「一生懸命に生きているんだなあ」って見えている人が好き
「私は、こうなんだよって主張出来る人が好き」
「出過ぎず、引っ込みすぎず、人に気遣いしすぎず、お節介しすぎず、ほどよく気を遣ってくれる人」
まっすぐ、こっちを向いて、向き合ってくれる人が好き
打てば響く、頼めば頼りになる、ちょっと飲みたいとき嫌な顔せずつきあってくれる
だから君たちが好きなんだ
そんな友だちを持ちたいって」~ずっと願っていたんだよ
だから今・・・とてもしあわせだよ。
「一生懸命に生きているんだなあ」って見えている人が好き
「私は、こうなんだよって主張出来る人が好き」
「出過ぎず、引っ込みすぎず、人に気遣いしすぎず、お節介しすぎず、ほどよく気を遣ってくれる人」
まっすぐ、こっちを向いて、向き合ってくれる人が好き
打てば響く、頼めば頼りになる、ちょっと飲みたいとき嫌な顔せずつきあってくれる
だから君たちが好きなんだ
そんな友だちを持ちたいって」~ずっと願っていたんだよ
だから今・・・とてもしあわせだよ。
「西郷どん」も、幕末騒乱の大どんでん返しの場面「薩長同盟」までやってきた
四コマ漫画で言うところの起承転結の「転」だ
それにしたがって思い返してみると、「起」は250年の平和な江戸時代、そこに突如として現れた黒船
「承」がもっとも長く複雑で、一言で言えば国内の権力者階級が攘夷と開国の二派に割れて騒動になる
当時の権力者階級は、①天皇を中心とする朝廷、動力は公家 ②実質的に日本の政治を行っている徳川幕府
動力は大老、老中の幕閣 ③地方に点在する260の大名家 動力は藩士
序列で言えば①朝廷②幕府③大名だが、実際は朝廷は幕府の保護下に有り、援助無ければ干上がり、政権は
幕府が手中に収めている、大名は地方自治を行っているが幕府の命令に従わなければ取り潰しや左遷の憂き目に遭う
弱き立場
だがあわよくば日本を植民地にしようとしている米英仏国の前に、幕府も歯が立たない、ここに平和呆け幕府の弱さが
露呈した、おりもおり13代将軍家定は政治力、統治力、健康面全てに於いて凡人よりも劣っている生まれで
幕閣が政治を仕切っていた。 その幕閣が攘夷派の先頭に立つ孝明天皇の激しい怒りに結論も出せず困り果てている
ここに薩摩島津、土佐山内、福井松平、水戸徳川などの有力大名が口を挟んできたからますます混乱する
弱気の幕閣、強気の天皇、今が政治に加わるチャンスと勇み立つ有力大名
天皇朝廷は後醍醐天皇の新政以後、江戸時代も通じて日陰の身であったが、ここ幕末についに政治の表舞台に登場
もともと武士には天皇の家臣であるという意識がある、今は武家の棟梁「徳川氏」が日本を治めているが、元は同格の一大名
徳川家の家来は徳川家臣だが、我らは我らの殿様の家臣であって、徳川の直臣ではない、だがわが殿様もこの国の主である
天皇様の家臣でもあるから、我らも天皇様の又家来なのだ、それは本来、徳川も天皇様の家来なのだ
右往左往する弱い徳川将軍には政治は任せられない、今こそこの強い天皇様のもとで我ら家臣(朝臣)は攘夷を実行しよう
そう言う考えの大名家の家来が全国で現れ、朝廷のお膝元の京都で藩を超えた攘夷集団が形成され始めた
このあたりから「転」がはじまる
地方大名にいる家臣たちも、①攘夷大名の家臣であれば殿様をもり立て、②わからずやの大名の家臣であれば脱藩して京に
むかった。 坂本龍馬もその一人である。 前者①は薩摩島津家 長州毛利家などである
そして攘夷運動の中から、「弱腰の徳川幕府が邪魔だから将軍の座から引きずり下ろしてしまえ」という倒幕を唱える者が
現れた、だが、「攘夷一本で良いではないか、徳川将軍を頭に諸大名が力を合わせて攘夷を果たそう」というのが主流だ
ところが幕府方は、「攘夷に銘打って、倒幕を企む輩が京に集結してクーデターを起こそうとしている、断固取り締まれ」と
京都守護職の設置を諸大名に命じた、だが財政面に加えて、勤王攘夷の藩や武士に恨まれることを嫌がって、どの藩も
