神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

ジャマイカン家族とクリスマス

2016年12月29日 08時42分25秒 | 知人・友人

夕べはジャマイカンファミリーを迎えて3日遅れのクリスマス

20代、30代のママファミリーも4組、それにおれたち親父世代が3人

幼児、幼年ばかり10人近く居るので、保育園状態

ママたちの手造りのサンドイッチや煮物、私は刺身の差し入れ

やはり下手な英語と、下手な日本語が飛び交ったけど、前回よりお互い上手くなって

聞き取りなんかもできる様になってきた

マイクはこどもたちに独占され、大人たちは子供をセーブするのに労力を要する

ともあれ2時間の楽しい時間はあっという間に過ぎて

そのあと2次会に、ようやく大人たちのクリスマスソングとレゲェが

子供サミット


何回見ても ジャングム(チャングム)

2016年12月28日 09時18分35秒 | 映画/ドラマ/アニメ

これで「テ.チャングム」を全編見たのは3回目だ

だいたい3年に一度くらいで見たから、ところどころ忘れていて新鮮だ

韓ドラは年々、見る本数が減っていくが、歴史王朝ドラマは面白い

このドラマの時代は9代成宗から13代明宗までの時代が舞台で日本では足利幕府の時代だ

その中で主人公の一人であるのは11代の中宗(チュンジョン)とその王妃(中殿=チュンジョン)

、そして中宗の母の大妃(テビ)

520年続いた朝鮮王朝、その歴史はけっして華々しいものではなく、常に中国の保護国

であり北方民族と日本からの侵略に怯えた国家

その中で生きている王宮の人々、王の直系と王妃の一族との次世代王座を巡る戦い

それを応援して権力を握りたい大臣たちの権力争い、この図式で520年の歴史が続いた

日本では、足利幕府から戦国時代を経て江戸時代、明治維新、日露戦争までの間が

朝鮮国の歴史の長さと同じになる。

朝鮮国が権力争いだけに520年を費やしたのに比べ、日本国の前半は戦乱の戦国時代が

250年続き、そのあと江戸時代が250年、そして文明開化の明治初期が20年

戦国時代には武器が発達して、鉄砲鍛冶、刀鍛冶の職業が進歩を遂げた、信長の時代には

戦争のやり方そのものに兵農分離という大改革が行われ、しかも西洋の文化をどんどん取り入れ

造船技術も大発展した。

戦国時代が終わり食い詰めた浪人は東南アジアまで出かけていき、フィリピンやタイなどに日本人の

町ができた。

江戸時代は鎖国となったが、長崎には一部の西洋国の出入りを許していた

江戸時代の日本文化は町人文化として庶民の間から文化が花開いた、もちろん徳川家の世継ぎ争いは

朝鮮と同じように起きたけれど、徳川家康が将軍の継承順位を開府の時に決めたので、兄弟の順位

争いだけに治まっている。

家康から7代目までは徳川本家から代々将軍が続き、8代吉宗から14代家茂までは紀州徳川家が

継いだ、最後の15代は副将軍の水戸家から慶喜がなったが、家康は水戸家からは将軍を出さない事に

してあったので、養子として入った一橋家からの将軍となった。

このように整然としたかたちで将軍は継続していったのである。

 

