神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

何回見ても ジャングム(チャングム)

2016年12月28日 09時18分35秒 | 映画/ドラマ/アニメ

これで「テ.チャングム」を全編見たのは3回目だ

だいたい3年に一度くらいで見たから、ところどころ忘れていて新鮮だ

韓ドラは年々、見る本数が減っていくが、歴史王朝ドラマは面白い

このドラマの時代は9代成宗から13代明宗までの時代が舞台で日本では足利幕府の時代だ

その中で主人公の一人であるのは11代の中宗(チュンジョン)とその王妃(中殿=チュンジョン)

、そして中宗の母の大妃(テビ)

520年続いた朝鮮王朝、その歴史はけっして華々しいものではなく、常に中国の保護国

であり北方民族と日本からの侵略に怯えた国家

その中で生きている王宮の人々、王の直系と王妃の一族との次世代王座を巡る戦い

それを応援して権力を握りたい大臣たちの権力争い、この図式で520年の歴史が続いた

日本では、足利幕府から戦国時代を経て江戸時代、明治維新、日露戦争までの間が

朝鮮国の歴史の長さと同じになる。

朝鮮国が権力争いだけに520年を費やしたのに比べ、日本国の前半は戦乱の戦国時代が

250年続き、そのあと江戸時代が250年、そして文明開化の明治初期が20年

戦国時代には武器が発達して、鉄砲鍛冶、刀鍛冶の職業が進歩を遂げた、信長の時代には

戦争のやり方そのものに兵農分離という大改革が行われ、しかも西洋の文化をどんどん取り入れ

造船技術も大発展した。

戦国時代が終わり食い詰めた浪人は東南アジアまで出かけていき、フィリピンやタイなどに日本人の

町ができた。

江戸時代は鎖国となったが、長崎には一部の西洋国の出入りを許していた

江戸時代の日本文化は町人文化として庶民の間から文化が花開いた、もちろん徳川家の世継ぎ争いは

朝鮮と同じように起きたけれど、徳川家康が将軍の継承順位を開府の時に決めたので、兄弟の順位

争いだけに治まっている。

家康から7代目までは徳川本家から代々将軍が続き、8代吉宗から14代家茂までは紀州徳川家が

継いだ、最後の15代は副将軍の水戸家から慶喜がなったが、家康は水戸家からは将軍を出さない事に

してあったので、養子として入った一橋家からの将軍となった。

このように整然としたかたちで将軍は継続していったのである。

 

チャングムのドラマは、まさに朝鮮王朝の争いの縮図とも言える、チャングムの生い立ちを本線にしながら

王朝権力争いが伏線で、チャングムはその争いの中で常に危機に出会っては乗り越えていく。

3回も見ると、このドラマが単なるチャングムたちとチェ尚宮(サングン)たちの争いではなく、もっと大きな

流れの中にあることがわかる、ところがチャングムの視点はわれわれ1~2回目の視聴者同様に小さな

個人の視点で有り、それが宮廷内での権力闘争に関わるチェ一族から見ると忌々しいのである。

何の力もない女官が、大きな志で動く権力者たちに訳もわからず挑戦してくる、それはチャングムから

みたら母親と、恩人のハン尚宮の仇討ちという(チェ一族から見れば)小さなつまらない事でしか無い。

ところがチェ一族でさえ、更に大きな王系の争いから見れば小さな者であることがわかる。

そもそもチャングムの父は先代の王の母親を、先々代の王の命令で毒を飲ませて殺したときの担当役人

それで先代王が王座に就き母親の最後を知ったために、当時の関係者が次々と処刑された、先々代王の

側室(日本風に言えば)でさえ2人も残酷な方法で虐殺されている。

チャングムの父も捕らえられて再びドラマに登場しない。

あまりにも残虐で横暴な王だったので、ついに大臣たちはクーデター起こす、そして新たな王になった中宗と

チャングムが複雑に絡み合うドラマである。

チャングムが医官としてして王妃の担当となると、今度はあれほど正当で上品で清廉な王妃さえ自分の息子を

王にしたいために王世子(ワンセジャ=次の王になる事が決定している王子)を毒殺せよと命じる。

結局、王妃は王に謝罪してチャングムも王と王妃の狭間での悩みは解消されるが、王が死ぬことで再び

チャングムたちは国内を逃げ隠れする生活が始まる

ところがその新たな王も2年で亡くなると先代王の王妃(チャングムに命じた王妃)が王権を握り、チャングムは

許されて宮に戻ってくる、このように権力者の交代でめまぐるしくチャングムの立場が変わっていく。

 

