「西郷どん」もいよいよクライマックスの江戸攻めのシーンになって参りました
江戸城無血開城は、西郷隆盛と勝海舟の腹芸合戦だけと思っていたら、その前に前段として
幕臣山岡鉄舟の官軍陣営に単身乗り込み、西郷に勝海舟との面談交渉
今夜の大河では、切腹を楯にして西郷を説得した
これは西郷が当時敵対していた長州藩を説得する為に単身、長州軍営に飛び込んだ逆バージョン
(第一次長州征伐)
その山岡が勝に出会う伏線として、西郷の命令で江戸各所で放火をして暴れて、庄内藩に
捕らえられた益満休の助の活躍がある
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幕臣山岡鉄太郎(鉄舟)、大男である.
体格、年齢、今で言えば、ダルビッシュ有だと思えばいい
幕臣のダルビッシュ有が、敵方の本陣へ「総大将西郷隆盛閣下にお目通り願いたい!、拙者は
朝敵の徳川家臣山岡鉄太郎である!」と大声を張り上げると、西郷の家来、薩摩武士が
「賊め、殺されに来たか」と色めき立つ、当時としては大男、しかも北辰一刀流の免許皆伝
肝っ玉も据わっている。 ぎょろりと見回せば、さすがの薩摩武士もたじろぎ
その時、ダルビッシュの横にいたサムライが「儂じゃ儂じゃ、西郷どんに取り次いでたもせ」
「なに!、おっ、おぬしはますきゅうではないか、生きておったのか・・・」
以下、薩摩弁、江戸弁ともに標準語に訳す
「総督、たいへんでごわす、ますきゅうが幕臣の山岡とやらをつれてきもした、総督に面会
したいといいとりますが」
「なに、ますきゅうだと、あやつは死んでおらんかったのか、生きておったのか、よし会おう」
西郷が出て行くと、そこに益満休之助、にこにこと笑っていた
「生きておりもした、もうしわけなか」「何を言うか、さすがはますきゅう、よくぞ帰った」
「あっもし・・・」大男が西郷に声をかけた、ダルビッシュ並みの山岡と西郷初対面
「おはんが山岡さんか、なるほど山の如く大きな人じゃ、それで幕臣がなんのようかな」
「まずはこれを、ご覧くだされ」手紙を一通
「おっ、これは勝先生の・・・・・」手紙を食い入るように見入って、一息
「山岡どの、ますきゅう、まずは中で茶など」
誰も中に入れず、3人で密室に入った
「勝先生の文では山岡殿の紹介しか書いてありません、子細は本人から聞くようにとのこと、
山岡殿は勝先生の信頼が篤いようですな、ところで、ますきゅう何故生きて居る?」
「西郷どん、そりゃあなか!ははははは!、こうして生きて居るのも、勝先生と山岡くんのおかげじゃ
実は山岡くんとは古くからの友でござるよ、彼は幕臣なれど勤王の志士でござって、早くから、かの
清河八郎くんと共に、我らも攘夷運動に奔走しておった、ところが幕府の中で勤王運動をやるなど無謀なことで、
それが元で清川くんは殺害されてしまうし、山岡くんは蟄居じゃった」
「なるほど、珍奇な御仁ではあるようだ」と西郷は納得する、益満もうなずいて「わしが庄内藩に捕らえられて、
(これでこの世とも、おさらばじゃ)と覚悟を決めたのだが、存外、庄内武士というのが話がわかる連中での、
『武士は相身互いでござる、まして薩摩武士とあれば、我らが処断すべきものではない、とりあえず幕府に
お引き渡しいたす』と言ってすぐに首を切ると言うことはされなんだ、しかも丁寧に扱ってくれての、わしも
ちょっとホロリとしたのじゃった」一息つき
「そして、たまたまこの山岡くんが儂が捕らえられたことを聞きつけて、牢を訪れ『陸軍総裁、勝阿波守の
使者である速やかに罪人、益満某の身柄、お引き渡し願おう』と大声で言うものだから牢番も役人も驚いて
すぐに身柄を引き渡した
外に出てから『陸軍総裁とは大ボラ吹いたものよのう山岡』と言ったら、『何を言うか、それは本当の話じゃ、
今日からおぬしは勝先生宅で居候となるんじゃ』というではないか、これには驚いたが、それは本当であった
勝先生とお会いして、先生の見事な姿に感銘した、また勝先生が西郷どんをひどく信頼していて褒めよるから、
それにも驚いたのじゃ」
「そうして居候をしているうちに、今度の事じゃった、勝先生が『益満殿、いよいよお国のために役に立つときが
きたようだ、おまえさんに案内してもらい、この山岡さんを西郷さんに引き合わせて頂きたい』そう言われて、
訪ねて来たのです」