チャングムのドラマは、まさに朝鮮王朝の争いの縮図とも言える、チャングムの生い立ちを本線にしながら

王朝権力争いが伏線で、チャングムはその争いの中で常に危機に出会っては乗り越えていく。

3回も見ると、このドラマが単なるチャングムたちとチェ尚宮(サングン)たちの争いではなく、もっと大きな

流れの中にあることがわかる、ところがチャングムの視点はわれわれ1~2回目の視聴者同様に小さな

個人の視点で有り、それが宮廷内での権力闘争に関わるチェ一族から見ると忌々しいのである。

何の力もない女官が、大きな志で動く権力者たちに訳もわからず挑戦してくる、それはチャングムから

みたら母親と、恩人のハン尚宮の仇討ちという(チェ一族から見れば)小さなつまらない事でしか無い。

ところがチェ一族でさえ、更に大きな王系の争いから見れば小さな者であることがわかる。

そもそもチャングムの父は先代の王の母親を、先々代の王の命令で毒を飲ませて殺したときの担当役人

それで先代王が王座に就き母親の最後を知ったために、当時の関係者が次々と処刑された、先々代王の

側室(日本風に言えば)でさえ2人も残酷な方法で虐殺されている。

チャングムの父も捕らえられて再びドラマに登場しない。

あまりにも残虐で横暴な王だったので、ついに大臣たちはクーデター起こす、そして新たな王になった中宗と

チャングムが複雑に絡み合うドラマである。

チャングムが医官としてして王妃の担当となると、今度はあれほど正当で上品で清廉な王妃さえ自分の息子を

王にしたいために王世子(ワンセジャ=次の王になる事が決定している王子)を毒殺せよと命じる。

結局、王妃は王に謝罪してチャングムも王と王妃の狭間での悩みは解消されるが、王が死ぬことで再び

チャングムたちは国内を逃げ隠れする生活が始まる

ところがその新たな王も2年で亡くなると先代王の王妃(チャングムに命じた王妃)が王権を握り、チャングムは

許されて宮に戻ってくる、このように権力者の交代でめまぐるしくチャングムの立場が変わっていく。

 

ドラマの中にところどころ出てくるセリフ「宮は恐ろしいところよ」まさに魑魅魍魎の住む王宮はこうしたドロドロの

朝鮮史を映画化するのにかっこうな材料が満載なのである。

どの時代を、どの王をとっても憎しみに満ちた残酷なドラマを作ることができる。

日本の歴史中で、朝鮮王朝に匹敵するのは徳川幕府だけだが、朝鮮王朝の様なおどろおどろした王朝ではない

大事件と言えば忠臣蔵の赤穂浪士事件くらいで、それは後味すっきりさっぱりの事件だ

朝鮮国は王朝で、徳川家も王朝だ、それぞれの上には朝鮮国には元、明、清といった中国帝王が存在して

朝鮮を操っていた、日本では徳川家の上に天皇という皇帝が存在している、外国に従う朝鮮と、日本の政権

システムは大きく異なっていた。

 

 

 

 

 

 


真田丸も最終回 大河ドラマを考える

2016年12月18日 17時05分03秒 | 映画/ドラマ/アニメ

真田幸村って英雄だけどインパクトが薄い

源義経も五条の橋で弁慶を軽くあしらう場面と、八艘飛びが見せ場だが

那須与一の扇の的程度しか知名度がない

視聴率も知名度に比例している様で、戦国末期の信長、秀吉、家康の人気は大きい

何しろ見せ場がいっぱいの三人が絡み合う時代だから人気も抜群だ

武田信玄と上杉謙信が意外に人気がないのは、日本一の戦上手というだけで見せ場はなく

最大の見せ場の川中島の決戦だってローカルな戦いで、戦国終結には何ら影響がない

真田の戦も大坂で奮闘して家康の本陣に切り込んで、家康を敗走させたというのが最大の見せ場

その時、本物の家康は討ち死にして、影武者が家康になりすましたなんて小説もあったが

武田信玄の影武者の映画と同様、結局本物であれ、偽物であれ歴史はびくともしない

あそこで家康が死んでも、すでに15年間諸国の大名は徳川家の家臣に成り下がっていた

秀忠という盤石の跡継ぎ、それに勇猛な家臣団、風格を身につけた知恵袋がごまんといる徳川には

刃向かおうという大名はもう居なかったのだ。

そういう意味では「真田丸」は退屈な大河ドラマだった、時代を動かすことができない主人公は

致命的だ。

 

 

 


今年はイカが高くて ソウルのイカ刺しが恋しい

2016年12月17日 11時50分06秒 | 旅行 九州四国・東アジア

今年はスルメイカが少なくて、値段も半端でない

それに連動して冷凍するめイカもぐんぐんと値上がりして倍近くなってしまった

函館の「イカめし」という既製品商品があって、これは2級のイカ使用だが結構安い

それでこれを買って食べていたんだけど、これも品切れになるだろうと予想して

箱買い注文を出したら、途端に品切れになって結局手に入らなくなってしまった

「また作ったら知らせるよ」と問屋の担当は言うけど、今度発売の時は2倍以上に

値が上がってるはず、もう魅力無し

 

ソウルへ行くと、ごはんを食べに一回は立ち寄るのが「ノリャンジン市場」、仕事柄ソウルであれ

魚市場を見るのは好きだ、実際魚屋の雰囲気は韓国も日本も全く同じである

水がじゃあじゃあ流れていて、なんだかせせこましくて、賑やかで

ゴム前掛けにゴム長靴というスタイルも同じだし、市場で働く母ちゃん連中のかしましさと

ふてぶてしさも同じだし、魚の威勢良い並べ方も同じだ、魚の種類も量も豊富だし

ここだけ見ていると韓国だという感じがしない

ここでは水槽の中にアワビ、ヒラメ、かになどが泳いでいて、好きな魚を買って2階の(1階にもあるが)

