朝は雨が音を立ててふっていたが、じきにみぞれに変わり
一日そんな天気が続いていた
道路の雪は、やはり消えた、昨日と比べても気温の高さは
明白だ
テレビで日露戦争を大学講座風に解説していた、1895年日清戦争で
日本が勝ち、莫大な賠償金と遼東半島の経営権を得たことで
日本は戦争で勝てば金になることを知った」と
しかし三国干渉で日本は権益を得た遼東半島を返す羽目になり
それを干渉した側のロシアが得たことでロシアに対する日本国民の
「今に見てろ!」の気持ちが起こり、1903年からの日露戦争に
つながり、膨大な戦費をまかなうための増税にも国民は我慢した
ということである
しかし東洋一の清国より更に格上の世界の強国ロシアは日本の
10倍以上の国力、軍事力を持つ国家だ
しかし国民の後押しと勇敢な兵士、敢闘精神をもった軍人の力で
英国の後押しも受けて大国ロシアに勝ったのだった
ところが期待したロシアからの賠償金はびた一文取れず
樺太の南半分と遼東半島および満州方面への勢力拡大にとどまった
国民は弱腰内閣と憤慨して暴動もおきたらしい
しかしロシアに清国と同じレベルの圧力をかけることはできなかった
多大な人的被害と国家予算のロスで、ロシアとの再戦などできない
もし交渉が決裂して新たなロシアの大軍が攻めてきたらひとたまりも
ないことは明らかだった、国は破産の危機に追い詰められていた
幸いしたのはロシアでも革命の危機が訪れていて日本との戦争どころ
ではなかったのだ、結局帝政ロシアは革命によって倒された
ロシアからの賠償金は諦めた日本は1910年に朝鮮王朝を日本に併合
して足場を固め、満州への進出を目論んだ
ずいぶん昔に思えるが案外江戸時代の終わりから昭和までは短い
日清戦争は明治維新から40年、日露戦争は50年しかたっていない
大正時代は14年しか無かったから、明治が昭和になるのに15年しかない
だから昭和25年生まれの私は大正39年生まれだと思えばいい
明治で計算しても明治84年生まれくらいだから平成生まれ
たとえば平成25年生まれが昭和89年生まれだから、いかに明治が
江戸時代が私から近いかわかる
明治天皇が崩御されたとき西南戦争で西郷隆盛軍と熊本城で戦い
203高地でロシア軍と戦った乃木将軍は奥様と連れだって天皇の
後を追ったが、明治の終わりは幕末から明治時代を戦い抜いた
維新の英雄たちが去り、新たな昭和の軍人たちが現れる
それは比較的穏やかな大正時代で入れ替わっていくのだ
軍人の心構えも生き様も大きな変化がおきている
東アジアを植民地にしようとやってきた欧米列強から国を守るため
武力革命で近代国家を造り、近代的軍隊を作っサムライたち
最大の脅威だったロシア軍と朝鮮、満州で戦い抜いた明治のサムライ
国政から離れて大陸で暴走した昭和の軍人とは異なる生き様を思えば
サムライの時代は大正で消えたと言えよう
今日がgooブログ開設1900日だそうです