブのラストシーンでめでたしめでたし
甘い歌声で澄ちゃんをとろけさせる「君といつまでも」はその中の最高傑作
ほとんどシリーズは見ましたね、ちょっと前アメリカでも同じパターンのプレスリー映画があった、あの影響でできた映画かな?

で! 澄ちゃんに横恋慕して邪魔をするのが田中邦衛さんの青大将
大会社の御曹司の道楽息子、スポーツカーで澄ちゃんを誘惑して、ありもしない嘘で若大将田沼雄一から離れさせようとする
田中邦衛さんのイメージはこれしかなかった

でもなにかのときに連続テレビドラマで「北の国から」を最終回まで見た
純も蛍も小学生で最終回になる
83、84と続きのシーズン物で何回か続編が作られ、87初恋では少し成長がみられる
その都度田中さんの黒板五郎は老いていき、純と蛍は結婚話の年まで成長する

だが連続ドラマと、シーズン特別編とは決定的な違いがある
純の子供時代の連続ドラマ、とことん落ち込む暗い暗いドラマで、北海道の山奥の麓郷の人々の鬼気迫った生活を描く
この時代そのものが暗いわけでなく、東京はこの頃は高度成長で花の都になっていくし、子供たちは受験地獄にはまっている
母の葬式で東京へ行った純と、純の東京時代の小学校担任の会話が麓郷と東京の違いを語る
北海道で毎晩8時に寝ると言った純に先生は「おまえずいぶん早寝なんだな、勉強はしてるのか? こっちではみんな塾に通って
夜中の12時まで勉強しているんだぞ」
電気がない純の家なんか先生の頭の中にはない、純はかっては好きだったこの先生を嫌いになる

麓郷の人々は貧しい、それよりもなお黒板五郎の生活は苦しくて苦しくて仕方ない、葬儀に駆け付けた五郎の靴下には大きな穴が空いていた
東京で人並みの暮らしをしていた五郎は妻(石田あゆみ)とも普通に生活していたと思った
だが妻には不倫相手がいた、それを五郎と蛍は目撃する、蛍はその日から心を閉ざす娘になった。 母を許さず父に同情した娘
何も知らない純は口下手で生きるに不器用な父より、優しくて、洗練された都会的な母が好きだ
だが五郎は二人の子を一方的に故郷の北海道麓郷へ連れて行く
そこは原野の森の中の廃屋、それを五郎は故郷の親戚や友達に助けてもらって何とか住めるだけの家に修繕する
電気がない、だからテレビがない、水道がないから遠い川まで水を毎日汲みに行く
それは子供たちの仕事だ、とうぜん純は不平不満を言う、ちょっとこまっしゃくれた都会の子なのだ
だが蛍は一言も不平を言わず無言で父の手伝いをする
離婚が決まる、純の母の妹(叔母=竹下景子)が東京から麓郷にやってきて同居を始める、実は心の傷を癒すために来たのだった
叔母が東京に戻るとき父に反発した純は母と暮らすと言って麓郷を去る
東京で母の不倫相手(伊丹十三)と会うと、これが父と正反対の男、遠慮なくずけずけとものをいうし、金離れもいいし男らしい
純は五郎より、この男にひかれてしまう、だが麓郷でテレビもない生活をしていた純は以前の同級生の話題に取り残されて孤独になる
そしてまた麓郷に帰る
北海道に行った一年の間におこる様々な事件、その大部分が貧しさと自然環境の厳しさが原因でおこるのだ

だがこんな生活の中で五郎の努力と労働で川から管で水を引いて天然水の水道がついた時、手作りの風力発電で電気がついた時
純と蛍の喜びは、東京の生活では思いもしなかった心からの喜びだった
いかに都会の生活が当たり前で感動を伴わないものなのか、なにもかもお金で買える生活と何もないところから労働で生み出す喜びの比較

私が中学生の時、父に○○を買ってくれと言ったことがある
すると父は「お前が小遣いを半分貯めたら父ちゃんも半分出してやるから、それから買え」
すぐに買ってくれない父、でも私なりに理解した、それから小遣いとお年玉をためて約束どうり父も出してくれて買うことができた
本体は数万円、一度クリアすれば飽きてしまう数千円もするゲームソフトを次々と買い与える現代の親、子供にとってどっちが幸せなのだろうか

麓郷ほどではないが昭和30年頃の我が家の生活もあまり変わらない
家の中には時代故テレビは当然ない、家電と言えば父の手作りのラジオと蓄音機だけ
電灯はあったが、少し前まで使っていたランプがあった、水道などもなく、外に近所共同のポンプ井戸があった
風呂は近くの銭湯へ行く、家は平屋、自在鉤の囲炉裏を囲む板の間(居間)と、6畳ほどの畳の部屋(寝間)だけ
貧しかった(当時はそんな風に思っていない、当たり前の生活)
でも小学校1年の時、町の中心の商店街の大店の息子と友達になって遊びに行ったとき、我が家のレベルを知った
あれから生活と収入と商売規模が日本の経済成長と共に上昇していく
でも今思えば一番人間らしい生活を楽しんでいたのは東京オリンピックがやってきた昭和39年前後中学生の頃かな
あの頃のレベルで止まっていれば良かったなと今さらながら思う

寝覚めの床













桜満開

2021年04月03日 16時05分55秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚
昨夜はたっぷり飲んで、二次会も誘われたけど、それは断って家に帰った
すぐに寝たので今朝は5時半に起きた
6時にカメラを持って店まで写真を撮りながら30分かけて歩いた
東の山並みから朝日が昇り始めている、ゆっくり歩くといろんな景色が見えてくる

我が家の裏の土手の山桜



わが町で最も美しい桜の景色の一つ






この用水で鴨を見たのは初めてだ あの大きくて玉虫色の毛並みのきれいな鴨
ペアでいた
たまにサギを見ることはあるけど
この用水が整備される前は自然の土手で、子供の時この川で、ドジョウやナマズを獲って遊んだものだった





6時半店に着いた、ひたすら歩くより景色を撮りながら歩くと、あっという間に店についてしまう不思議

また一日が始まる