神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

夏 1960年

2015年07月30日 17時33分11秒 | 時代検証

私が生まれたのは、母の実家

ボンネットバスから降りた停留所は

セメント工場の正面で

そこから吐き出される強烈な酢酸の臭い

思わず鼻が曲がる

水神さんの小さな祠の前に家がある

さらさらと幅2mほどの川が流れ

木橋を渡ると玄関だ

 

セメント工場に勤めている伯父さんは

いつも私の顔を見ても「うん?」ってな調子で

何も言わない

三交代の夜勤開けなのか昼中、高校野球を見ている

 

珍しいもの好きで

金持ちでもないのに電化製品は近所中で真っ先に買う

この頃は京都平安 大阪浪商 日大一 日大三

だとか松商学園 などが常連校だった

野球が終われば、ふらりとパチンコに出かける

歩いて1分だから毎日のように行くらしい

昔のパチンコは少しのお金で長く遊べた

 

夕方になり食事が出来ると

「おじさんを迎えに行ってきて」と伯母さん

パチンコ屋に伯父さんを迎えに行く

 

私は子供の頃から味噌汁が大好きで

伯母さんはそれを知っているから

これは「よっちゃん専用」と

小さな鍋にお代わり五杯分も作ってくれた

 

夕飯が終わって、そろそろ暑さを感じた頃に

「ドリアン食べよう」と伯母さん

子供たちは「ワッ」と歓声をあげ

大将の私、妹、弟、この家の一人息子で私と同年のいとこ

キャンディ屋目指して走り出す

「おじさんドリアン7本」

子供4人、伯父さん、伯母さん、ばあちゃん

私の母は忙しくて明日迎えに来る

 

キャンディ屋のおじさんは金属の丸いふたを

「ぽこん!」と開けると、中からドライアイスの煙みたいに

「ほわ~」と冷たい風が顔にかかった

ドリアンの甘くて冷たい香りが

一足でも速く家に帰りたい

 

あああ満足した後には、またお楽しみ

大きなスイカを、おばさんが「ぱこ~ん」と切ってくれる

三日月型の大きな奴に、顔を埋めてむしゃぶりつく

子供4人が狭い縁側に並んで

「ぺっぺっ」と黒い種を縁側の草むらに飛ばす

そこからスイカが成るんだと、半分信じていた

もう酢酸の臭いなんか少しも感じていない

楽しい子供の頃の思い出話

 

 

 


調布飛行場 1945年

2015年07月29日 11時20分46秒 | 昭和という時代

テレビ報道のニュースネタは、調布飛行場の航空機事故がメイン

70年前まではここは、陸軍第244戦隊の航空基地だった

帝都防衛の最終ラインとして、三式戦「飛燕」が主力

ドイツ空軍の花形戦闘機「メッサーシュミット」をモデルにして

メ式戦とも呼ばれ、日本では「彗星」爆撃機など数少ない水冷式エンジン搭載

この防空隊の敵はアメリカのB-29爆撃機

サイパン、グァム、テニアンから遠路やってくる編隊を迎え撃つ

とはいえ、敵は1万メートルの高度を飛んでくる

日本の戦闘機はせいぜい5~6000mが活動範囲

それで最後には機銃を外して、機体を軽くして高高度に昇り

体当たりするという壮絶凄惨な戦法

地上から見ていると「とんぼ」に「ごま粒」が向かっていくようだと

命中すると「チカ!」と火花がでて B-29は主翼から一筋

スーッと糸のような白煙を引きながらも何事もなかったように飛んでいく

そのうち、体当たりした日本機のパイロットの落下傘が下りてくる

神風特攻隊と違い、優秀なパイロットを生かす生還を期した体当たり戦法

それでもハリネズミのように機銃を並べたB-29の編隊に向かうから

易々とは生還できない、多くの戦死者を出した

 

この飛行場の周囲には高射砲隊がやはり帝都防衛の任務に就いている

その主力は久我山に有り15サンチの高射砲を装備

これは1万mのB-29に届く日本最大の砲だ

調布の陸軍高射砲1903部隊には12サンチがあり、これも強力だ

私の父はこの部隊の中隊で、大隊付きの通信兵であった

まもなく91歳になる生き証人だ

 

アメリカ空軍の日本爆撃司令官が情け容赦ないカーチス.ルメイに代わって

米軍の被害もいとわぬ、低空爆撃戦法に変えたことで東京は焼け野原になり

米軍の東京焦土作戦は終わり、地方都市への爆撃に移った

もう首都を守る航空隊は不要になり、244戦隊も名古屋の防衛や

神風特攻隊として分散していった

高射砲も富山などに配置換えが行われた

敗戦となって、飛行場には武装解除した航空機をずらりと並べて

米軍進駐を待った

それでも厚木基地の猛者の抵抗などもあり

米軍は容易に来航しなかったという

 


