神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

ライブ中止 損害は数百億円か

2020年02月27日 09時42分56秒 |  コロナ騒動

ヤフーニュースの見出し、EXILEなどの大物コンサートが政府の『イベント中止要請』を

受けて当日キャンセルになった

遠方から会場まで来たファンは中止の落胆と共に交通費などの無駄になった出費を

残念がっていた

野球は無観客試合、サッカーは延期、相撲は検討中、マラソンは一般参加者中止

大きなイベントは軒並み中止になった

本来はそんな意味合いだと思うが、地方での数十名の会議や宴会も規制対象の

イベント(集まり)と捉えられだした

毎日顔を合わせている職場の新年会さえもキャンセルが出てきた

夜の繁華街の店を覗いてみたが、この前まで繁盛していた居酒屋などにも客は

2~3人の日が続くようになった、飲食業界も完全に冷え込んでいる

2月下旬まで積雪が無い年は人生初だったが、これだけ自粛の影響が大きい年も

初めての事だ、インフル蔓延や大災害での官庁の自粛の時もこれほどではなかった

ついには法事までキャンセルの相談が葬祭センターから届いた、葬祭センターも

法事のキャンセルが多いらしくて心配そうな様子

未曾有の大災害だ、今年はねずみ年、見えないところでいたずら者が暴れている

 


鈍感力

2020年02月24日 20時08分03秒 |  コロナ騒動

父が亡くなって丸二年が経つ、間違いなく私の心はその日から変わった

鈍感力が身についた、焦りだとか心配だとかに鈍感になった

全く無くなったわけでは無い、今でも心配事は多いし夜中に目が覚めることも

だが、その後が変わった、(夜中に悩んでも何も出来ない..寝よう)と

簡単に割り切ることが出来るようになった、どうしても目が冴えたら電気をつけて

テレビをつけて、そのまま寝てしまう、そんな技術も身についた

『ケセラセラ、明日になれば全ては良い方に転ぶ』そう思えるようになった

「今日まで生きてきた、今日まで乗り越えてきた、明日も来年も大丈夫」

 

友だちとか、取引先だとかの父親が亡くなる度に葬儀に参列して、読経を

聞きながら自分の父が亡くなったときに備えて喪主挨拶を考えるのがクセに

なっていた

父が亡くなることなど考えられなかった、いつまでも居る者だと思っていた

でもあっけなく、死に目に会うことも無く別れがやってきた

病院から「すぐ来てください」と電話が携帯に入って、10分後には病院へ

着いた、なのに病室の中に入ると装着している機器の数字は全てゼロに

なっていた。

ナースセンターに戻り、ぽけっとしているたった一人しかいないナースに

「死んでるんじゃないですか?」と言ったら、驚くわけでも無く、淡々と

一人部屋に行って父を見た、「そうですね」と冷静に私に言って

「今、先生を呼んできます」それで終わりだった

あまりのあっけない父の死に何の驚きも感情の動きも無かった

あれから鈍感力が身についたらしい

鈍感とは便利なものだ、嫌なことを嫌だと思わなくなった、これは特技だ

素晴らしい鈍感力と私は、これからも生きていく

ようやく世間並みの男になったんだと思った

 

今日は閑な日だったので、ちょっと手をかけて従食を作った

中華丼だ。 キャベツ、玉ねぎ、シメジ、人参、椎茸、小エビ、筍、Pマンなど

中華スープ+鶏ガラスープでのあんかけ+豆板醤+塩胡椒

それぞれの素材を個別に味付けした、「うん 美味い!」私だけ言った

社員は黙って食べているだけ

ついでハンバーグの試作品を作って見た

お子様ランチ用だから握り拳の大きさ、小さめである

豚牛の合挽、パン粉、卵、バター、塩胡椒、

テレビで見た肉汁を閉じ込める裏技、コーヒーゼリーも入れた

230度で8分、蒸気も加えて加熱、

「おいしい!」女子社員達も今度は、ご満悦、肉汁もたっぷりで

ジューシーな食感、「また食べたくなる味ね」大好評でした

これをもう少し研究して大きくしてハンバーグ定食もメニューに

入れようかと思っています。

 

 