のらりくらりと逃げ回る、そこで幕府は、都や江戸から遠くこんな混乱した世情に疎い会津藩に命じた
会津藩は藩祖が3代将軍家光の異母弟で、しかも2代将軍秀忠が唯一妾に生ませたため、怖い正妻(織田信長の姪)に
内緒で保科家に養子に出された日陰の身であったのを、将軍になった家光が見つけて会津藩主につけ幕府の要人として
優遇したので、徳川家は大恩人、徳川の災難には我が身を捨て藩を上げて応援せよという家風になっている。
質実剛健、実直素朴の会津藩はこの大損な役目を受けたのである、それが会津の悲劇の始まりとなる。
こうしてみると、開明的で常に損得勘定を頭に入れて、自藩をいかに売り込んでいこうかと考える薩摩、長州など西国大名
保身に走る西国大名、徳川に寄りかかる関東大名、そして時代から取り残されていく純朴な東北大名
それぞれの藩主の器量が明治維新の大当たりくじ、貧乏くじをわけた
そして大名そのものも、下級武士団によって解体され一貴族となった、それが日本の夜明けだったのだが
あれから150余年で、日本人の誇りが失われかけている
今、我が国は米中という2大大国に挟まれてアメリカの忠臣を決め込んだ、それが正解か不正解かは後の歴史で
わかるだろう
だが幕閣の不正と緩みは内政に大きな穴を開ける、法を定め、法を施行し、国民に罰を与える者が、自ら法を犯し、無視し
罰も与えられない
我が国はこの数十年で個人所得は世界の一位から今や30位以下に落ち込もうとしている、このままでは
今まで(一部の日本人が)侮蔑してきた中国や韓国に追い越される日も遠くあるまい
日本人の理性も常識も大きく悪い方に変化してきている、外国人留学生が飛行場に降りて、アパートに行く間の道路
どこを見てもゴミ一つ無いことに驚き感動した・・・・・が、今はタバコや空き缶を平気で道路に投げ捨て、コンビニ弁当の
空き箱、ペットボトルが散乱する路肩や海岸、高速のSAのゴミ箱や宿屋の部屋のゴミ箱には使用済み紙おむつが
国道の脇には、アメリカのスラム街や地下鉄のようなスプレーによる大きな落書きが幾つもある
日本の安全神話も崩れだした、退屈と不満の短絡的若者が引き起こす無差別殺人、自分の子供を平気で殺してしまう
鬼畜親、金のために夫や妻を殺す事件、病を癒やし、治すための病院や老人介護施設で相次ぐ患者殺害
一体日本はどうなってるんだろうか、政治が乱れると国が乱れる、いま我が国はどうだろう?
候補者が言っていた「美しい国日本」とは「どこにもゴミがない美しい国」「誠実で勤勉な国民が住む国」だと思っていたが
現実はどうですか?
今朝カートネコに変化があった
いつも通り5時半に玄関に行くと、もう私の気配を感じて外で動き出している
いつもは車の下で待っているのに、今朝は待ちきれないとばかりに後ろ足で立って、前足で戸を叩いている
開けるといつもどおり30cm先で待機、手を顔の前に出したら、逃げも下がりもせず始めて顔を突き出して
私の指先で匂いを嗅いだ、これは初めての事だ
それから中に入って、練りエサを食べ始め、終わると乾燥エサをあげる、そこまで一緒だが
ちょっとむせたので、大きなカップラーメンのお椀に水をくんでエサの隣に置いた
いつも水は外においてあるのだが。 最初は水にすごく警戒してニオイを嗅いだり、鼻をくっつけたりして
飲まない、そしてエサを半分残して、外に出て車の下に戻った
戸を半開きにして、私はご飯の準備をして(明太子を焼いて、塩マスの残りを温め、茹でたモロヘイヤに納豆を絡め
コーヒーミルクを沸かし、ワカメとエノキの味噌汁)
そして、食べ終わるまで約30~40分、廊下に出たらカートが玄関にいて、こっちを見た
「水を飲みなさい」と言ったら躊躇無くピチャピチャと水を飲み出した、結構飲んだ
それから部屋に戻って身支度をして階段を下りてきたら、カートは土間でリラックスしていた
これも初めての事、少しずつ自分が住んでもい良い家だと言うことがわかってきたんだろうか?
