空を見たらティノサウルスが大きな口を開けて浮かんでいた
全長15m以上 恐竜の時代、海の中の肉食王者だったティノサウルス
大きな口であらゆる海のの生物を食べ尽くしていたらしい
そんな雲が浮かんでいた
空を見たらティノサウルスが大きな口を開けて浮かんでいた
全長15m以上 恐竜の時代、海の中の肉食王者だったティノサウルス
大きな口であらゆる海のの生物を食べ尽くしていたらしい
そんな雲が浮かんでいた
この頃は夢の中で泳いでいるみたいだ
生活環境だとか、考え方だとかがずれてきている
どうしてこうなったんだろう、1年前から生活パターンが180度変わって
体重が減り、体型も変わりその頃から考え方や思いも
将来のビジョンまで変わりだしている
一言で言えば「開き直った」んだろう
天の命ずるままに生きるのが良い 仏教で言うところの「何も考えずに阿弥陀様に身を任せなさい」
そんな心境かも
だけど無欲になれない、煩悩は数多ある だが確実に総量は減っている
「人のために生きよう」と考える事自体「自分のため」から抜け出していないのだが
でもそれが出来れば良いと思う
力が全てだと思うのは過ちだろうか 正義を貫くための力は過ちだろうか
正義と思っていること自体が過ちなのだろうか
こころを解放してあげたい 重い頭を解放してやりたい よどんだ心を解放してやりたい
スタートは9時30分 カートの用意をしていたら7時にスタートした組がハーフ終えて上がってきた
年配女性もいるグループは「これから暑くなるからこれで帰る」
前半はありがたいことに風が強く、薄雲が日を遮ってくれたので結構涼しくプレーが出来た
でもスコアは58
午後はたいへんだった、風がやみ日は照りつけ34~35度
場所によっては目がくらむほど暑い ところがスコアは前半より良い52だった
まあいつもの月並みなへぼゴルフで終わったね
あとは台風直撃がないことを祈って、これから打ち上げ飲み会にレッツゴー
因みに今日のメンバーは78歳と77歳 いずれも元会社社長なのでゴルフは筋金入り
元気で暑さも何のその、私の方がダウンしそうだった
もう一人は還暦間近で平均年齢は70歳を超えたプライベートメンバー4人でした
台風を予想させるまぶしい空でした
23日に台風の記事を書いたが、懸念していた10号の北上が開始された
八丈島付近で18日に発生した10号は、同じ時に日本付近にいた9号.11号と三つ子
のような台風だったが、太平洋高気圧と大陸高気圧の押し合いの中、9号.11号が
通常通り北上したのに、10号だけは南にはじき出されて、なんと前代未聞の南下を始めてしまった
台風は南で生まれて、北に登っていくという常識が覆されてしまった
それもゆっくりと台湾付近まで下がっていき、エネルギーを蓄えて980hpくらいだったのが
とうとう940hpの巨大な台風に変身、しかも18日に発生して既に10日以上生き延び
さらに強くなったので2週間は存在しそうだ
いよいよ勢力を増して30日には本州横断が懸念されている
このままでは我々の町も直撃されそうだ
明日は久しぶりのゴルフだが、どんなコンディションになるのかワクワクしている
一昨日は仕事が19時には終わって久しぶりに家でゆっくりしようとホッとしていたが
家に戻るなり、友達から電話が来て「今3人で飲んでるから出てこい」とありがたいお誘い
渋々出て行ったが、飲めば調子が出るのはいつものことで、最初の1軒目で熱燗5合は飲んだ
その勢いで2次会3次会といつもの午前様
ところが翌朝目が覚めたら、完全に血液中のアルコール度がひどくて、気持ち悪い
夕べは素麺食っただけで腹が減っているのか、それとも朝から蒸し暑いせいか
ともかく気持ちが悪くて青ざめていた
いつもこうなってから「歳が歳なんだから無茶のみしてはダメなのに」と反省するが
反省だけだからサル並みだ
実はこの日も納涼会があって、夕方までに体調を戻さないといけない
水を飲んだり、薬を飲んだり、深呼吸したりでなんとか7分くらいまで戻していざ出陣
さすがに今日は飲むのは極力控えていた
ところが二次会に行って、カラオケを歌い始めたら、結局調子が出てまたも午前様
二次会場も、昨夜も行ったスナック、昨日調子こいて「明日も来るよ」と店のママに愛想言ったから
嘘はつけなくて結局行ったわけで
懲りない男で困るのであります
お盆に地元の漁師さんと話をしていたら、今年はエチゼンクラゲが大発生らしい
何年か前にも大発生して漁業者に大損害をもたらした悪玉
どこかでこれを加工して販売したとか言うが、破壊された網や廃棄する魚の量を考えれば
とても採算が合う話ではない
エチゼンクラゲは歩きながら(泳ぎながら?)子をばらまいていき、あっという間に成長して
またそれが子をばらまくの繰り返しらしい
大量発生の原因は知らないが、一説には中国の川の汚染によって大発生するのではないか
というのがある
なぜ越前クラゲというネーミングなのか?これも?