ちょっと息抜き

2020年02月23日 19時46分33秒 |  コロナ騒動

最近は休むことを考えることさえ忘れて、煎れてもらったコーヒーも

飲み忘れるほど仕事に没頭している

随分と効率、能率が上がり、仕事がますます面白い

少数精鋭になって、女性の能力の高さと,あっけらかんとした性格に

頼もしさを覚えているyottinである

 

昨日は父の祥月命日で住職が経を詠みにきてくださる予定だったが

急遽入院したと言うことで取りやめになった

妹夫婦と我が家だけで仏前にお供えをして、焼香をし簡単にすませ

2時間ほど思いで話をして過ごした、三回忌法要は住職の回復を

待って行うことにした

 

張り切って働くのは良いが、右膝が悪化して正座が出来ない

こんな日が来るとは予想もしなかったが、来てしまった

忙しさも一段落するので、ここらで少し息抜きをしようと思う

ローストポークを作った、それを使ってラーメンも作ってみた

部屋に花を飾るようになってから気持ちも落ち着き、なにか

良いことがやってくるような気分がする

それと同時に眠りも最近は満足出来るようになった、運気は

確実に上昇している。

庭の梅も咲いた

 


東京オリンピック?

2020年02月21日 08時07分24秒 |  コロナ騒動

1940年(昭和15年)に決定した東京オリンピックは中国との日支戦争

満州国経営で世界と対立したことで中止となり、翌年日米開戦となった

1964年、白人国家以外での初のオリンピック、東京オリンピックが開催され

大成功だった

そして2020年、三度東京オリンピックの開催チャンスが訪れた

しかし中国から始まった新型コロナ肺炎の世界的流行の中で、日本は今

中国に次ぐ感染国になってしまった

ついに政府は「不要不急のイベントは控えるように、しかし開催の有無は

主宰者の判断でおこなってください」と

これによって10万人規模の新潟酒の陣、勝浦ひなまつり、CP+2020など

全国で大小のイベントが次々と中止を決定し続けている

東京マラソンも数万人の一般参加は排除となった

これらを期待していたホテル、飲食店、観光地、交通網は肩すかしを食って

苦境に追い込まれている

イベント関連の人がインタビューで「これだけの大イベントが中止になった

んだからオリンピックも中止ですよね、不公平だけはやめてほしいです」

と言っていた

国内だけでオリンピックをおこなうわけでは無い、海外からの観戦客の動向

が気になる

一般的な観光でも国同士の諍いが原因で急落した韓国は別として、2019年

には1000万人にせまる観光客が訪れた中国、500万人にせまる台湾など

からの訪日も大幅に減少した、このまま続けば感染元の中国は元より、台湾

香港などのアジア近隣、そして欧米からのオリンピック観戦もどうなることやら

間もなく3月、あと四ヶ月しか無い

それより受け入れ先のホテルは、そこまで経営が持つのだろうか???

 

 

 