ドラマの中にところどころ出てくるセリフ「宮は恐ろしいところよ」まさに魑魅魍魎の住む王宮はこうしたドロドロの

朝鮮史を映画化するのにかっこうな材料が満載なのである。

どの時代を、どの王をとっても憎しみに満ちた残酷なドラマを作ることができる。

日本の歴史中で、朝鮮王朝に匹敵するのは徳川幕府だけだが、朝鮮王朝の様なおどろおどろした王朝ではない

大事件と言えば忠臣蔵の赤穂浪士事件くらいで、それは後味すっきりさっぱりの事件だ

朝鮮国は王朝で、徳川家も王朝だ、それぞれの上には朝鮮国には元、明、清といった中国帝王が存在して

朝鮮を操っていた、日本では徳川家の上に天皇という皇帝が存在している、外国に従う朝鮮と、日本の政権

システムは大きく異なっていた。

 

 

 

 

 

 


真田丸も最終回 大河ドラマを考える

2016年12月18日 17時05分03秒 | 映画/ドラマ/アニメ

真田幸村って英雄だけどインパクトが薄い

源義経も五条の橋で弁慶を軽くあしらう場面と、八艘飛びが見せ場だが

那須与一の扇の的程度しか知名度がない

視聴率も知名度に比例している様で、戦国末期の信長、秀吉、家康の人気は大きい

何しろ見せ場がいっぱいの三人が絡み合う時代だから人気も抜群だ

武田信玄と上杉謙信が意外に人気がないのは、日本一の戦上手というだけで見せ場はなく

最大の見せ場の川中島の決戦だってローカルな戦いで、戦国終結には何ら影響がない

真田の戦も大坂で奮闘して家康の本陣に切り込んで、家康を敗走させたというのが最大の見せ場

その時、本物の家康は討ち死にして、影武者が家康になりすましたなんて小説もあったが

武田信玄の影武者の映画と同様、結局本物であれ、偽物であれ歴史はびくともしない

あそこで家康が死んでも、すでに15年間諸国の大名は徳川家の家臣に成り下がっていた

秀忠という盤石の跡継ぎ、それに勇猛な家臣団、風格を身につけた知恵袋がごまんといる徳川には

刃向かおうという大名はもう居なかったのだ。

そういう意味では「真田丸」は退屈な大河ドラマだった、時代を動かすことができない主人公は

致命的だ。

 

 

 


大暴れPねこ とうとうやってくれたぜ!

2016年12月14日 15時22分54秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

この頃、とみにじゃじゃ馬になったPねこ

とうとう大暴れ、廊下の窓の障子によじ登って、端から次々にバリバリと

ちょうど張り替えの時期で良かったとは言え、張り替えてこれではやりきれない

二重サッシにして、障子はやめようかなとも思っている

わが家だからよいものの、ちょっとした上品な家庭なら命は無かったぞ!Pねこめ!

これがおまえの恩返しか? 「はい 障子張り変えのお手伝いです・・・」

 

得意げなポーズ        絶景かな絶景かな        ああ・・・疲れた

         


たそがれPねこ それから

2016年12月07日 08時00分17秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

あのPネコが、わが家に来てから半年がたちました

400gだったPネコも3kg近くまで成長して、そろそろ大人の仲間入り

でも、おてんばはますます激しくなっています

もう家の中でPネコが上がれない場所はありません

たそがれ中の2ポーズ