神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

健康診断結果

2017年06月30日 17時33分27秒 | 病気と健康

毎年一回の健康診断の結果が出た。

本当は、もうワンランク上の検診を病院で受ける様に言われているのだが

三年前からやめた、そして一番簡単な現役世代の検診を受けている

体重、身長、視力、尿検、血液検査で肝機能、糖、脂質、赤血球、白血球、心電図

胸レントゲン、聴診器だけの単純明快な検査。それでも待ち時間を入れて一時間半以上かかった

胃カメラや、バリュームなどでのガン検診はやらない、やりたくない

検診で発見されて手術をして、中直りして、直に亡くなった人を何人か見てきた

初期ガンになっても、何も知らずに遊んでいれば、自然治癒するのではないかという

「笑いがガンを消してしまう法」を信じている

だからあえてガンを見つけてもらおうとは思わない、寿命は寿命だ

 

ええ~検診結果は、案の定昨年より状況が悪い・・・当然だ体重も4kg太ったし

ガンマGTPとLDLコレステロールが限界値を超えてしまった、どちらも昨年は健康値だったのだが

特にガンマの方は一気に昨年の2.5倍に上昇した

どれどれ説明を読んでみよう「ふんふn、なるほど」 ガンマが高いのは、お酒を多く飲む人がなりやすい

当たってる!  まだ内科受診までのレベルではないようだ

LDLは悪玉コレステロールが多いのか、動脈硬化、心筋梗塞になる確率が高い

なるほど、これは怖い

私はガンで死ぬとは思ったことがない、でも何かで死ぬわけだが、自分としてはこの血管血液系が怖い

私の準親友は、市役所の課長だったが定年前に突然脳出血、それも太い血管が破裂してあえなく

殉職してしまった59歳だった

同じく同級生の奥さんもトイレの中で、脳出血で倒れて二日後に亡くなった、60歳だった

くも膜下出血で50代で亡くなった先輩もいる、ガンと違って予告なく訪れるから心の準備が無いうちに

死んでしまう、これは嫌だな、生きながらえても半身不随とか言葉を話せないとか、これも辛い

 

そこで私は食事療法を今夜から始めることにして、会社のまかないのおばさんに明日からは自分で

作るので一人前減らしてくださいと宣言した。

多く食べてはいけない物が書いてある、鶏卵、魚卵、バター、果物、アルコール、脂質の多い肉

肉以外は大好物ばかりだ、なるほどこれだもの数値が上がるわけだ、「よしこれからは三分の一

位に減らそう」、そして食べる量を増やすべき食品、野菜、海藻、キノコ、魚(特に青魚)

な~んだ! これも好物ばっかりじゃん、これならやれると確信した

早速、今日の夕食から自前だ、女房殿のおかずはいつも野菜たっぷりだから問題ない、脂っこい

料理だけ少なめにする様に頼んでおこう

来年の検診が今から楽しみだ

 

今夜の献立

白滝と赤身牛肉、鳥もも、豆腐の煮物

友達のつーくんからいただいた「つーくん農園」のキャベツを茹でて、それに筍と椎茸、帆立を加えて

味ポン酢で食べる

あとは、納豆1パック ナメコの味噌汁          以上

 

 

 

 

 

 


親孝行

2017年06月29日 08時33分04秒 | 心 思い

「孝行したいときには親は無し」という言葉があるが

今のご時世、長寿社会になって死語化している

「孝行してもらいたいときには、(家には)子は居らず、老いた親の老々介護」

というのが現実だ

団塊世代はまさに、この状況を今味わっている

私の親戚の同世代の一人息子は関東に住んでいる

子供が2人いたが誰も同居せず、60代夫婦でマンション暮らし、田舎には90歳の母一人

私が身元引受人になっている(ならざるを得ない)

以前、彼女が行方不明になった時(単なる行き違いを近所の人が大騒ぎした事件)