高齢者の(だって・・)新たなる挑戦 

2015年07月27日 17時51分32秒 | 老人介護

今日も一日をやり遂げた

意志あれば希望通りの結果がついてくる

この一週間は積極的に動いている

いよいよ計画は一歩一歩進み出した

やってしまえば逃げ道はない

それが良い 背水の陣こそ前進のエネルギーだ

やりたかったことが、またやれる

毎日が歯がゆかったが これで夢に一歩近づく


軟水/硬水

2015年07月24日 07時28分32秒 | 雑記

たまたま欧州に興味を持って調べていたら

欧州(ヨーロッパ)の水道水は結構な硬水なんですね

日本人が外国で水道水を飲むと下痢をする

というのは、ここからなのです

それで硬水を調べたら

日本では沖縄が一番硬水地域が多い

それは珊瑚などの石灰分(カルシューム)が多いことと関係がある

それでは石灰の山が多い我が町は?

やっぱり県内ダントツの1位

沖縄でもベスト5に匹敵する160超え

ヤカンもポットも、洗浄機も石灰で真っ白になる我が町

なるほど...そうだったのか

だけどヨーロッパでは250以上が当たり前

シャンプーしても泡立ちしないんだって

それから見たら、わが故郷はまだましか

いろいろ知らなかった知識を得るのは楽しいね

ネット社会のおかげで、いろいろ知識が増えていきます

 


北陸路の難所 親不知(おやしらず)

2015年07月22日 11時28分45秒 | ドライブ

越中国(富山)と越後国(新潟)の境界

ここは北アルプスが、直接日本海に断崖となって落ち込む

それは今も変わらない

明治初期までは海岸が唯一の通行路

波が高い日はもちろん通行不能で

糸魚川か市振の宿で足止め

波に子をさらわれた京の武士の妻の悲劇が

「おやしらず こしらず」のいわれとも

越後春日山の義将、上杉謙信が越中へ進軍する時は

船で行ったと思われる

この過酷な海岸線は約20km

現在は岸壁の中腹を削ってカーブだらけの狭い国道8号

岸壁の奥にはトンネルで北陸高速道と北陸新幹線そして地方鉄道

今でも、昔の面影を偲ぶことが出来る

    

 


若い女性が ナイスタイミング

2015年07月21日 07時21分52秒 | yottin日記

駅前で左折しようとしたら

横断歩道の前に若い女性が

渡りたくて立っていた

すぐに停止して「どうぞ」

笑顔で振り返りながら渡って行った

Tシャツの背中に

「ありがとう ございます」ってプリント

何だか嬉しくなっちゃいました


夏祭りになると思い出す男

2015年07月19日 17時41分54秒 | 知人・友人

もう20年も前になるだろうか

我々の田舎でちょっとしたイベントを行うことになった

それも奇抜なのをやりたいって若者中心で

それで東京とかからイベントプロデューサー

みたいなのを雇って

まあ成功したようなんだけど

そのイベントプロデューサー氏イガラシくんは

なぜかこの町が気に入ったみたいで

広告代理店の客分みたいになって

1年ほど住み着いた・・・そいつと妙に気があって

やせっぽちで ちょっと長めの髪も顔も

くしゃくしゃで 日焼け

ビーバーみたいな前歯 人なっこい笑顔

陽気な男で すぐに大きな声で笑った

 

たまに飲んだこともあったけど

いつのまにかどこかへ消えた

それから5年ほどたった夏祭りの日に

そいつが自転車でやってきた

スタイルはまさに夏向きの甚平で

千葉を(奴の住からしい)出発して

新潟のどこかで日本のイガラシの総本家みたいなところが

あって、年一回、イガラシくんばかり集まって

イベントするらしい、それに参加したとかで

その足でここに来て、最後どこまで行くのか忘れたけど

関西か名古屋だったと思う・・・チャリで

スタイルは甚平に一眼レフ、およそ遠乗りの感じでは・・

 

ともあれやってきたのが祭りの日の夕方

祭りと言うことで二人で飲み出して

いよいよ酔ったところで二人で祭り会場に

そこでまた生ビール何杯か飲んで

すっかり二人ともよい気分で

「今夜どこ泊まるの? ウチはだめだけど」

イガラシくんも結構適当に生きてる人らしくて

「うん・・てきと~で」まったく気にしていない

そのうちいなくなって・・。どうしたんだろ

僕も千鳥足で我が家に帰り

翌朝、店へ行ったら、自転車はなかった

あれから15年くらいかな ずっと会ってないし

連絡もないし 住所も知らないし

あのすっとぼけた知識人の(なんだろうか?)

いや、酔っ払い

久しぶりに思い出したよ