在る機関に勤める人が、実は寺の息子でした
いつも私に説教されている彼が本山で得度して、晴れて住職の資格を得ました
けれど私は彼の説教を門徒として受け入れるのか疑問です
むしろ彼に伝授したい理屈は多々あります
思うに近年の坊さんは、葬儀などで御文さんを読み、阿弥陀さんがいかなる悪人であっても
南無阿弥陀仏の6文字を唱えれば、極楽に導いてくれると説きます
だけど、私はもっと人間くさい根本を説いてもらいたいのです
今日は妹の嫁ぎ先の一周忌でした、住職が今日は煩悩について説きました
これは良かったです、人間の本質ですから共感できます
私自身60数年の人生を生きてきても、未だ煩悩の固まりです
先日書いたもう一花咲かせたいなどは、まさに煩悩以外の何者でもありません
煩悩は未練でもあります、未練を残したくないから欲望の全てを経験したい、それが煩悩
「たった一度の人生だから」この言葉は戒律を破るのにまことに都合の良い言葉です
だけど戒律というのは誰のためにあるのか、疑えば切りがありません
結局、犯罪を犯さない限り、個人はその思いをこの世にあるうちに遂げるべきだと思います
わたしもまだまだやってみたい煩悩にまみれていますから