酒を飲もうと思ったら~なぜかまたも新型ウィルス

2020年02月20日 19時21分52秒 | ライフスタイル

私は新潟の「ふなぐち菊水」を時々吞みたくなる

黄色いハーフ缶のとろりと甘く重量感がある液体、普通はこんな酒は

飲まない、辛口が好きだからだ

しかし「菊水」は違う、何が良いというと3本も飲めば結構酔えるからだ

甘いのに飲み口も良いし、私にとって最高の酒の一つ

だから「ごろはち」にしても菊水は甘いという印象しか無い

ところが先日、酒を買いに言ったら菊水の辛口があった、しらんかった

早速買ってきて飲んでみた、確かに辛口だ、水のように喉を流れていく

そして酔いもしないうちに四合瓶は空いた

それから次の日は日本酒も無くなったので、バレンタインディにいただいた

ワインを飲もうと思って封を開けたら、コルク栓だった

スクリューキャップのワインも多くなったこの頃だから、久しぶりにコルク栓を

見た気がした、ところが栓抜きが見当たらない

それで飲むのを諦めて,何か無いかと部屋を見回したら以前いただいた

小瓶の紹興酒が目に入った、『武漢』という文字はないかと探したが見当たらなかった

封を開けたら、これもご丁寧にコルク栓だったので、この日はコーヒーで我慢して寝た

今日の昼過ぎ、ホームセンターへ栓抜きを買いに行った、ついでに工具売り場で

六角レンチのフルセットを探していたら見た顔が

40代半ばの彼は、建築資材の会社の社長さんだ

「こんにちは」 「あ~久しぶりですね ごめんください」そして

「景気はどうですか?」と聞いてきたので、「例のコロナでキャンセルが出てきましたよ

パッとしないですね」

「そうでしょ!、うちなんかもバタバタですよ、何しろ資材がぜんぜん入ってこなく

なりましたから」と本当に切なそうな顔をした

私の方は70人ほどの新年会が一つ無期限日延べになったほかは、あの台湾ツアーが

15日頃から軒並みキャンセルになったくらいでとどまっているが、主力部品が

入荷しない彼の商売は、本当にキツいと思った

新型コロナウィルスに感染したという医学的な現象から、いまや中国頼みの輸出入

業界がもろに影響を受け、経済的な打撃が深刻だ

今まで書いてきた観光業は、もはや閑古鳥で、今度は「不急の集まり」と言われた

イベント業界に広がっている

幸い我が町では、飲食店の入りや、料理店のキャンセルはごく希なケース以外

おこっていない

大阪の居酒屋へ魚を送っている魚屋が言っていたが、夜の2時過ぎだというのに

その居酒屋は客で一杯で、電話の向こうで賑やかな声が聞こえたと言っていた

あれだけテレビが騒いで、厚労省が渓谷を出しても、市井の者どもは逞しい

「いったいどこにコロナが居るんだい? 会ってみたいもんだ」とは言うまいが

騒ぎの割に気にしている日本人はまだ少ないようだ

福岡の地下鉄で、マスク無しの隣の人が咳をしたので非常停止ベルを押した

客の事件がネットニュースで流れた

気にもしない方がいいのか、過敏な反応くらいがちょうど良いのか・・・

因みにネットで通常のインフルエンザを調べたら、アメリカでは死亡14000人

感染者は2000万人以上

日本でも昨年は9月までで死亡数3000人以上、今年は2月14日までで

厚労省発表の感染者数は44737人だそうです。

 

 

 

 

 


おもいつき

2020年02月19日 20時17分32秒 | 季節と自然/花

昼近くからずっと青空が広がり、気持ちの良い1日だった

海はうねりが高くて、今日も漁船は休み

明日は1m以内になる予報なので久しぶりにセリがあるだろう

いよいよ庫内のアンコウも、明日の予約で終わってしまうから

ぜひとも漁船に出てもらいたいのだ

最近は時々、オーストラリア人のグループが食事に見えるようになった

彼らが刺身や海鮮丼が好きだとは知らなかったが、それは世界中で

言えることで寿司、さしみ、天ぷらの海外進出のおかげかもしれない

特に昨日のグループは海鮮丼を完食してから、刺身定食を追加注文

してきたので驚いたが、刺身定食を見たとき、彼らの顔が輝いたと言うから

よほど刺身が好きなのだろう

 

長い間、星空を見ることが無かった、そして今日、星空を見上げた

オリオン座が南中、その上の天中には双子座が、そしてオリオンの斜め下には

大犬座、そして東に小犬座、冬の一等星のオンパレードだが青白いシリウスと

赤いペテルギュースの対比は、いつ見ても美しい

ペテルギュースは間もなくその終焉を迎えるのだそうだ、実際にはもう存在

していないかも知れない、今発したペテルギュースの光が地球に届くまで

約640年かかるからだ

超巨大なペテルギュースを我々の太陽の場所に置くと水星、金星、地球

火星、そして小惑星帯までも飲み込まれて、木星近くまで及ぶらしい

太陽など問題にならないほど巨大な恒星なのだ、一般に赤い星は温度が

低くて大きい

「超新星爆発が間もなく起きる」と言っても、それが来年なのか1000年後なのか

1万年後なのかは誰もわからない、宇宙的には隣の星だから爆発後の

明るさは半端ないらしい、月の明るさに比較されるほどだという

 

コロナはもういいや・・・・テレビに任せよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新型コロナウィルス 第三ステージ突入!..煽りすぎ!じゃない?

