忙しいけれど16時間も立ちずくめなんてことは滅多にない
大概は6時半の仕入から18時までの12時間ほどの立ち仕事で
それから座っての経理会計の仕事を20時頃までやるが、
これは時間との勝負の調理に比べたら遥かに楽だから仕事のうちに数えていない
遅くても21時までに帰宅するので時間は結構ありそうだがいつも寝不足
そのわけの一つは録画したテレビを深夜まで見るからだ
特に歴史ドラマやサムライの映画が大好きだから、ついつい見入ってしまって
ドラマは4話5話分まとめ見するので気がつけば深夜0時
それから風呂に入って一杯寝酒、だから1時過ぎに寝ることも結構あるのだ
それでも5時半には起床、そしてぼ~っとした時間を経て気持ちが戻って来たら
魚市場へ出かける、そんな繰り返し
2~3日前だけど見た映画は武士道を描いた「蜩の記」
「義を持ってせざるは勇なきなり」がテーマになっている
主君(殿様)の側室と不義密通した罪で切腹を申し渡された殿様付きの
優秀な家臣がダブル主人公の一人
なぜか切腹の日は10年後という執行猶予付き、但しいくら神妙にしていても
10年後には切腹が待っている
この10年間にこの藩のお家の家譜をまとめ上げよとの仕事を命じられ
ちょっと田舎で家族と謹慎生活を送っている
食い扶持が与えられているのか質素だが食うには困らないようだ、それでも
畑を自ら耕している
こんな生活も8年を過ぎ家譜も完成しつつある頃、彼が住む村では年貢の取り立て
に苦しむ百姓が一揆を画策し、情け容赦ない代官を殺してしまう
謹慎武士に対して百姓の影の首謀者ではないかと、彼に刑を言い渡した家老は疑う
そして過ちで同輩を斬り殺した若い武士に罪を問わぬ代わりに、謹慎武士の家で
寝泊まりして監視せよと命ずる
意気込んで乗り込んだ若い武士が、様々なお家の事情や潔い武士と家族の生き様に
触れて次第にこの武士と家族に惹かれていくのだった
全編を通して時々人が殺されるが、その命は軽くない、個々の死には意味があり
重い、だから視聴者が(この悪人を殺してしまえ)と思ってもそこまでしない
唯一あったのは代官を百姓が襲って殺す場面だけ、代官に殺された百姓の伜の
死にも意味があり、そこには「一寸の虫にも五分の魂」が描かれているし
武士の子と百姓の伜の身分違いのさわやかな友情も書かれている
死は特別のものではなく、真の武士であればいつでも腹を切る覚悟は
できていたという設定
無実の罪でありながら、それを訴えることも無く、粛々と彼が潔く死にむかうのは
お家騒動を隠し、お家の存続を願う主君に内密に(無実の罪をかぶってくれ)と
頼まれたからだ、主君から生計の糧を頂き、今日まで家族を養えたことへの感謝
それはまさしく主君からの恩に対する「義」であり
主君から頭を垂れて頼まれれば命を捨ててでも報いるのが武士道の「義」であり
それは名誉なのだ、そしていかに理不尽であろうと世間に悪評をされようと
主君だけが真実を知っているという喜び、その主君から「先にあの世で待って
おるぞ」などと言われれば、涙が出るほどの感激なのである
彼はあの世まで真実を心に納めて逝こうと決心し、そんなことを知らない妻や娘
嫡子までもが父の無実を信じているさわやかさ
そんな生き様は最後に悪巧みの首謀者である家老さえも改心させるのだ
これが武士道であり、古日本人の潔さとさわやかさであった、死さえも美しく
見えてくるのは日本特有である
これとは別に今ハマっているのが中国連続歴史ドラマ「三つの王国の秘密(三国志)」
これが睡眠不足の原因なのだ
こちらは荒々しい、桃太郎侍の如く、バッタバッタと人が殺される
命は軽い、死には何の意味も無い、強い者が勝ち、弱い者が殺される
流浪の漢帝は一応面目は保っているものの孤独である
乱世の今、天下統一の道具として帝を頂くことに価値があるから諸侯は力の無い
帝であっても丁重に扱う、しかし心の中では少しも敬っていない
戦国時代に京を追われた足利将軍が全国の大名を渡り歩いたのと同じだ
三国志に武士道は無い、日本の場合は戦国時代でも人情場面は幾つも出てくる
古くは源平合戦の様々な人情話、中世では関ヶ原合戦のエピソードなど
血なまぐさい戦争であってもさわやかさが所々で出てくる
中国の歴史ドラマはまさに弱肉強食、日本人の浪花節が入り込む場所など
どこにも無い
「西太后」や「武則天」など頂点に立った女帝達になると男達の戦よりさらに
残酷残虐で、自分の出世に邪魔な同僚、ライバルの側室達、ついには皇后
さえも残酷な方法で殺して皇帝の寵愛を独占する
こうしたドラマを見比べるだけでも繊細な日本人とダイナミックな中国人の
違いが見えてくる
学問が好きで本ばかり読んでいるひ弱な少年時代の漢帝に、剣術に優れた
勇敢な兄が言う
「また剣術の稽古が嫌で隠れているのか、学問ばかりして医者になっても
体の芯を貫かれた人間を行き返させることはできないぞ、いっそ坊主に
なった方が近道だ」
心の優しさなど戦国を生き抜くなんの力にもならないという
しかし武士道にあるのは人へのいたわりと気遣いという心の優しさだ
静の日本人、動の中国人、隣国でありながらどうしてこんなにも違うのか
常に流動的で異民族の侵略の危機と隣り合わせで暮らす国境の無い大陸と
単一民族だけで平和に暮らせる島国日本
危機感の差が生んだ国民性の違いなのだ、しかし今の時代島国の優位は
無くなりつつある