真っ先に警察から私に電話が来て、驚いて隣町のその家に駆けつけたが、中で倒れているのではと

警察が承諾を得て、勝手口の硝子を割って中に入ったがもぬけの殻だった

そのとき、すでに親戚のおばさんは老人会の会場にいたのだった

それがわかるまでに1時間かかり、警察は用水をずっと下まで探し回った

そんな騒ぎがあって、もうリタイアしている埼玉の息子に電話をした

呑気なもので、田舎に住む親友や、私たち兄妹に「悪いがもう少し頼む」で終わらせた

こっちは合計4名の老親を日々見ている上に、この男の親まで見る羽目になった

この父親が亡くなったときも、通夜が始まる直前にやっと来て「すまんすまん」と言いながらすっかり

お客さん気分だったのにはさすがにムッとしたが、子供の時からこの調子だから、すぐに覚めた

親友と私と妹で葬儀のあらかたの準備を2日間やったのだった

香典が集まってきて、葬儀屋の精算も終わりまだ数十万円残った、それを見たこの息子

60半ばと言うに「こんなに残ったのか、母ちゃんと山分けだ」と嬉しそうに言った

90になる母親は「ばかなこというもんじゃない! まだお寺の払いも残っている、余るどころか

足りないよ!」とキツく言った、私たちに「世間知らずで困るよ、いろいろ教えてやってください」

90歳になっても、これじゃおばさん呆けてもいられない、だから今でもしっかりしている

そんな息子だが、去年から心を入れ替えたのか、毎夕かならず電話を入れる様になり

二ヶ月に一度くらいは家に来て一ヶ月ほど滞在する様になった

一度は女房共々、田舎に帰ってきて同居するという話しにもなったが、嫁は「私は絶対行かないからね」

とがんと言い張って、話しは流れた

こんな無責任男でも、母の老いを目の当たりにして孝行の2文字が浮かんだと見える

これが本気なら、私もアルバイト程度の仕事は紹介しなけりゃならないと思っている

観光サービス営業ではベテランだから、使い道はある

田舎では親と同居する者は多い、一緒に呑んだり食べたりしながらする話しは大体3つ

親の介護、孫自慢、ペット

 


48年ぶり 60年ぶり すれ違い

2017年06月28日 18時17分34秒 | ライフスタイル

今日は一体どういう日なのだろう

朝、店に来たら、自分のデスクの上に、お土産が置いてあって、事務員の字で

「旧姓** **枝さんから社長にと置いて行かれました」というメモ

ちょうど事務員が出勤してきたので事情を聞いたら、昨日の法要のおときを我が店で行って

その帰りにフロントに立ち寄ったのだという

このお客様が来たときには私も店内にいたのだが、帰りには例の飲み会に出かけていなかったのだった

「小柄で、ちょっときれいな人でしたよ」と事務員は言った

なんと言うことだ! 会いたかった、すごく会いたかった人なんだ

前にこのブログで一度、思い出として書いたことがあるが、どのジャンルにあるかさえ忘れてしまった

彼女は19歳の時、雨の新潟市一番堀を相合傘でデートした思い出がある

そしてその日が、会った最後の日だった

辛い過去があって、今は青森の下北半島に住んでいるとわかったのは3年前だった

その間、45年間彼女は行方知れずだったのだ

生真面目で、学生時代は民青メンバーだったこともあり、一途で正義感が強い子だった

デートと言っても、異郷の地で同郷同士ということで一緒に喫茶店で話しをするくらいのつきあいを

2度しただけだったのだが、高校時代の3年間は異なる高校だったけどグループ交際でつきあっていた

そんな懐かしい人が、遙々青森からやってきて、私の店の中にいたというのに、なんと愚かな!!

会いたかった、今日会えなかったと言うことは、おそらく一生会えない気がする

本当に残念! 痛恨!!!

 