残念だが、近づくとゆっくりと外に出て、又車の下に入る
もう少しだな、天に通じるのは
この夏は結局のところ暑すぎた!ということなのか
積極的に酔うことも無く、感動的に酔うこともなかった
そういえば、今は息をしているだけみたいな毎日で、少しもテンションが上がらない
友だちも、なにか魂が抜けているようで、同級会も間近だというのに少しも連絡が無い
これらの全てが異常な猛暑の副産物なのは確かだ
なんとか自分が自分である事を意識する時間がある、それはカートネコとの10分ほどの出会いの時間
今、もっとも魂が通じ合って居るのはこいつだ
互いに顔を見合わせて、何も話さないけれど「阿吽の呼吸」、少しずつ通じ始めているかな
知的障碍者支援入所施設で夏祭りがありました
私も3年前までこの保護者会の会長だったので今回も女房殿と参加しました
地元ボランティアも大勢参加していただき、出店やイベント、お手伝いと様々な形で活躍していただきました
イベントではフラダンス、病院のスィングジャズバンド、郷土の太鼓が披露されて、どれも楽しませてもらいました
蒸し暑さの中、やはり飲物と氷水、氷水でようやく生き返ったyottin
外を見たら、シトシトと何十日ぶりかの雨が降ってる、駐車場までは歩いて5分、大雨になる前に車をとりに行こうと
出たけれど、時既に遅く、途中から夕立並みの雨になって
走れば汗だくになるし、頭にハンカチを乗っけて、寒いわけでもないし、「濡れた方が涼しいや」とズブ濡れになりながら
なんとなく嬉しい
でも会場に戻れないほど濡れたので、そのまま会社に戻りました
ジャズ演奏、なかなかの迫力、思わず体が動きます
ジャズはやっぱりいいなあ、ジャズバラードとスィングジャズが好きなんだよなあ
この異常な暑さの中での北海道以外の国内旅行はご勘弁
ということで、私の旅行は9月、10月、11月と三ヶ月間に分散となった
今年の会社の慰安&研修旅行は10月に2泊三日での箱根、鎌倉、横浜で企画
毎年のことだが、団体旅行は間違いがあると面倒になるので地元旅行社へ丸投げ
あとの旅行はプライベートと同級生旅行、同級生旅行は予約担当が居るので関せず
プライベートはネットで予約が多い、だけどホテル、旅館の予約をしてみても
楽天、じゃらん、ヤフー、トリバゴ・・・・例えばシングル一部屋にしてみても料金の差が
甚だしい、だからトリバゴみたいなエージェントが出てくるわけだが
ホテルのオフィシャルサイトを見れば、「直接が一番安い」などと書いてもある。
そう言いながら、100%の完売は無理なので、ネットサイトの旅行業者に空き分を安く
割り当てているのだ
飛行機料金の信じられない安さは、こうした仕組みから出てくるわけで、旅行業者はさらに組み入れた
企画旅行で、販売とバックマージンの2本立てで利益を追求しながら、一般客に安いツアーを提供出来る
ともあれ、自分でホテルを探すのは簡単だが、私のようにあれこれ比較し出すと迷ってしまっていつまでも
決まらない、明確な志向を先に決めないとダメなようだ。
例えば①駐車場がある ②次の目的地への移動が便利な立地 ③料金は8000円前後で朝食付き
④町の夜景が見える ⑤ベッドは140cm以上 ⑥部屋はそこそこ広めでシャワートイレ
⑦口コミ評価は4点以上など
それでも同じ地域の他のホテルにも目移りする
旅行社の担当と話しをしたが、週末は東京など都市部への団体旅行でシングルを希望されると3ヶ月前でもとるのは
非常に厳しいとのこと、半年前には言って欲しいと言っていた。
我々の旅行も都市部では各人シングルなので、ちょっと旅行社は悩んでいるかも、ホテル分散もやむを得ないかも
だけど平日だから大丈夫だと思う
9月からの秋は楽しみが続く
まずは9月1日の母の一周忌を成功させること。
今年の夏のレストランメニューで人気上昇、ミニウニ丼864円(税込み)
ミニ2点セット 1350円(税込み)
台風が来るといつも原色の世界がやってくる。 昔風にいえば総天然色
シェーンのラストシーンのような景色
相変わらず雨は降らず、そういえば朝起きたら、お湿り程度に濡れてはいたが、それだけ
7月から雨らしい降りは近畿、中国地方が水害に遭ったあの日だけ
こんな年は初めてだが、これからは毎年、同じセリフを言うんじゃ無いだろか
中国(人民共和国の方)も台風被害が凄いらしい
わが家は父子二代で魚屋を25年、料理屋を45年やったけれど、その両方で約40年勤務した女性がいた
その人は須磨子という名前で、大昔の女優と同じ名前だというのが自慢だった
それだけの印象だったのだけれど、今年の6月に長野県中野市の中山晋平記念館を訪ねたとき、いろいろな
情報に触れた
中山は中野市の出身で、東京に出てロシアや欧州文学の翻訳家島村抱月に師事した