多分・・・と漁師さんの説では越前(福井県)あたりで大きくなって発見されたから
なるほど・・・でも福井の人は大迷惑ですね
添え以前にどことかで小さなクラゲが大発生して定置網がずたずたになる被害があったとか
漁師業もなかなかつらい職業のようです
タイムマシーンがあったら真っ先に「関ヶ原合戦」を見たいですね
当時の庶民の娯楽に戦見物があったとか、たしかにサッカーやアメラグを見物する感覚
いやオリンピックかな、当人たちは命がけですけど
あの、すり鉢のような関ヶ原のグラウンドで東西数千の精鋭がぶつかり合い
槍で叩き、騎馬隊と騎馬隊がぶつかり、ホラ貝で一斉に押したり引いたり
新手が思いがけぬ方向から押し出し、それを鉄砲が迎え撃つ
小早川の一万あまりの隊が山を駆け下りてきたときの様子は山津波のようでしょうなあ
さて負けたら惨め、全て落ち武者となって山の中へ、川伝いに三々五々逃れていき
見物の百姓たちが竹槍を持って、落ち武者を突きに行く
刺し殺して鎧甲に刀剣を奪い、殺された武者はふんどしまではぎ取られて惨め
落ち武者狩りに合えば首まで持って行かれてしまう
まったく日本人も明治維新の頃まで「首狩族」だったのはご存じですか
新撰組局長、近藤勇の首がさらされている写真は有名ですよね
関ヶ原で破れた石田方(俗に西軍という)でも首謀者の石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の3人は
生け捕りにされて、生きざらしの屈辱の上に首を切られてさらされた、もちろん家族郎党も皆殺し
当時の朝鮮だと敗者の家族は殺されるか奴隷に落とされた
同罪の宇喜多秀家は薩摩まで逃げ延びて、後に逮捕され減刑されて八丈島へ流刑
そこで80歳以上まで長生きした、島の女との間に子も出来たとか
同じく首謀者でしかも旗印となった毛利輝元は、一戦も交えなかったことで領地の75%を取り上げられたが
なんとか明治まで滅ぶことなく続いた。
ある意味、もう一方の首謀者である上杉景勝は家康を深追いしないのが幸いして、こちらも領地の75%減で
明治まで生き延びた。
唯一、徳川軍を破ったのが信州上田城の真田昌幸、数千の兵で4万の徳川秀忠軍を苦しめ損害を与えて
足止めに成功、秀忠軍は関ヶ原の戦いに間に合わない大失態をおかした。
家康は単独で勝ったから良いものの、もし小早川が石田軍に味方したら命も危うかったろう
それほどの被害を与えながらも、徳川に味方した長男の命乞いで紀州への流刑ですんだのだった
そのため14年後には次男の真田幸村によって家康は再び命の危険を味わう
加藤清正、福島正則など秀吉の親戚で子飼いの武者たちが、なぜ家康に味方したのかは不明だが
晩年の秀吉が三成を重宝して清正等を遠ざけたからとか、三成の態度に腹を立てたとか
秀吉の妻、北の政所が本妻の座を妾の淀に奪われたので家族同様の清正らに家康に味方するよう言ったとか
尾張派と近江派はそりが合わなかったとかいろいろな説がある
だがやっぱり欲得と勝ち馬に乗るというのが本音ではないだろうか
テレビでの真田幸村はまだまだ小粒な若造ですね、実際もそうだったのでしょうか
台風9号が関東一円に被害をもたらし北海道でもう一暴れ
日本近海には9号、10号、11号と3つも台風がうろついていた
9号は小笠原諸島の最南端で誕生したが、10号、11号は日本列島近くで生まれた
純国産台風だった
11号は3つの中で最後に生まれたにもかかわらず、最初に関東に大雨を降らせ
21日には北海道に被害をもたらした