午後、妹が友達と我が店に食事に訪れた

2時間ほどレストランで話し込んでいたが、レジに支払いに来て友達の女性を紹介してくれた

昔、この近くで小さな商売をしていた家の娘だった、その店の名前を聞いた途端に

「真紀ちゃんの妹さん?!」思わず言ってしまった

「姉です、私たち三姉妹です、今日みんな各地から集まって実家の父母の法要を行ったんです」

これまた法要だった、今日は本当に奇遇が続く

この人は三姉妹の真ん中で、私の妹の同級生なんだそうだ

「姉さんを知ってます?」と言うから「幼稚園と小学校1年のとき同じクラスだったんだよ、可愛い子だったよ」

と言ったら「そうですね、姉は子供の時、可愛かったですよね」「そうそう、本当に可愛かった」

でも彼女は転校していって、60年間会っていない

そうしたら、この彼女、スマホを出して写真を見せてくれた、「これが姉で、こっちが妹ですよ」

いきなり会ってもわからないだろう、昔の面影はなく年相応の姿がそこにあった

「姉は今、駅で待っているんです、これから私と帰ります」と言ってから

「写真を一枚撮って良いですか」「はい、良いですよ」きっと、姉さんに見せるのだろう

きっとわからないと言うだろうな、7歳と67歳を比べるんだから

奇遇なことに長女と私、二女と妹、三女と弟、みんな同級生だった、これにも驚いたなあ

夕べは同級生仲間と呑んだし、今日は48年ぶり、60年ぶりの2人とニアミスだったし

なにか不思議な因縁を感じた日だった

真紀ちゃんの妹は、「この次の法要はこのお店でやらせていただきますから」

そう言って帰って行った

 

**枝さんからいただいた青森の「リンゴ饅頭」を3時のおやつに食べた

リンゴの甘酸っぱい味がした

 

 

 

 

 


永遠の友

2017年06月28日 08時40分31秒 | 知人・友人

夕べは父の容体も落ち着いたので家族に任せて、約束の飲み会に出かけた

25年前の同級会幹事40名の中から、紆余曲折して気が合う者同士6名

呑み友達として未だにつきあっている

男3人、女3人本当に仲良しグループだ

「明日呑もう」と誰かが言えば、ほとんどが翌日集まるフットワークの軽いメンバーばかり

時には「今2人で呑んでいるから出てお出で」なんて誘い方もあって、それでも50%の

確立で集まる。

定年リタイア3人、現役3人と様々

この6人に加えて総勢約15名のメンバーによる旅行会というのもあって、こちらも同級会幹事

の中から旅行好きばかり残ったもので、毎年一回一泊二日の旅行をしている

今年は11月の暮れあたりに京都を予定している

 

昨日は6人でたっぷりと食べて呑んで、二次会のスナックで23時半まで歌いまくってきた

みんなカラオケ大好きで、歌い出すと止まらない、良い時代になったものだ

なんと言ってもGSが一番盛り上がる、高校時代に戻って合唱だ

メンバーにはガンと闘っている人もいる、だけど超明るいキャラでいつもみんなを笑わせてくれる

どこからあの底なしの明るさが出てくるのか、太陽の様な女性だ、学生時代は応援団だったものなあ

三ヶ月会わないと、誰からともなくメールが入ってくる「そろそろ呑まない・・・・」

これから老いに向かって、こうした友達がますます必要になっていく

気取りも、気兼ねもない心から笑い合える仲間、永遠の友だ

 

 


父の健康状態で 慌ただしい今日

2017年06月27日 17時00分26秒 | 老人介護

昨日から父は37度38度の熱が出て、夜になってようやく熱がひいた

今朝5時半に起きて、まず父の部屋に様子を見に行ったら(いない!)

トイレ、別の部屋、台所、廊下、風呂場どこにもいない

以前一度だけ、夜中に外に出たことがあるので、もしやと思って玄関も見た

しかし鍵はかかっているし、靴もある

?????どこに消えたのか  不安になった

仏壇の灯明があかっていた 何気に父の部屋に足を踏み入れたら

ちょうどふすまと押し入れの角地に倒れていた

目を開けていて「転んだ」と言った  驚いて「どうしたん?」と聞いた

「何かをとりに来たんだ」と言った

もう自力では起き上がる力が無いので、抱きかかえて起こした

「トイレに行く」というので杖を持たせて体を支えて歩く、足がほとんど進まない

ベッドに戻るまで10分、近くて遠いトイレ

昨日も「医者へ行こうか」と聞いても「行かん」と拒否  水を飲ませようとしても一口

口は渇いて、頬は紅潮して痛々しいのに強情を張ってひとつも言うことを聞かない

今朝はベッドに入って頭に冷えタオルをのせたけど、これも嫌がってすぐにとってしまう

それでも熱も36.6度まで下がり楽になったのか、じきに寝た 倅もまだ寝ているが

家にいるので、その間に魚市場へ仕入に行き、それから店で事務仕事をして

ヘルパーさnが帰った頃合いを見て家に戻った、ベッドで目をくりくりしていたので

「今日は医者へ行こう」と言ったら、相変わらず「楽になったからいい」と拒否

ヘルパさんーの日記を見たら、(転んで背中や腕が痛いというので見たら赤くなっていた)

