12月30日神棚を掃除して、新旧のお札の納め替え、「天照大神」を真ん中に地神、氏神様、鎮火のお札や商売繁盛のお札、家内安全など各々のお札を納める。
注連縄を飾りながら考えた、日本人特有の神社、伊勢神宮や出雲大社、諏訪神社など有名な大社から地方へ広がり、またその土地その土地の氏神様が祀られ、大晦日から正月には何でも「うっぜぇ!」若者たちさえ(ニコニコ)晴れやかな顔で彼女と連れだって初詣。
全くミステリアスな日本人の行動と考える外国人、神社というとすぐに戦争に結びつけたがる外国人、いずれにしても初詣や旅行などに欠かせない神社の参拝、しかも各家庭に神社のミニチュアが祀られていて日々それを拝む日本人...こりゃ一体何だ?と外人が思うのも無理はない。
そもそも起源は何なのか?調べれば分かるだろうが、私的には始まりは米の豊作祈願からではないだろうかと思う、注連縄は藁で造ってあるし穂先には米が...
最初の写真は縁起物で宝船、千石船だろうか、それから下の写真は農村地区の長男の結婚式に地域の人か家族が造った宝船、どちらも藁で造ってある。
以前このブログに載せた「信州大岡村の藁で造った道祖神」なども悪魔や疫病払いの神様で、村の守り神だ、こうしたことから日本人は稲作と切っても切れない関係を持ち、生産だけにとどまらず生産後の廃棄物さえも生活に利用し、さらに守り神や幸せの道具として活用してきた。 それを神社信仰にまで発展させていったのは日本人が小さな集団的生活圏をより重要と考えたからだろう、そしてその集団の長が氏神として崇拝されたに違いない。 田舎には実に多くの神社が存在している、わずか20戸ほどの集落にも1つ神社があるほどだ、それらは氏神様を祀って居るのだと思う。
今や石油製品が大手を振っているが、昔は安全無害な藁製品でみんな生活をしていたのだ、畳、ござ、藁葺き屋根、笠に蓑、わら靴、まだまだある、そしてこうした縁起物から注連縄まで、つくず「く日本人だなあ」と思うのだ。
いよいよ「忘年会」もラストスパート、私も1日おきの忘年会で週3回ペース、それも2次会3次会までつきあわされて(つきあわさせているのかも?)では、さすがに寝不足気味。
しかも大晦日に近づいて、魚市場の仕入れも欠かすことができないわけで、夜更かししては、それなりに朝起きして市場に行くので、緊張感や使命感で何とか酒を殺している。
体が知っていて、意外と飲む量を抑えているのかもしれない、ただ問題は内蔵への負担、間違いなくメタボの道を突き進んでいるわけで、おなか周りの窮屈感を実感するようになってきた、こうなると男の魅力はゼロ、食い気にはまった女性と同じ状態なわけで、色気も何もあった物ではない、そのかわりカラオケの実力は確実にアップしている。
週末の夜に雨が降ると、タクシーも代行も極端に不足してくる...先週の土曜日は代行が夜中に2時間待ち、タクシーはもう電話にも出ないという状況らしかった。
代行の社長がいたから「儲かってどうしょうもないね」と声を掛けたら、「いやいや週末だけで、平生は閑古鳥ですよ」などと言いながら、ほころんだ口元から福沢諭吉が顔をのぞかせているように見えた、アベノミクスもどうやら田舎まで到達したのだろうか?
永遠に変わらぬ日本の象徴というと「天皇陛下」と「富士山」 日本にしかない象徴 日本人にしか理解できない日本人の心
富士山は外国人が見ても、その美しさを理解できる、だからこそ世界遺産に選ばれたのである、しかし自然美とは別に、日本人が富士山に対する想いは特別なものがある
信仰の山としての神々しさ、圧倒的な存在感、心に与える安心感とやすらぎ
もしこの場所に富士山が存在せず、広大な原野だとしたらそこには「広さ」だけが価値観として残るに過ぎない、ここにこうして富士山があるからここが正真正銘の日本国の中心としての安定感と安心感があるのだ。
日本民族の中心に天皇陛下が存在し、日本国土の中心に富士山がある、外国人が何と言おうと譲る事が出来ない心のよりどころだ。
1月の凍える夜と早朝に河口湖で撮った「富士山」の写真、こんな凡夫が撮った写真でも富士山の美しさは心に響いてくる、日本人に生まれた喜びを感じさせてくれる。
「人肌!」 ああ..それも有りですねぇ だけどやっぱり「熱燗」でしょ「こたつ」と
そして「熱燗」ときたら「鍋物」 いよいよ我が店でも鍋物モードに入ってきました
今日は板前たちが試作品を数点作りまして、これもその一つで「海鮮鍋」、メインが地元の
「鯛」。 他には「牛鍋すき焼き風」とか「天然寒ブリのしゃぶしゃぶ」「カニ鍋」「真鱈のちり鍋」「つくねのアゴ出汁鍋」「あんこう鍋」なども試作、これをいろいろなプランに組み入れて1月からの会席に登場します。
これは地元産の「まだらの白子」ポン酢で食べますが、ミルクのようなねっとりした甘みのある味わいで、クリーミー感覚、新鮮だからこそ生に近い状態で食べることができる。
海辺の町で育った特権ですかね。
北陸金沢市から、能登半島の外海に沿って能登道路を40kmほど北上すると「千里浜(ちりはま)海岸」に到達する。
砂浜が2~3km続くどこにでもあるような海岸だが、実はここは特異な観光道路なのだ、遠浅の波が寄せる砂浜は固く締まり、乗用車はもちろん、観光バスも波打ち際を走る砂浜なのだ。
夏は、この海岸に沿って「焼きハマグリ」などの簡易店舗が何軒も建って良いにおいを発し、観光客を呼び寄せる。
しかし、今は初冬、浜辺にいるのは物好きな私のような人間と、海猫ばかりである。
海猫とカモメは似て異なる鳥だと知ったのは今日のこと、海猫は一年中居着く原鳥だが、カモメは冬だけの渡り鳥だと言うことだ、それなら私の町の海鳥は、明らかに海猫だ「みゃあみやあ」と鳴く様は、まさに猫のようである、だがこの千里浜の海鳥がどちらかと言えば、やっぱり分からない、ここに居着いているのか、冬だけなのか?