島村は師と仰ぐ、坪内逍遙の弟子で早稲田文学界のOBのなかでも頭角を現す存在だった
彼らは劇団を創立して、新規俳優を養成すべく募集したが、その中に長野県松代町出身でバツイチの人妻
松井須磨子(本名小林正子)がいた
そして、この大柄で奔放な性格の女は、やがて二度目の離婚をして妻子ある島崎と不倫関係となる
やがてあっけなく島崎が病死すると、絶望した須磨子は後追い自殺をするのだった。
明治という時代は今より遥かに封建的で女性の社会進出も制限されていたけれど、文化人と呼ばれる
知識人階級には結構男女間に大らかなものがいて、それらに関わる知識階級の女性にはむしろ今よりも
情熱的な人を見かけることがある
松井須磨子しかり、与謝野晶子、会津戦争で戦死した美女中野竹子、同戦争で鉄砲を撃って奮戦した山本八重
(新島襄の妻)、津田梅子、平塚らいてうなどなどいとまが無い
そんなことで、松井須磨子の生涯に興味をもった私は恋愛小説の第一人者渡辺淳一作の「女優」を買いました
そして先日、めでたく読了
読んだ感想としては、不倫は別として、現代に置き換えれば松井須磨子は美空ひばりさんのイメージですね・・私的には
怖いものなし、無くてはならぬ大女優だから周りは腫れ物に触るよう、トップである島村抱月が須磨子に骨抜きにされている
から下の者は手も足も出ない。
須磨子が用足しをしているときにまで「先生、紙もってきて」と言われると「はいはい」ってな調子で、厠まで届けた
というから「ほんと?」、側から見れば、それ以外ではキリッとして妥協しない堅物の先生が、須磨子にはポチになる
須磨子はそれが当たり前と思っているし、恥ずかしいとか世間のルールとかまったく関係なく、また側が何を言おうが
どう噂されようが「そうなの・・いわせておけばいいわ」とからっとしている、このあたりは世間の評判に一喜一憂する私は
小気味よさを感じるのである。
こんな二人のところで書生をしていた中山晋平はやりきれない思いだったろうし、よく使いぱしりもさせられたようだ
この小説で知ったのは、坪内逍遙という人の人柄である、切手でしか知らなかったが、まったく無欲な人で、
演劇普及にかけた情熱は莫大な私財を惜しむことなくつぎ込み、ひたすら成功に向けて尽力されたのだ
その大先生も、ついには抱月と須磨子の関係を改善出来ずに縁切りとなってしまうのだった。
フニャフニャばかりのイメージの抱月であるが、残された人生を須磨子への愛情として貫き通したのは見方によっては立派
婿として、恩人の娘と結婚したが愛情はなかったものと思われる、だが夫を奪われた上に少しの罪悪感もない須磨子に
とことんやられっぱなしの本妻こそ哀れな犠牲者である。
一夫一婦制とは国家の法律で仕方ないけれど、こんな悲劇を見るとイスラム国家の一夫多妻制の方が良いのでは?とも
勿論平等のため、一婦多夫制も併設すべし
複数の愛人の存在を認めたどこかの大国の大統領にでも相談してみますか?
新潟県内陸の平野部「三条」で40.1度、新潟県最高と共に、北陸でも初の40度超えらしい
かくいう我が町も38度、過去に39度というのがあったらしいので、最高では無いが、暑すぎる
昨夜も飲み会だったので、朝6時前にその料理店の駐車場まで歩いて車を取りに行ったけど
少し歩いただけで汗が出てきた、数日前までは朝は涼しかったのに
昼一度、家に戻ったが、カートネコも参っているのか、姿を現さなかった
明日までこの暑さは続くらしい、そして台風が日本海を北上してくる、今はか~っと照り続ける太陽
我が町は今日も明日も雨は降らないようだが、この夏は雨が少なすぎて雨災害地と逆の心配がある
稲や野菜果物がダメだという話しも出始めている
いずれにしても今年の日本は踏んだりけったり、異常気象はご勘弁」だ。
文字の中に姿が見える 文章の中に心が見える
自分が作ったイメージ(まぼろし)
小説の主人公は100人読めば100通りの顔とスタイルがある
だから映画にはして欲しくない
映画を見てから、原作を読むと、あまりのギャップに映画が安っぽく思えてくる
数日かかる小説と2時間の映画、詰まり具合と重さが違う
ジュラシックパークではなぜメスばかりの恐竜に子が生まれた(正確に言えば卵)かよくわからない
だが原作では雌雄同体の生物の遺伝子が、恐竜の遺伝子に混じったことが事細かに書かれている
そういった面白さが小説にはある
映画は俳句や短歌みたい 短い時間の中に想いが伝わるように詰め込む
見せる映画から考えさせる映画に、時代と共に変わったけれど
感じる映画から、見ておしまいのからっとした映画にも変わっている
女優が映画の中に居るだけで恋してしまう
女優の凄さはそこだな
時々夢の中で顔の無い女と恋愛する
小説の中の女に恋するように