と書いてあった、息子には一言も言わないでヘルパーさんには甘えて何でも話す

最近は朝の6時から「今日はヘルパーさんがまだ来ない」と待ちくたびれている

「8時からだよ、まだ6時だから」と言うと

いつもは「そうか、最近は時間と昼夜がわからんで困る」と言うのに

今日は「おまえはオレをバカにしているのか!」と怒った

これだけしっかりしてたら一応安心。


年齢関係なし やればできる

2017年06月27日 08時48分45秒 | ライフスタイル

しばらくなりを潜めていたが、台湾旅行を計画した頃から遊びの虫が目を覚ました

絶対無理!と思っていた中国語の学習にもエンジンがかかり始め

そう思うと、今まで始める度に拒否反応を起こしていた脳が、あれれと思うほど素直に

受け入れてくれる

どうせなら、向こうで中国語の歌の一曲もやらかしてやろうかななどという大それた

考えさえも頭を持ち上げ、台湾でヒットしたというテレサ.テンの代表曲

「テン.ミーミー」「月亮代表我的心」をなんとあらかた覚えてしまった

それで予行演習に中国人を誘ってスナックで呑みながら歌ったらOKマークをもらった

なるほど興味を持ってやれば年齢に関係なく、できるものなのだなあと改めて思った

仕事もこれくらい身が入れば今の苦境を乗り越えられると思ったら、やる気が湧いてきた

まずは若手の力を借りて、会社の仕組みを変えることだ

 

今日は少し良い魚が入荷したので寿司を握ってみた、ネタが良いと仕事も楽しい

天然のメジマグロ、富山のズワイガニ、生の刺身用サーモン、甘エビ、赤いか

やはり握り甲斐がある、素人にしては良いできだと自画自賛

7月に入れば今度はウナギの季節だ、もう友達から丑の日の予約が入っている

また台湾ウナギか国産ウナギか迷う時期になった、残念ながら中国産だけはいくら安くても

「ごめんなさい」だ

安心安全、この夏は高温と言うことで食中毒には十分注意しましょう。

 


人なつこい台湾の、わんこちゃん

2017年06月25日 17時01分27秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

あちこち動きすぎて、どこだったか忘れたけれど

トイレに行くのに地下への階段を下りていったら、従業員の休憩所みたいなのが

あって、わんちゃんが四匹ほどいた

  

一斉に私を見て尾を振って歓迎

一匹だけつながれていないのがいて、その子が最初にやってきた

頭をなぜると嬉しそうに尻尾を振っている

先を越されて遠慮している奥の1匹が、もうたまらないって程

目を輝かせて全身を揺らせて、私のところに来たいと言っている

それで、そのわんこのところまで行ったら、もう飛びついて腕から顔から舐めまくり

「ニイハオ」の中国語が通じたんだろうか

いつまでもいつまでも舐めまくっている、私もトイレへ来たのでそうそういられない

帰りにもう一度、なぜてやったらまた舐めまくり、お互い名残惜しいけど、そうもして

いられないしね、寂しいけどお別れだよ「台北の可愛い、わんこちゃん 再見!」

相性が良いのか  通じるものがあったのか  命の形や 言葉は関係ないですね

 

この子ですよ


台湾2017.6(5)

2017年06月24日 12時19分14秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

海鮮の昼食が終わったら、もう3時だった、これからまた一時間車で移動

なかなかお買い物の時間も無いので、台北市内の三越に行くことにした

ここは35年前にも行った、あのときは60人のツアーで大雪で成田に一時間近く遅れて

もうダメかと思っていたのに、機長判断で一時間近く飛行機の出発を遅れさせて待っていてくれたのだった

台北での最終日は団体から離れて5人の仲間で台北の裏町散策、腹が減ってステーキでも食べようと

行ったのが三越と現地法人の合弁デパートだった

当時の様子とは全く違っていた、ここで友達が買い物をしたが一時間以上かかった

私は買い物はさっさと片付ける方なので、することもなくデパートのトイレや非常口の見学をして時間つぶし

わが家では旅行のお土産はいらない。または最少に押さえるというルールが父の口から出て以来

ほとんどお土産は買わない

ようやく買い物が終わったが3時まで食事をしていたのでお腹はすかない、それで時間つぶし腹ごなしで

昨日もいったマッサージ店でまたマッサージをすることにした

今日はフェィスマッサージのオプション販売、もともと美しい顔?だからお断りして全身90分だけにした

さあ台北最後の夕食は何にしようか? 店を見て回る

串カツ、台北まで来て大阪名物?いらんわ!

