神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

ETC利用明細が面倒になってた!

2018年05月31日 16時24分59秒 | ドライブ

今回の旅は「会の旅」、マイクロバスの高速ETCは私のカードを使った

会計が料金を払うと言ったけど、「パソコンで利用明細と領収書を出して持って行くから」

「簡単だから」と言っておいた・・・・・のに

パソコンでETC明細発行HPを開いたら、今まで見たことも無いID入力、パスワード入力画面が

???こんなのあったっけ??

さっそくパスワードノート(パスワードだけで100近くあるのでノートを作ってある)を見たが

そんなの無い、記憶にもない、つくった事も無いと思う

仕方ないので、改めて新規で申し込んだら、これがまたやっかい

まずはカードナンバーの登録(これって私は4枚使っているので4枚とも別々に登録?)

その次は使用した車両ナンバー、これはわかる

次は使用したETCの車載機械の番号。 すぐに車に行ってみたけど番号など見当たらない

申し込みの書類を探すのかい?

だいいち車載器も4台分ある、これも一つずつ登録するのか?

それだとカード4×車載器4=16通りの申し込みが必要?   やめてしまった・・・面倒すぎる

 

 


北信濃の旅二日目

2018年05月30日 08時16分17秒 | 旅行 新潟県.長野県

一日マイクロバスを運転したが、宿には4時過ぎに到着したので楽だった

さっそく我慢していたビールをいただいたがサクランボのせいか、どうにも美味しく感じない

しかもすぐに膨満感が・・・・

大相撲の千秋楽に旅行したのは初めてだった、しかも栃ノ心の優勝がかかっている場所

結果は鶴竜も勝って、結局準優勝だったが見応えがあった

北信5岳を望む展望風呂で汗を流し、丁度よい信州のお料理で、乾杯から熱燗を飲みまくった

お銚子7~8本は飲んだろう、1本7勺くらいだから、せいぜい5合くらいだけど

丁度よい酔い加減で、ホテル内のカラオケに行き、西城秀樹の「傷だらけのローラ」を私が皮切りで

歌った。

時間内に「ルイジアナママ」、「悲しき街角」、「二人だけ」(キャロル)、など昔の曲を6曲ほど歌って

大いに発散した。 そのあと寝る前にマッサージをしてもらい

そのせいか翌朝はすっきりと5時に目が覚めて、朝風呂を浴びた

 

宿から須坂までは国道を45分ほど、今日も一日私の運転だ、天気は予報に反して晴れている

中野市は「バラ祭り」の真っ最中で、会場の他に道路の左右も色とりどりのバラだらけ

見学第一号は須坂の「田中本家博物館」

敷地は5000坪と言ったかな? ここもガイドさんがついてくれて珍しい品々を説明してくれた

須坂藩堀家12000石の御用商人で、たびたび殿様が忍んで訪れたという

商人ながら名字帯刀を賜り、士分に取り立てられ、籠の使用も許された

近年では市長も何人か輩出した、地元で有力な家であるそうだ

その数々のお宝は、古伊万里や漆器、衣装、装飾品、玩具、節句人形などおそらく数万点に及ぶ

建物も博物館にしたものの、その天井や梁は当時を忍ばせ、こじんまりとした庭も

なかなか風情があって、江戸から有名人が遙々見学に来たとか

帰路は安曇野にまわって「大王わさび園」へ

わさびと透明度の高い水はきってもきれない、そのため近くを流れる川も透明度がすごい

この川では小舟で周回出来るようになっている

夏の水遊びにはもってこいだ

 

 

 

 

おだやかな安曇野

 

 

 

 

 

 