2020年02月16日 18時41分07秒 |  コロナ騒動

中国武漢で大流行の兆しが見えたとき、わが国にとっては対岸の火事

だった、(また中国か野獣の肉なんか食べるからだ)なんて笑ってた人もいた

これが第一ステージとして、第二ステージは日本人多数、総勢三千数百人が

乗った豪華客船でコロナ感染が発見されてから今日まで、未だ解決されず

船内だけで2週間で終わらせようという作戦は、大量感染の原因だという声が

テレビに出る有識者、医療関係者の口からではじめ、外国人も多いため、その

関係国からも非難の声が出始めているらしい

そしてついに隅田川の屋形船の遊覧食事の参加者から複数感染者が出た

その大元は先月の武漢からの観光客の屋形船乗船に始まったらしい

そして同時に和歌山だとか千葉だとか複数の太平洋側の都県からも関連が

ない単体の陽性患者が発見され、中には医師も居て、その同僚、患者さんも

感染したという

もはや日本国内どこに居ても感染のリスクがある第三ステージに突入したのだ

まだ救われるのは死亡された方が一名でとどまっていることだ、これが10人

100人となれば中国の状況に近づく第4ステージになる

もはや日本は中国の傍観者の地位から世界第2位の危険度が高い国になった

 

観光業のダメージは計り知れない、雪が無くて泣いているスキー場に次いで

次は旅館、ホテル、観光バス、観光タクシー、ドライブイン、食事処、観光名所

土産物店、旅行代理店、船舶、航空機、飛行場が悲惨な状況に近づいている

我が店は今年はようやく台湾ツアーが軌道に乗り、中国人相手のツアーで

無くてホットしていたのに、今度はこっちが選ぶのでは無く、向こうに選ばれる

立場になった(日本は危険?)という問いを外国の旅行社が持つようになって

来た、ほぼ1日おきのペースだったが、ここに来てすでに三組のキャンセルが

出てきた、全て同じツアー会社の企画ツアーだ

多分、残る数件も全てキャンセルになるだろうと覚悟を決めた

一件あたり25名ほどだから経営に影響する程では無いが、閑な2月では

ありがたい客だったのだが・・・・仕方ない、お互いがリスクを抱えるくらいなら

中止してもらった方がありがたい

我が家の十倍百倍規模で観光食事をメインにしている百万人観光地は

たいへんだろう

厚生大臣は強気な発言をしているが、誰も経験していない新型

しかも健康に見える無症状感染者からうつるというのだから、これは怖い

とりあえず身の回り、あるいは住む自治体から感染者が出ていない限りは

一応安心していて良いけれど、こんな時は動き回らないことが一番かも

とはいえ、国内在住の感染者は、まだ1億2500万人中10数名、死亡1名

世界中を見ても中国以外の死者は2名だけ+日本1名

連日テレビが大騒ぎしているわりには冷静に見れば、こんな状況

少し不安を煽りすぎているのでは無いだろうか、初期対応がまずかった

武漢及び周辺地域&中国以外の国々では、患者数も死亡者もインフルの

比では無い、かかったからといってかなりの高率で死亡なんて事も無い

 

などというと、そんなことを言っていたから大流行になったと後日叱られる

のも怖いし、かといっても...

仕事に行くには電車、バス、遅くなればタクシー、会社へ行けば人に会う

病院に行けば病気に出会う、イベント、遊園地、テーマパーク、仕方ないじゃん

行けばいい、楽しめばいい、家の中に家族とも会わず、食事もせず

買い物にも、会社にも、学校にも行かないわけにいかない

運悪くかかったら信頼出来る医院に行って、治してもらう程度に

考えていた方がいい、まそういう人が圧倒的に多いけどね

マスクの買い占めなんてみっともないことだけは

やめてほしいね、日本人なんだから。

 

 