22日 23日には9号が関東上陸したあと北海道再上陸
古い9号が新しい11号の後を追うという珍しい展開
しかも中間の10号は関東沖からなんと逆走、四国方面目指して南下
「逆走台風」とはなかなか見られない、このまま沖縄方面に行って
まさか北上を始めるってのはないですよね
こんな台風で混み合う日本列島ってのは珍しい
それだけ本州付近の高気圧が強いのでしょうか
5日前に親指の腹を、包丁でざっくり切り落としそうになった
1.3cm×1cmの楕円形状で深さ数ミリ、皮一枚残して落ちそうになったので
慌てて絆創膏で押さえて、指の根元を輪ゴムで締めて止血
2日前から傷の左右前後が腫れ上がってきて痛み出した、指も少ししか曲がらない
あいにくの週末で、ようやく今日、いつもの内科クリニックへ行った
看護婦が傷を見て、先生と相談「うちは内科なのでもし切開となったらうちでは無理です
二度手間にならないように、今から外科へ行った方が良いですよ」と親切に言ってくれた
それで外科はどこですかと聞いたら2~3教えてくれたので、個人医院へ行った
急いでいたので保険証を忘れた旨を伝えたら、受付の看護婦は
「無ければ全額個人負担です、それで良いですね」ときつい口調で言った
こんな言われ方をしたのは初めてだった
ここは田舎町、逃げも隠れもしない善良な市民ばかりだから他の医者では身元さえ言えば
「午後からで良いですから持ってきて下さい」で大概済ませてくれる
それはこの医院では通用しないようなので「持ってきます」と言って受け付けだけして5分で
自宅へ戻った、それから保険証をもって行こうと思ったがどうにも腹が立って仕方ない
たしかに向こうは常識を常識通りやっているだけなのだが上から目線の高圧的な態度が・・・
俺一人くらい客とも思わないのだろうと解釈して電話で「キャンセル」した
それから少し大きな病院へ行った、受付時間を5分過ぎていたが快くしてくれて
問診票を書き、すぐに先生が見てくれた、それで様子がまだよくわからないので
血液検査、採尿検査、レントゲンまで撮ってくれて、明日結果を教えてくれるそうだ
、こんなにも医者によって違うもんだろうか この病院へ来てラッキーだった
なぜならキャンセルした医者はそこまでしてくれないからだ
もう10年以上前に一度かかった、それは額を強打して眼鏡が割れ、3センチ大の内出血のこぶが
瞬く間に出来て、驚いてこの医者へ行った
先生はそのこぶを指で押して「どう?痛い?」「それほどでも・・」「そう・・・明日になって痛むようなら
また来なさい」それで終わった
さいわい先生の見立て通りで頭にも異常なかったようだが、こっちは内出血なんかを心配したわけで
それがあるから今回も気が進まなかったところもある
嫌いな医者へは行かない、それがお互いのためだ、選択は自由なんだから
毛利元就の伝説「3本の矢」じゃないが、個人では最高でもベスト16が限界の4人が
力を合わせると世界二位とは、世界中がびっくり
ジャマイカには太刀打ちできないが、陸上王国アメリカに差しで勝ったのは素晴らしい
中国が準決勝でアジア新記録を作って「おいおい、また中国の風下かい?』と思った瞬間
次の組で、あっさりそれを上回ってアジア新記録、さらに決勝でももう一発
気持ちよいったらありゃしない
世界の最東端の小さな島に住む小さな日本人が白人に勝った
これは素直に誇って良い
それにしても今回の日本のできばえは何とも言えない、ストレスが吹き飛ぶ
久々に強い日本を見ることが出来た