ウナギ店もある、考えてみたら我が店のウナギも台湾産だ、あとで思ったがこれにすれば良かった

牛肉ラーメン、憧れの台湾ラーメンか・・・・・・ということでここにした

台湾の人はビールを飲みながらラーメンを食ってる、オレたちはつまみでビールを飲んで、〆にラーメンだ

これは台湾人からみればおかしい様だ、晩酌という文化はないのだろうか?

塩味と醤油味があった、麺はうどんと言った方が良い、醤油味は脂が多くてくどい、塩味は結構いける

台湾にきて食事をしていて、いつもなにか足りないと思っていたが塩分がほとんどないのだった

日本人の塩好きを実感した。 餃子は半月型ではなくほぼ四角形だった、これはなかなか美味い

アルコールやつまみは客が勝手に冷蔵庫から持ってくる仕組みだ、スーパードライを見つけてやっと

ビールらしい味が楽しめた。

この店もありふれたラーメン食堂でまったく日本人の姿は見えない、今回は徹底して現地の味を

追い求めたが、観光用の店の方が日本人向けかも

日本のラーメンはもはや日本文化だけど、このあっさりしたラーメンも良いかも

   

おいしかった餃子

これはウィンナーソーセージ

 

腹ごしらえが終わって、今度は台湾名物の屋台見学だ、バイクが車道の半分を占拠して車は恐る恐る走っている

タクシーに乗ったら、運転手さんが大の日本好きで、千昌夫が大好きと言って、CDカラオケを流して2曲ほど

歌って見せたが、なかなかの腕前だった

  

 

夏祭りの様な屋台街を抜けたら、汗びっしょり、冷たいものでもと思ったら

アイスデザートの店を発見

アイスクリームタイプとかき氷タイプがある

甘いのは~~~どうも~~~と思って、恐る恐る食べたけど、これがぜんぜん甘ったるくなく

ミルクの味が絶妙、ほんと美味しい 今回の旅行中最高の味だった

大きな丼、一つ完食 次回があればまた行きたいな

それにしてもハードな一日だった、シャワー浴びて缶ビール一本飲んだらバタンキュー

朝まで目が覚めなかった

翌日は9時半にホテルを出発、友達はまだお土産が足りないとかでまずは免税店へ直行

ここでまたすったもんだで一時間、飛行場でまたまた買い物、よくよく買い物の好きな友達だ

何回か同行しているが、今回はちょっとテンションが高い

飛行機往復で「きみの名は」を見終えました

高校生男女の魂が入れ替わるのはありふれているけれど、3年のタイムラグというのが「みそ」

評判どおりぞくぞくしたけど、歴史の事実が変わるのは「バックtゥザフューチャー」ぽいかも

 

ようやく日本に着いたが、今度は別の仲間がデパートで買い物したいって、だけど時間が無くてアウト

帰りは1万円贅沢して新幹線のグランクラス、始めて乗って見た

なんと我が町まで我々以外グランの乗客なし、それなのに2人の客室係がサービスしてくれた

帰りのANAの和食とグランクラスのサービス食事

北陸新幹線グランC  ビールやワインのサービスも

ANA

グランクラスに乗ると体がだらしなくなってしまう、特に他の乗客がいないと

行きにはもったいないけど、旅行帰りには良いよ、楽だね

 


勉強するってことは大切だと思う

2017年06月24日 08時38分17秒 | ライフスタイル

僕らは田舎で育った

小学生の頃からもう「ガリ勉」を軽蔑する風潮があった

野球がうまい、橋幸夫の歌を真似る奴、飯田久彦のロカビリー

ギャグを飛ばす奴 喧嘩が強い奴

そんなのばかりモテモテで、勉強ができる男の子には「あいつは女だ」なんて

侮蔑の言葉

だけど京都市から転校してきた男子、まず京都言葉に、きょとーん?