北信濃の旅一日目

2018年05月28日 17時47分53秒 | 旅行 新潟県.長野県

野尻湖「ナウマン像博物館」

久しぶりに行ったら、レベルアップで立派な博物館になっていた

ガイドさんがついてくれて、発見の経緯などを説明してくださったので興味深く見ることができた

たまたま地元の人が1948年に発見した「ゆたんぽ状の石」がナウマン像の歯の化石だった

冬になると電力会社が野尻湖の水を抜く?ので、その際に湖底を探してみようと言うことになって

1962年からやってみたら、わずか20cm程の深さで大きな骨を発見した

それからしばらくは毎冬にボランティアを全国から募って、大々的にやったら多い年には一万点もの

化石が発見され、そのうちに原始人の石器も出てくるようになったとのこと

ナウマン象だけでなく、オオツノジカの化石も発見された

足から肩まで2.8m 牙から尾まで6mの実物大復元

巨大なオオツノジカ

マンモスの牙の完全化石

信濃町柏原(小林一茶の故郷)で天ぷらとそばの昼食「若月」

迷路のような狭い道を探しながら、それでもぎりぎりマイクロバスで駐車場に到着

少なく見えるが、実は量が多い。 食べるほどに甘味が出てくる蕎麦だった

汁も、あっさりしているようだが、だんだん味わい深くなってくる

山菜の天ぷらも馴染みの無いものがあって興味深かった

店員さんはみんなとても愛想が良かった

中山晋平記念館

中野市の山裾にある記念館、私は中山晋平の功績よりも師匠の島村抱月と歌手、松井須磨子の悲恋に惹かれた

詳しくは知らないので、早速関係書籍を買って読もう

中野市でサクランボ狩り

まだ早いとか、昼食を食べたばかりなのにだとか、あいかわらず大姉御達は言いたい放題

なのに、少し食べたら「あの上の大きいの採って」などと言って、結局数十個食べて、おみやげにも買っている

2種類のサクランボを30分2000円で食べ放題

酸味を含んだ甘いのが美味しくて、結局両方で50ヶくらい食べた、さすがにお腹いっぱいに

充分もとはとれたが、今年はもう食べなくていいかな?

宿には4時到着、ちょっとレトロ風の落ち着いた宿「ホテル椿野」

感じの良いスタッフ、料理も丁度よく丁寧につくってありました

5階屋上の展望風呂、露天風呂は気持ちの良い風が吹いてきて、少し長く入っていられた

合計3回入ってきました。 夜はマッサージをしてもらい、話しをしたら、マッサージさんの奥さんは

私の女房殿と同郷だった、なんという偶然だろか

だから旅は面白い

 

 

 

 


3ヶ月ぶりの温泉旅行

2018年05月26日 16時22分19秒 | 旅行 新潟県.長野県

「温泉にでも行って、ゆっくりしたいなあ」が口癖で

今日も会社の昼休みに同じセリフを言いかけて(あっ!そっか 明日は温泉旅行だった)って

気がついた

旅行は数ヶ月に1回行くけれど、最近、温泉に行ったのはいつ、どこだったんだろうか?

雪のある頃に一回行って、その前は・・・・・ああそうだ

長岡の蓬平(よもぎひら)温泉に行ったんだ

あのあとから母が父が相次いで逝って、自分の心もちょっと飛んでいたんだった

 

明日の旅行はボランティア仲間13名で行くのだけれど、口うるさいお姉様方が4人もいて、宴会はバトルかな?

自分はと言えば、今回の実行委員長、兼マイクロバス運転手、兼余興委員長、兼準備係

行き先は信州湯田中温泉、ほどほどに近いのでゆとりの旅行だな

宴会には、ちょっとした文化的なクイズの余興をしようかなって思って、クイズを作り

自腹で景品の半分を買って、あとは行かない仲間からムシンして、それも仕事

これからスーパーへ行って、おつまみを買って小分けの袋詰めもしなくっちゃ

結構忙しい、まるで会社主催の、お客様招待旅行みたい

マイクロバスもうちの店のバスを使うし・・・・でもみんなが楽しんでくれたらそれでいい。

 


日本史 新しい興味が湧いてきた

2018年05月26日 14時20分42秒 | 日本史

昨夜はベッドに腰掛けた瞬間「グラグラ」と横揺れが・・・約5~10秒くらい・・震度3ってとこかな

5クラスは何回か経験したから、この程度はどって事無いけど・・震源地は長野県北部栄村

12日に高速道走行中の地震と、ほぼ震源は同じ

 

さて日本史は昔から好きで、最初は「太平洋戦争」から始まり、「戦国時代」、「日清日露戦争」そして

「幕末・明治維新」と興味は移ってきたのだけれど

今度は幕末から昭和初期の一般人や農民の暮らしに興味が出てきた

それは私のルーツ調べが原因なのだ、栃木では数百年にわたって大地主として続いた先祖

武家や領主、あるいは寺や小作とどのように関わっていたのか、また生活の程度、楽しみ、祭り

交通機関、運送(海運=川運)