そして同じ浜にいる1.2枚目の鳥と3枚目の鳥は、違う種類なのか、親子なのか?それも分からない...魚は仕事柄詳しいが、鳥はどうも苦手だ。
冬の千里浜は静かだ、波は高く幾段にも重なり合って私を飲み込もうとするかのようなのに、やはり足下まで届かないのは、蜃気楼のようでもある。
夕暮れは早く、鳥も私もねぐらを目指して一目散だ。
「高ポッチ」とは妙な名前だが、地域の方言なのだろうか?
標高1600mあまりの高原で、途中の道は所々すれ違いができない細い道になっていて、対向車が来ないことを祈りながら登っていく。 国道20号の塩尻峠の付近からおよそ7km程の行程で到着する。
12月6日から冬の危険防止のため道路閉鎖になるので12月4日、最後のチャンスとほとんど一般道経由で3時間半かけて目的地に到着した。
途中の細い山道が牧場のあたりから突然開ける、かなり広い平地が続いて大きな駐車場に到着する、眼下には塩尻方面?の市街地、目線の上には北アルプス穂高連峰が広がるが、今日は雲がかかって3000m級の雄大な景色は見えなかった、反対側には「高ポッチ山頂」に続く小道が見える(上の写真)霜が降りて黒い土を踏む度に靴が沈む、両側には雪が残っていて光っていた。
この道を10分ほどゆっくりと登ると山頂で、360度のパノラマが開ける。
東には蓼科山から続く八ヶ岳が
その右手には「諏訪湖」と甲州のアルプスの山並みが広がり
そして5回目の挑戦にして初めて姿を見せてくれた「世界遺産 富士山」 感激! この風景を見ているのは私たちの他には誰もいない、この風景を独り占めなんて贅沢すぎる!
今日は本当に良い天気で寒さも感じず、ただ風は冷たくて帽子をかぶらない後ろ頭がじんじんと重くなって来るので、セーターを頭からかぶった。そんな状態で小一時間滞在
昨年11月に同級会の定期旅行で訪れた、大阪「住吉大社」、そこの太鼓橋手前の獅子に守られているかのように、のんびりと昼寝をしている猫ちゃんがいました。
毎日たくさんの人を見ているせいか、実にマイペースでひらねぶっています。(知らない顔でとぼけて寝ている様子)
また獅子の方も、この猫をしっかりと守っているかの表情で誠に良いバランスなので一枚撮った次第です。 ちなみにネットで検索したらYOUTUBEに一年前の日付で同じ猫ちゃんの動画が投稿されていました。
それと関連ないと思いますが、住吉大社には「初辰猫」という招き猫が販売されているとか、知っていれば買ってきたのに...商売繁盛の招福猫と言うことで、こんなことも下調べしないで行った自分は商人失格...か? 残念 でも大阪にいて参拝しないと無理みたいですね、いろいろ決まりがあるようで。
自然界の鳥を紹介したかったのだけれど、昨日掲載の「さぎ?」が見事なラブラブポーズをしていたので、「そういえば」と、この那須どうぶつ王国のフラミンゴのラブラブポーズを思い出しました。 しかも見事な?まで作ってくれて観客を楽しませるなんて、さすが動物園のスター。
那須は、我が家の真のルーツ黒羽(大田原市)に近いところでありまして2度だけ、訪れましたが温泉と観光地巡りで、黒羽周辺には行けません、今住んでいるところからは相当遠いのでなかなか行けませんが、3年内にはルーツの旅に出たいと思って居ます。
なぜか見知らぬ土地なのに、妙に懐かしさを覚えるのはDNAの働きなのでしょうか、歴史ある旧家だそうですが、父が70年ほど前に訪問したのが最後なので、もう赤の他人ではありますが、心の故郷を持って生きていくのは楽しいことです。
ところでペリカンはこちらでした、ぜんぜん違いますね(昨日の記事参照)