食堂で調理してもらうというシステムだ

ここで私が絶対食べるのは水槽で泳いでいる「ヤリイカ」だ

この作りたてのイカの味は抜群だ、あとはアワビ、それと海鮮鍋が外せない

ビールを飲み、魚を食べる、日本でもできることが、ここでやるとおいしく感じるのは、清潔第一のお行儀良い

日本の料理に比べて、いかにも「魚を食べる」みたいな鮮魚センターの野外でカニをむさぼるあの感覚

とにかく韓国は騒々しく、けたたましい

ここの地下道で、半坪ほどの露店で野菜を売ってるおばあさんに、声をかけられて無視して立ち去ろうと

したら、すごい剣幕で「オヂィガー!」(どこ行く!)怒鳴られた、これが韓国流で多分本人はいつも

こんな調子なんだろう。

日本の地方おろし売り場の雰囲気

 

 

 


大暴れPねこ とうとうやってくれたぜ!

2016年12月14日 15時22分54秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

この頃、とみにじゃじゃ馬になったPねこ

とうとう大暴れ、廊下の窓の障子によじ登って、端から次々にバリバリと

ちょうど張り替えの時期で良かったとは言え、張り替えてこれではやりきれない

二重サッシにして、障子はやめようかなとも思っている

わが家だからよいものの、ちょっとした上品な家庭なら命は無かったぞ!Pねこめ!

これがおまえの恩返しか? 「はい 障子張り変えのお手伝いです・・・」

 

得意げなポーズ        絶景かな絶景かな        ああ・・・疲れた

         


山姥伝説 白系ロシア アイヌ 沖縄

2016年12月11日 11時23分45秒 | 宇宙.神秘

10年近く前に「山姥研究」の地方での第一人者というおじいさんの講演をお聞きした

講談風でたいへん熱の入った講演、頭の中に映像が浮かんでくるほどだ

山姥(やまんば)の正体は白系ロシア人の女性(たち)だという

昔、蒙古の軍団が北にも攻め寄せてきた、アムール川流域の白系ロシア人は追い詰められ

海を渡って樺太に逃げたそうだ、それでも蒙古軍は追いかけてきた

絶体絶命の時、数百の白いオオカミの群れが突如現れて蒙古軍を襲って蹴散らした

そうして難を逃れた白系ロシア人の数十人が北海道に渡った

所々で一人二人とその地に定住して、減りながらも南下を続け、ついに青森に渡った

それから、東北、越後、信濃などの山中に住み着き結構その地の人々と交流していたらしい

それが、いつしか山姥の伝説として語られたのだという

当然、背が高く口は大きく、色は真っ白で髪は長い

それを思い出したとき、アイヌ民族が思い浮かんだ、イザベラバードの紀行ではアイヌ集落で過ごした

記事がある、その中でアイヌの風貌について、男は平均163~168センチくらいあり、体格は

非常にがっちりして毛深く、顔は、ほりが深く角張っていていかめしく、しかも美しい

どちらかと言えば欧州人に近い、とべた褒めである、更に歯並びがよく、真っ白な歯をもっている

鼻からあごには豊かな長いひげを蓄えて近寄りがたい威厳がある、それなのに笑うと何とも言えない

優しい表情になるのだ(要約)、女性は醜いがよく見ると口の周りなどに入れ墨をしているからで

あらためてみると、とても美しい女性ばかりである、背筋も伸び、胸は発達していて、姿がとても良いと

「醜い顔と姿の日本人」と比較して記している。

アイヌ民族は縄文時代の日本土着の旧人類で、大陸からやってきた弥生時代の新日本人に追われて

沖縄と東北、北海道に別れて逃げた民族という説もある。

だから沖縄の土着の人とアイヌ人には共通項がいくつかあるという、それは体型や顔つきだけでなく

入れ墨の風習、それぞれの山姥伝承にも共通点があるという。

実はアイヌ人の中で東北などの山中に住み着いた人が、山姥として語られたのでは無いかと思ったのだ

色が白い、背が高い、アジア人より欧州人に近いなど白系ロシア人に似た感じがしたからだ

ところが調べてみると、アイヌ人にも山姥伝説があるのだ、ということは彼らも山姥を恐れる人々だった

アイヌ民族は山姥のルーツではなかった。

結局、アイヌ民族の研究の一端を知ることだけが知識として残り、山姥伝説については進歩がなかった

 

 

 

 


たそがれPねこ それから

2016年12月07日 08時00分17秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

あのPネコが、わが家に来てから半年がたちました

400gだったPネコも3kg近くまで成長して、そろそろ大人の仲間入り

でも、おてんばはますます激しくなっています

もう家の中でPネコが上がれない場所はありません

たそがれ中の2ポーズ