それは渡良瀬川と利根川に挟まれた古河でも言えることだし、あるいは歴史上の有名な事件や

維新との関わりにも興味がある

幕末近くには自然災害が相次ぎ、米は不作で農民一揆が相次いで各地で起こった

大塩平八郎の乱も、その一つだが、その乱を鎮めたのが古河藩だったとルーツを調べていて知った

そのほか今まで知らなかったローカルな騒動もルーツ探しの中でいくつか出会った

昭和6年の栃木県(現さくら市)で起こった「阿久津騒動」は父の義父の妹の夫の出身地の出来事

だった、学校歴史には絶対出てこない事象に出会う事こそ研究の面白さだ

イザベラバードの奥羽紀行も明治初期の農民や庶民の暮らしを体験談として書いてあるので

先祖の暮らしを垣間見ることが出来る

 

腰に二振りの日本刀を差して闊歩していた首狩り族が、欧米の大艦巨砲の新世界を見たとたんに

大小を捨てて西洋をまねると、わずか数十年で東アジアを従え、世界最大の強国ロシアと戦争して

勝ってしまった。

その基礎となるエネルギーは農民パワーだった。 国民の大半が貧しい農民で子だくさん

食べるのに一番良い方法は軍隊に入ること、近年の某国に似ている

そう考えると、幕末、明治の農民生活、庶民生活には大いに興味が湧いてきた

また江戸時代の藩政と農民の関係、これも興味がある

さっそくアマゾンに三冊、関連本を発注した。 これらの研究をルーツの小説の中に取り込めば

かなり肉厚になるのではと期待している。

 

 

 

 


JAXA(ジャクサ つくば宇宙センター)見学

2018年05月25日 14時57分01秒 | 旅行 関東.東海

東京で一泊した翌朝は「つくばエクスプレス」に乗って「つくば」へ向かった

快速でも凡そ40分、途中から関東平野の広々とした田園都市が現れる

八潮、三郷、柏・・・・・このあたりには高校時代の同級生が結構住んでいる

バブル時代が子育て時代だった我々にとって、都内に家など持つことはほぼ不可能で

主に埼玉、神奈川、千葉あたりに住居を構えて、都心へ通勤した者が多い

東京だと多摩方面がせいぜいだった。

さて「つくば」ではJAXA(つくば宇宙センター)を見学

*イバラキガイドHPより*

人工衛星やロケットなどの研究開発や開発試験、打ち上げた人工衛星の追跡管制、

国際宇宙ステーションの「きぼう」日本実験棟の運用管制、宇宙飛行士の養成などを行っています。

 

ああ!ここは茨城県(イバラギは間違い、イバラキ)だったんだ

北陸の人間には、海が無い、高い山もない内陸では千葉、茨城、埼玉の境界がわからない

つくばは、いかにも計画的に作られた人工都市の感がある、宇宙の最先端だけのことはある

面白かったのは管制室、NASAの管制室と比べて、狭いし、なんとなくNASAのような緊張感がない

感じがしたが、宇宙ロケットの打ち上げ途でもないから、そうなのかも知れない

 

入り口にあった大きなロケットはH2ロケットの実物とのこと、北朝鮮が軍事パレードで誇示するミサイル

とどちらが大きいのだろうか?

だけどHPを見ると、われわれが見たのとは違う場所があるようだ

「スペースドーム」には行ってないなきっと・・・・・時間の関係なんだろうか?

我々が見たのは、宇宙ステーションの狭い空間内での生活訓練の設備を硝子越しに眺めたことと

管制室を硝子越しに見た。  それとビデオを10数分見た・・・これだけだった

だから、ここに来る前に見た「地質標本館」の方がはるかに見応えがあった

こっちなら3時間居ても飽きなかったと思う

関東平野の成り立ちや、数十万年前とかの地形だのが非常に面白かったし、地層を2~3mがっぽり

切り取った展示では、過去の噴火や津波などが堆積物地層でわかるのが面白かった

鉱物の展示室も、一つ一つが台座に丁寧におかれて展示されている、ダイヤモンドや金、水晶、様々な結晶石

ここだけで2時間は居られると思った

まだ二階展示室もあるとのことだが、30分の見学時間ではとても無理・・・・・残念!

JAXAも40分くらいで待ち時間もあって、結局面白い体験館や展示室を見られなかったんだと思う

遙々来たのに残念だった。

筑波の駅前ビルで食べた「そば」は結構おいしかった

秋葉原まで戻って、メンバーは東京駅へ行ったが、私だけ総武線に乗り換えて、父の故郷の亀戸へ

駅で降りてから小雨の中、一直線に十間川の福神橋を目指して歩いた

そして川縁に下りて、父に黙祷して再び、駅に戻り上野駅から新幹線に乗り、東京から乗ってきたメンバーと

合流した

それにしても、亀戸の交差点で、私の目の前で自動車と自転車が衝突したのには驚いた

幸い、ケガも無かったようだが、血でもでる事態なら一列車(新幹線)遅らせて救助作業だったかも

雨の日に横断歩道を自転車に乗って走るのもどうなんでしょうね?