サムライ

2020年02月08日 22時17分06秒 | 戦国時代

朝は雨が音を立ててふっていたが、じきにみぞれに変わり

一日そんな天気が続いていた

道路の雪は、やはり消えた、昨日と比べても気温の高さは

明白だ

テレビで日露戦争を大学講座風に解説していた、1895年日清戦争で

日本が勝ち、莫大な賠償金と遼東半島の経営権を得たことで

日本は戦争で勝てば金になることを知った」と

しかし三国干渉で日本は権益を得た遼東半島を返す羽目になり

それを干渉した側のロシアが得たことでロシアに対する日本国民の

「今に見てろ!」の気持ちが起こり、1903年からの日露戦争に

つながり、膨大な戦費をまかなうための増税にも国民は我慢した

ということである

しかし東洋一の清国より更に格上の世界の強国ロシアは日本の

10倍以上の国力、軍事力を持つ国家だ

しかし国民の後押しと勇敢な兵士、敢闘精神をもった軍人の力で

英国の後押しも受けて大国ロシアに勝ったのだった

ところが期待したロシアからの賠償金はびた一文取れず

樺太の南半分と遼東半島および満州方面への勢力拡大にとどまった

国民は弱腰内閣と憤慨して暴動もおきたらしい

しかしロシアに清国と同じレベルの圧力をかけることはできなかった

多大な人的被害と国家予算のロスで、ロシアとの再戦などできない

もし交渉が決裂して新たなロシアの大軍が攻めてきたらひとたまりも

ないことは明らかだった、国は破産の危機に追い詰められていた

幸いしたのはロシアでも革命の危機が訪れていて日本との戦争どころ

ではなかったのだ、結局帝政ロシアは革命によって倒された

ロシアからの賠償金は諦めた日本は1910年に朝鮮王朝を日本に併合

して足場を固め、満州への進出を目論んだ

ずいぶん昔に思えるが案外江戸時代の終わりから昭和までは短い

日清戦争は明治維新から40年、日露戦争は50年しかたっていない

大正時代は14年しか無かったから、明治が昭和になるのに15年しかない

だから昭和25年生まれの私は大正39年生まれだと思えばいい

明治で計算しても明治84年生まれくらいだから平成生まれ

たとえば平成25年生まれが昭和89年生まれだから、いかに明治が

江戸時代が私から近いかわかる

明治天皇が崩御されたとき西南戦争で西郷隆盛軍と熊本城で戦い

203高地でロシア軍と戦った乃木将軍は奥様と連れだって天皇の

後を追ったが、明治の終わりは幕末から明治時代を戦い抜いた

維新の英雄たちが去り、新たな昭和の軍人たちが現れる

それは比較的穏やかな大正時代で入れ替わっていくのだ

軍人の心構えも生き様も大きな変化がおきている

東アジアを植民地にしようとやってきた欧米列強から国を守るため

武力革命で近代国家を造り、近代的軍隊を作っサムライたち

最大の脅威だったロシア軍と朝鮮、満州で戦い抜いた明治のサムライ

国政から離れて大陸で暴走した昭和の軍人とは異なる生き様を思えば

サムライの時代は大正で消えたと言えよう

 

今日がgooブログ開設1900日だそうです

 

 

 

 


今期初の銀世界も儚く消えた

2020年02月07日 20時14分15秒 | 季節と自然/花

朝起きたら最高の快晴、気持ちよいほど陽が差している

昨日は夕方から今季初とも言える雪降りになった

そして朝近くまで降っていたらしい

外へ出てみたら、一面の銀世界、地面は3~5cm、車の屋根は10cm

今冬初の積雪は、こんな具合だったが、この天気の良さでは昼までには消

えるだろう

雪国の雪降りの朝、何が嫌だと言って路駐で雪まみれになっている車を

雪の中から発車させるまでの行程だ

まずは凍り付いているドアを開けなければならない、場合によっては湯を

湧かしてかけなければならないこともある

それからワイパーが動くようにフロントガラスの雪を落とさなければならない

フロントのガラス表面は完全に凍り付いていて、これは暖房をつけて

中を温めて溶かすのが一番だが、10分はかかる

車の全体の雪を落として発車するまでには15分以上かかる

雪さえ落とせば4駆だから新雪なら軽く出る

などと思いながら、車の雪落としをしていたら近所の奥さんがゴミ出しに

やってきたので「おはようございます」と挨拶した

マスクをかけて誰だかわからない奥さんだが「えっ?」という返事だけで

帰って行った

(愛想の無い人だ)と思ったが、私も深いニットの帽子に、マスク

そしてふかふかのアノラックと膝までの派手な長靴だから誰だか

わからなかったのかも知れない....と思ったが(あれ!)

