爽やかな、ほのぼのした記事を書こうと思うが、朝起きて
市場に行けば、もう「売れない」とか「休業」とか「感染」、そんな話題ばかり
とうとう市内の「道の駅」も全面休業に入った
政府は5月7日迄の自粛というが、そんなものでこのコロナが治まるだろうか?
今日も国道を『ブンブン』と県外のバイク集団が走っている
毎日毎日、こんな事を書き続けている自分がバカに見えてきた
幕末、長州、薩摩を中心とした西国大名の官軍が江戸を降伏させて
最後の仕上げと会津征伐にむかった
徳川家康の東軍が会津の上杉征伐にむかって以来、260年ぶりの
会津征伐だ、今度は攻守入れ替わり、德川方が攻められる番となった
すでに会津に戦う意思はなく恭順を示していたが、若い方面軍参謀は
「会津藩主の首を取る」と息巻いて許そうとはしない
奥州最大の仙台伊達藩が仲立ちしても、まったく妥協する気配も無い
あまりの尊大無礼についに業を煮やした仙台藩が官軍参謀、世良修蔵を惨殺した
そして勢いのまま、『奥羽越列藩同盟』を結成した
越後と現在の東北6県が力を合わせて、会津の許しを請おう、そして平和裏に
この戦争を終わらせようというのが目的だったのが決裂した
越後と言っても中立を許さない官軍に「降りかかる火の粉は払う」と開戦した
長岡藩だけが根性を見せただけで、その他はほぼ恭順
官軍は越後から,白河口から、攻め寄せてきた、しかし白河口は伊達藩の援軍も
あったが、いとも簡単に打ち破られてしまった
越後口は、会津藩と長岡藩が官軍相手に激しい戦闘を繰り返し一進一退
ついに長岡城は官軍の手に落ちて、家老河井継之助は会津に落ち延びる途中
絶命した、田舎にあって藩の近代化を推し進めた英傑であった
東北では秋田藩が同盟を裏切って、山形の庄内藩に攻め寄せた
しかし財政豊で近代兵制をいち早く取り入れた庄内藩は強く、越後、東北の
官軍方を撃破し続けた
しかし白河口からの官軍の攻撃は早く、二本松を落とし、仙台藩を降伏させ
三春は裏切り、つい会津藩も降伏したのであった
今、コロナに攻め込まれ、江戸も大坂もたいへんな事になっている
比較的感染が少ない東北と越後はGWに向けて、ウィルスの侵入を防ぐために、
新潟県と東北六県及び政令指定都市の新潟市と仙台市が、まさに
「奥羽越列県同盟」を結んだ
広域連携で関東関西からのウィルス侵入を防ごうというのが趣旨のようだ
三度目の会津戦争がいよいよ始まるのか?