 

福神橋下から、川沿いにスカイツリー

家に戻って、日常に帰る

朝食はシンプルにベーコンエッグ

 

 

 

 

 


シルク.ドゥ.ソレイユ「キュリオス」公演

2018年05月24日 14時40分30秒 | 映画/ドラマ/アニメ

22日、2年ぶりの台場

4年間、毎年泊まった「グランドニッコー」で中華のお弁当昼食を食べて

ガンダムを横目に見ながら巨大なテント小屋に入った

シルク.ドゥ.ソレイユ「キュリオス」公演、サーカスだと聞いていたが、田舎者には

その正体も話題性もデーターも何も知らずに、この場所に来た

メンバーの税理士の先生は、国内で3回、ラスベガスでも一回見た」と言っていた

知る人ぞ知る有名な公演らしい

毎年違うメニューで、日本公演も1~2年毎に公演を行っているとのこと

機械文明がテーマのようだ、ロボット、汽車、マシーン、飛行機、自転車・・・・・

時代は現代では無く、かなり古めかしい時代、欧州のクラシックな印象

そんな背景でアクロバット、空中のスリリングな数々、一番面白かったのは私的には

トランポリンで、声を出して笑った

メンバーに人気があったのは、軟体動物のような東洋人女性のパフォーマンスだった

つんざくような音響がリズミカルで気持ちよくステージを進行させていく

女性歌手の歌声、小楽隊もなかなか良い

あっという間の2時間ほどの舞台だった

終了後は新橋から築地まで戻ってホテルに入った、大先輩の道案内を頼まれて銀座三越へ行った

高級すぎてお目当てのものは無く、店員に聞いたら、親切にタブレットで目的の品がどこにあるか

調べてくれた、そして「隣の松屋さんにあるそうです」と教えてくれた

松屋のスポーツ用品売り場に、お目当てのブランドがあった、これで一件落着

夜は、近くの変哲も無い居酒屋で夕食会席、ビールどれだけ飲んだろうか?

戻ってから、少しベッドで横になり、それからバスに入ってさっぱり、テレビを見ていたが23時になって

散歩したくなった

新富町のあたりだったので、川を見に行くことにした。  15分ほどで川に到着、階段を上ると広々とした

広々とした都会の川の風景が広がった

 

川風が心地良い、タブレットで写真を撮りながら15分ほど滞在した。

人通りはほとんど無く、横を見たらスポーティでこぎれいな娘さんがスマホで私と同じ景色を撮っていた

ちょっと嬉しくなった。

 

 

 

 


本年2度目のゴルフ

2018年05月21日 15時35分00秒 | ゴルフ・スキー・スケートなどスポーツ

先週に続き、2度目のゴルフもまたさわやかな快晴でした

これでゴルフ予定も種切れとなります。 今日は成績のことはカットしまして

メンバーは旅行仲間の所長さんと、独身キャディさん、工務店の奥さん、私の4人

キャディさんは非番で今日は、お客様ですが仕事の性格上、私たちのパターを持ってきてくれたり

アイアンをかたづけてくれたり、とても助かりましたが申し訳ない・・・・

 

今日は月曜日、朝クラブハウスに到着したら、いつも出迎えるキャディさん達の姿が無い「???」

何か書いてあるので読んだら「月曜日はセルフディ、ご自分でバッグをカート場まで運んでください」

これは初めて、びっくりしましたが今年から閑な月曜は人件費削減でこうなったもよう

 

ゴルフ場での楽しみは、狭い町故に知り合いに会うこと

今日は誰に会えるんだろうか  さっそくあったのが20代からの遊び仲間の「居酒屋の親父」

その連れの「スナックのマスター」

今度は大先輩の「元県議の秘書」と「自動車整備工場の社長」と会った

昼食時には我が母校のOB教員の4人組、みんな年上です

それから「床屋の奥さん」「ラーメン店の女経営者」

終了後にお風呂に入ったら「今年、孫がプロ野球にドラフト指名された母校の先輩」

「元.日本旅行の所長」

だけど「50歳以下の人がいないね」と会話に出たほど、お客さんは50歳から上ばかり

70代が一番多いようだ、私の次の組は80代の父と50代の娘の2人組

これだけの人に会うのだから、田舎町はいかに人との結びつきで生きているかがよくわかる

それにしても月曜日は空いていて楽にゴルフが出来るのでありがたい

スタート9時半、終わったのが2時、2時半には店に戻って仕事、夜は今日の仲間の所長さんと

同級生の工務店社長と久しぶりに繰り出して飲みます

明日は朝の新幹線で「お江戸旅行」、銀座で一泊して「つくば」の、どこぞへ案内していただくとか

遊びまくりモードの5月がようやくやってきました。

 