あの赤アノラック・・・・そうだ!....わが女房殿!

たった今、「行ってくるよ」と家を出たばかりなのに、ゴミ出しに来たら

雪かき中の夫から「おはようございます」では..「えっ?」が妥当か?

国道に出たら道路は凍り付いていて、ノロノロ運転で列になっている

それでも都会のような渋滞がないだけまし

漁師も出漁したし、今日は一日気持ちの良い日差しだった、やはり

本年初の積雪も夕方には溶けてしまって、根雪にならなかった

明日からまた雪マークも見えるが、もう根雪は無いだろうな

海岸部は、こんなところだが、山間部では一晩に50~80cm降った

所もあるようで、ようやくオープン出来たスキー場もいくつかあったようだ

スキー場は雪降り、町場は雨か曇りが理想だけどね

 

 

 


明治はますます遠くなり、昭和も記憶の中に

2020年02月06日 10時02分09秒 | 時代検証

この冬一番の大雪注意報だとかで少し身構えたけれど、朝起きたら

陽が差していた

窓を開ければ..港は見えないけど..隣の家の屋根にはうっすら雪

1cmあるかないか・・・今も雪は降っていない、もう暦では春だとか

今年は、このまま積雪が無い冬になるのだろうか

新型コロナは世界中で拡大する一方だ、これが江戸時代、明治初期

なら一体どんなことになっていたのか

疫病蔓延で多くの人が亡くなった記録もあるから、きっと今の騒ぎと

同じようなものだったのだろう

幕末、明治、大正、今よりもずっと全てが遅れていた時代と思いがちだが

案外、今より進んでいたこと多かったんじゃ無いだろうかと思う

例えば人の心や周囲への思いやり、自然環境への配慮、体を適度に

使った労働、運河や川の交通網、なにより自給自足の食料作り

海上交通は大量に物資を運び、日本中を巡っていたから高速道路の

ようなものだ

私がルーツを調べていて疑問に思ったのは、800年以上暮らしていた

土地(栃木黒羽)を追われて宇都宮、茨城古河へと移り、その後祖母は

日光鬼怒川温泉へ出稼ぎに行き、東京日本橋の男と再婚して東京で

暮らした

こうしたストーリーの住居の関連性や移動手段、動機がわからずにいた

しかし今朝『古河藩の歴史』を調べていて気がついた、この移動ルートの

関連性があったのだ

北陸越後信濃路の中で生きている私にとって、北関東の事情には疎い

それでわからなかったけれど、降って湧いたように解決した

それは全て日光街道のライン上にあったのだ

起点日本橋から古河、宇都宮、終点日光へと続く日光街道、結局人は

馴染んだルートが一番安心なのだろう

こうしたルートは街道だけでなく、昔の主要な交通網であった河川の

運河ルートでも起こりうる

流浪の旅をしていた祖祖母と出会って一緒になった風来坊の徳五郎さん

たぶん出会ったのは宇都宮だろう、それは大正の初めか明治末期

祖祖母(勿論、祖母も同じだが)の産まれ在所黒羽と、徳五郎さんの在所

馬頭は水上交通の盛んだった那珂川で繋がっている隣町だ

引き寄せられるように結ばれたのだろうか?

50過ぎの孤独な男と、子連れの30過ぎの女、20歳も歳が離れて居ても

男と女の偶然の出会いは、必然の出会いにほかならない

そして新世帯を持つべく古河に住みかを求めたのだろう

ここで大正6年に二人の長男が生まれ(祖母の父違いの弟)、祖母は

大正11年か12年にここで婿をとり、大正13年父が生まれた

しかし徳五郎さんと祖祖母の息子は昭和5年頃、川で溺れて亡くなってしまい

その2年ほど後のクリスマスに傷心の祖祖母も貧しさの中で亡くなったのだ

それから間もなく鬼怒川温泉で出会った祖母と義祖父は連れだって東京に

行き、その後、小学生の父を東京に引き取った、当時は大正13年の

関東大震災で日本橋の家は無くなり、上野御徒町の一間の借家住まいだったという