益満休之助の話しを聞き終えて、西郷が口を開いた
「なるほど事情はよおくわかりもした、では山岡さん、あんたの話しをききもそ、じゃっとん慶喜の助命だけは
勝先生の願いであっても、これだけは聞き入れることは出来もさん、それだけは言っておきますよ」
すると山岡は落胆もせず
「勝先生は、慶喜公一個の助命など考えてもおられません、勝先生は西郷先生に日本国の助命をお願いせよ
と申された」
「日本国の助命?」
「さよう、日本国の助命でござる、そしてそれを出来るのは、西郷先生唯一人だと申された」
「ふ~m・・・・・・」
「江戸を戦場にすることは、即ち日本国の滅亡である、なぜなら落ちぶれたと言え幕臣数万は健在である、
官軍が攻め込めばたとえ慶喜公が停めようとしても、彰義隊を中心に江戸に火をかけ、官軍を大混乱に
陥れようとする輩は必ずいるはずまた大江戸100万の市民も未だ、慶喜公びいきでござる、それに、いろは48組の
江戸火消しの団結は固く、頭の新門辰五郎以下みな勝先生をお慕いしております、勝先生も官軍乱入の折には
、『日本国の滅亡なり!新門、火消しに放火を頼むは筋ではないがその時は是非たのむ、江戸も、徳川も、薩長も
あるものか皆灰燼と帰す、きれいさっぱりとな、日本国滅亡の門出じゃ』と新門におっしゃられたそうです。」
「さすが勝先生じゃ、じゃどん我らも、それくらいは決心してここまでやってきた、江戸が火の海になろうと恐れる
ものではごわはん」
山岡の脅しも西郷には通じそうも無かったが
「西郷先生、勝先生がそれほど浅い考えだとお思いか?」
「なに・・・・?」
「先生、よおくお考えなされよ、勝先生の願いは滅亡にあるのではございませぬよ、今や慶喜公が頼りにされているのは
高橋泥舟殿と勝先生のお二人だけでござる、勝先生は幕府陸軍の総帥を任じられております、いまや形は無いとは言え
フランス国が勝先生に『我らが幕府を支援いたします、武器でも船でもいくらでもお貸ししましょう、まだまだ幕府の力は
朝廷方にひけはとっていません、我が国と力を合わせれば、勝つことも可能です』と言ってきました、だが勝先生は
『ありがたき申し出でありますが日本国のことはいかになろうと日本人同士で処理する所存故、お気になさらず』
と断り申した」
「・・・・・・」
「西郷先生、先生だとて同じでありましょう、エゲレス国からの甘い話しを先生は蹴られたでありましょう」
「うぅ・・・・・・それをどうして知っておる!」
「勝先生が、風の便りに聞いたようでございますよ、『西郷、さすがに希代の愛国者じゃ』と申してもおりました、
西郷先生!国を思うのに幕府も朝廷もありましょうや!、われら日本人が住む国は、この国の他にござらんのでは?、
江戸が火の海になり幕軍の全てが死に絶え、江戸100万市民が流浪の民となる、勝利した官軍は慶喜公の首ひとつとって
有頂天になっても我が国の民と富の多くは失われ、兵力もまた幕軍の減った分だけ日本国としては弱まる。 かって越後の
上杉謙信公の二人の息子が越後一国をかけて国を二分して景勝公が勝ったけれど、謙信公以来の最強軍団も力を失い、
あわや信長公のたかだか一軍団にも押される始末となった、今は信長公どころかメリケン、エゲレス、フランス、オロシア
などが日本国の富を分割して分捕ろうと隙が出来るのを、舌なめずりして見ております、官軍が勝ったとて国は間違いなく
弱まる、官軍勝って国滅ぶのは火を見るより明らかでござる、ずばり申しましょう
勝先生の願いはただ一つであります、江戸城総攻撃をやめてもらいたい、そうすれば勝先生が命をかけて江戸城を
開城させます
幕臣にも抵抗させません、勝先生はそうもうしております、どうかご一考願いたい、この通りでござる」
山岡は大きな体を小さくかがめ、深々とお辞儀をした。
「よーおくわかりもした、この西郷、勝先生のおこころ頂戴いたす、江戸総攻撃は中止いたしましょう、じゃっとん
無条件というわけにはいきもはん、条件を書いてきますからしばし、お待ち願おう」
ついに勝と山岡の熱い心は西郷に響いた、西郷が示した幕府の降伏条件は慶喜公の処遇について修正が必要
であったが、それ以外は問題なく進み、勝と西郷が江戸において確認の為の会談を行い、江戸城は無血開城された
とき1868年4月の事であった、徳川慶喜は寛永寺を出て、故郷の水戸城に戻り蟄居した。