 

 


カウントダウン 22万時間

2018年05月19日 14時29分40秒 | ライフスタイル

およそ60万時間生きてきて、あと25年命あるなら、もう22万時間の人生

だけど最後の5年、体が自由にならなくなったら44000時間はロス

残るは18万時間・・・17万9999時間・・・・

なんとか努力して85歳まで思いどおりに生きられたら、それは素晴らしい人生

 

それにしても長生き人生でも80万時間くらいしかなかったのか

毎日の1時間2時間を無為に過ごすのは普通で、一日24時間を何も得ること無く過ごすことも

若いときは、一日などいくらでも取り返せると思っていた、だけど歳を重ねるに連れて

一日の大切さがわかってくる

今日も何もしないで終わってしまった、何の成果もあげずに終わってしまった

それがむなしい

 

1日24時間が愛おしいときもある、大切な時間も確かにある

1日の短さを嘆くときもある

そんな時は本気で生きているのに、平凡な日常は無為に過ごしてしまう、無駄に過ごしてしまう

 

今朝の新聞を見た、また一人同い年の知人の訃報が載っていた

何かを残したい・・・

 

 


悔いは無いですか?

2018年05月18日 17時40分18秒 | 心 思い

西城秀樹が63歳で急死!

 

あなたは今、突然の最後を迎えても「悔いは残りませんか?」

知的障害や、身体障碍があるお子さんの面倒を見ている親にとって

自分が亡くなった後の子供のことを思うと、一人前の社会人になった健常者の親とは違う

思いがある

人権擁護の弁護士主催のそんな研修会に出たことがあるが、そこでもらったのが「エンディングノート」

しばらくほおって置いたが、同級生の幾人が相次いで亡くなるのを見て、また父母の死を体験して

他人事では無い気がして、ノートを開いてみた

結局、これは何かというと悔いなく死を迎えるための準備ノートなのである

この歳になってみると、死は異次元の出来事では無く、日常生活の一部になっている感がある

子供の頃ほど死に対する恐怖は無くなり、どのような死に様を迎えるかの方に関心は移っている

そんな中で、悔いは残したくないというのが一番の関心事である

 

父は「俺の人生に悔い無し」と言って逝った

私は生前の父に対して悔いは無かったろうか? あったけど小さな悔いで、それ以上に悔い無きように

半年間を一生懸命やったから、悔いは無いとしよう

父の故郷にも写真を持って行って、故郷をもう一度見てもらったし、生家の跡にもたどり着いた

 

母はどうだったろうか?  何も語らず母は逝ってしまった

だけど最後の時に、父にしっかりと手を握ってもらっていたから、それで良かったと思うことにしよう

 

では自分はどうなんだろうか?  当然ながら思い残すこと、やり残していること、成すべきことが山積みだ

父のようなわけにはいかない

細かいことは思いどおりにやってきたけれど、人生の本道は父の言うがママにやってきた

もう戻ることの出来ない我が人生だが、急いで負の遺産を精算して

本当に自分がやりたかったことを成就したいし、理想の家庭を、人並みの家庭を取り戻すのも

わが人生の精算

どうも私も父も祖父も祖母も祖祖母も、自己中の人生を我が儘いっぱいに過ごしてきたようだ

伴侶はたまらなかったと思う

私は家庭的には失敗者だし、父は堅実な家庭を築いたが仕事が恋人だった

祖父は一度離婚して再婚、人並みの生活を家族に与えることができなかった放浪自由人

祖父は悔いだらけで人生を終えたのでは無いかと思う、あまりにもやりたいことが多すぎたのに

力が無く、理想ばかりの人だったから

親戚では祖父をこう評している

「一族の中では、ずば抜けて頭が良くて学者と言われていたが、家が貧乏で教育を満足に

受けられなかった、家が裕福なら立派な学者にもなれた人間だった」

だがその人生は一生貧しさから逃れることが出来なかった、だから思い描いた理想は何一つ

得ることも成し遂げることも出来なかった

そんな悔いを残さぬように、残りの年月を行動的に暮らしていこうと思う。