20歳の時、新潟のメインストリートを歩いていたら
突然、白人男性が近寄って
「アナタハ カミヲ シンジマスカ」
と、片言で言った
? としている私に(聖書?)のような黒表紙の本とパンフを渡し
「キョウミガ アッタラ***ノ キョウカイニキテクダサイ」
もちろん行くことはなかった
あとで知ったが、キリスト教の派生だった
私の血縁の祖父(戸籍上の祖父は別にいる)の一家は
プロテスタントで、その妻が本当に熱心な信者
彼女はガンで亡くなったけれど
死ぬまで息子のことを「頼みます」と言い
激しい痛みにも「神様のもとに行けるのだから痛くはない」
と言い続けた
血縁の祖父は全くの偽物であったからキリストの教えなど
いや、すべての宗教に興味は無かった
理想主義者だったが、行動が伴わず
生涯何一つ実現したものはなかった
父は祖父とは逆に、反骨精神の現実主義者で
裸一貫から働きずくめの人生
苦労苦労のうち、それなりの成功をおさめた
そんな父と祖父の唯一の共通点は無神論者だということ
父は東京空襲で実母と戸籍上の父、叔母を失い
浅草の寺で「ご本尊無事」の文字を見て以来、まったく神仏を顧みなくなった
終戦後、田舎に流れてきて、なんとか借金して小さな家を建てたが
仏壇も神棚もなく
ミカン箱(当時は木製)に戒名を書いた紙を貼っているだけという
徹底したものであったらしい
その後、大工の棟梁に言いくるめられて
神棚と仏壇を持つようにはなったが・・・
若い日に多くを失った父は、今も虚無の心は変わっていない
前述の祖父の妻の葬式は
牧師さんと信者が見えて、自宅で昇天祭(と言うのだろうか?間違ったらごめん)
自宅で行った
赤鬼のようなごつい顔の土建業の親戚が
小さくなって賛美歌を歌う姿が印象に残っている
去年、私の弟の妻の実家で法要が行われた
こちらは180度かわって、神道の一家である
鯛や穀物を献じ、玉串奉奠で(お参り)する
いろいろな葬儀を見てきたが
あの世の存在を信じ
あの世のほうが現世より幸せに暮らせると信じる者は
昇天することを喜びとする
私は、相変わらず神の存在はわからないが
自分を生かしている力が存在していることは信じている
そして、それは決して体や心を持つ個の存在では無いと思っている