勉強できる、それを当たり前の顔で威張りもしないし得意顔でもない

たまに80点か90点まぐれでとって得意になっている我々と明らかに違った

誰も彼をからかわなかった、しかもみんな彼に優しい

か弱そうな男の子だったけど利発な顔で人当たり良く、いつも困っている様な表情

田舎の男子に父性本能が芽生えた瞬間だった

同時に、田舎の外には大きな世界があることも知った瞬間だった

とにかく東京へ始めて行ったのは中学2年生、東京育ちの父は「ここも変わった」

などと言いながら都内をすいすいと迷いもせず移動していく、かっこいいと思った

東京タワーができて6年、憧れのタワーに登って大喜びだった

 

中学生になって遊んでばかりいるグループ、スポーツに打ち込むグループ、大学進学や

公務員を目指すグループなどがはっきりしてきた

最後のグループは大人びた奴らばかりで、何かというと先生と話している、先生も熱心に

応えていた

私の様などっちつかずのグループもあって、俗に言う先生に印象のない目立たない生徒たち

当時何を考えて生きていたのかというと、将来のことはほとんど考えていなかった

高校や大学には行くつもり、というか行って当然だと思っていた

怖い物知らずで、友達には「オレは慶応に入る」などと言っていたのだが

行きたければいけると思っていた、入試や授業料などのことは全然考えていなかった

勉強は夏休みの宿題以外した覚えがない、小学生時代は5月生まれと言うことで脳みその発達状況も

体の発達状況も並以上だったから、それで良かったが、中学高学年になると勉強する生徒と

しない生徒では明らかな差がついてきた

大学進学を目指す生徒と、就職目指すけど勉強続けたい生徒が望む普通高校、

就職組で手職をつけたい人の工業高校、大学へ行かずに店を継ぐ商人の子は商業高校

ちょっときわどい成績の子が目指す高校や、そこも危ない子が目指す私立高校と

15歳にして人生の出発点が区分された

幼稚園から15歳までの10年少々の間に、持って生まれた能力+勉強努力の差ができたのだ

社会の上位を目指す連中は、既に競争社会の厳しさを小学校高学年から実感して対処していた

しかし低位に行くほど世の中の非情な仕組みに無関心、あるいは気づかなかった

その中間は無難な普通のコースを進んで行く

 

子供は親を選べない、普通であれば普通以上の人生を送れたはずの子が、どうにもならない親を

持ったためにはぐれた人生を迎えた例も多い

いつも同じ汚れた服、ぐしゃぐしゃの髪、そんな女の子がいた、みんなにからかわれ虐められ

ある日、日帰り旅行、みんなきれいな服を着せてもらって駅に集合、そこに汚れた女の子がリュックも

持たずやってきた、手には自分で握ってきたらしいおにぎりが一つ

それなのに、親が追いかけてきて先生が止めるのも聞かずに、女の子を叱りつけて連れ帰っていった

衝撃的な出来事で今でも忘れられない

この女の子と、にいさんの後年は知っているけれど書かない、よほどの性根が無い限り

そんな道に行ってしまうのは仕方ないのだろう

そこまでの道人生を考えると、我々にわからぬ苦労の連続だったと思う

 

愛情ある親をもてたことだけでも幸せだ

だがこの年になって見て、様々な場所や場面に出かける様になると人間の格の違いというものを

嫌と言うほど見せつけられる、特にスティタスと言う奴はどうにもならない歯がゆさを感じさせられる

落ちぶれていても、育ちの良さは私に遥か上を飛んでいる、どうにもできないことが多すぎる

私が知らない言葉で楽しく話す人々、隣町に行く様に世界を飛び回っている人々

カードだけで現金など持ち歩かない人たち

財布に数百万入れて盆栽などを買いに来る人

上品でキリッとして近寄りがたい人たちのイベント

60年の人生の中で、いつこれだけの差がついたのだろうか、スタート地点がそもそも違っているのに

努力をしなかった、高い志を持たなかった、ありのままの生活で満足していた

もし「女優と結婚するぞ」という信念を中学時代に持っていたなら人生は変わっていただろう

 

親戚の女性は相撲界の大関と結婚すると言って、毎日の様に国技館に通って大関は無理だったが

十両力士と結婚した、今も彼は角界で裏方として活躍している

願えば叶う、このことを子供の時に知っておくべきだった、また教えてくれる大人と出会うべきだった

せめてこれからの子供に教えてやりたいと思う。